第五章 第七節【徹夜の献策】
「ギルザの民の自立を促すために、雇用の拡大や起業の支援を、黒十字解放戦線に約束させるべきです。当面は、王国が支援してもいいのではないでしょうか。個々の事業が活性化すれば、東大陸全体の経済に好影響を与えます。我々の国益にも適います」
ターナは手書きの図を次々と指し示し、ユージンの前で熱を込めて語っていた。その勢いに、この国王はすっかり気圧されている。
キーダイでの会談の二日前の朝のことだ。ターナは大量の資料を抱え、父の執務室に乗り込んだ。バイロンの健診が終わる頃を狙い澄ます。忙しい父を捕まえるには、このタイミングが最適であることを、彼女は熟知していた。
この日のターナは、白のオーバーサイズのTシャツにカーキ色のキャミソールワンピース、そして黒のレギンスという、リラックスした部屋着姿だった。珍しく肌荒れ気味のノーメイクだ。本人曰く、完全に徹夜したとのこと。
「先代のマルス様——お祖父様が、国内の雇用促進策を導入されたことがありました。ただ、要件が厳しすぎて、結果的にあまり活用されなかったと記録にあります。そこで、今回は事業内容に応じて、雇用費の五割を給付する形式を提案します。こうすれば、比較的緩い要件で多くの案件に補助が可能かと。また、内容によっては部分的な前払いを併用してもいいかもしれません」
「ふむ、薄く広くということか……」とユージンは徐々に関心を深める。「しかし、永続的というわけにもいくまい。期間を定める必要があるな」
「もちろんです」とターナは大きく頷いた。「例えば、最初の二年間は王国が補助金全額を負担し、次の二年は自治区と折半。そして五年目以降は、王国が手を引く形にすれば、自然と自立を促せます。その後も制度を続けるかどうかは、自治区の判断に任せればよいかと。五年もあれば、ある程度の財政基盤は整っていることでしょう」
「そうだな。担当の執政官に精査させてみるか?」
「はい。あとは起業の支援です。大げさなものに限らず、例えば『食堂を始めたい』といった小規模なものも対象にします。場合によっては、全額出資してもよいかと」
「だが、積もり積もれば相当な額になるのではないか?」
「ですから、王国の支援は、最初の一年だけでよいと思います。必要に応じて自治区が事業を継続しても構いません。もっとも、ギルザの人口規模を考えれば、何百件も申請が殺到するとは思えません。何より、支援政策が打ち出されているという事実自体、ギルザの人々に安心感を与えるのではないかと」
「なるほど」
ユージンの声には、納得の色が滲んでいた。
「とにかく、ギルザの民は、長らく貧困に苦しめられてきました。だからこそ、経済的な希望を示すことが、最も重要だと思います」
ターナの言葉には、熱意と確信が込められている。
「もう一つ、興味深い点があります。タンデス自治区の事業者は、他国に比べて、ギルザの民への差別意識がずっと薄いように見受けられます。能力と意欲があれば、出自を重視せずに雇い入れる傾向にあります。黒十字の侵攻がこの地で起きたのは、皮肉な話ですが、幸運だったのかもしれません」
執政会議の翌日から、ターナはほとんどの時間を、タンデス自治区とギルザの民の調査に費やした。何とかこの事態を収拾するため、知恵を絞った。彼女は、武力や外交だけではなく、経済政策こそが中長期的な安定の鍵になると直感していた。
ユージンは、そんな娘の成長に目を細めていた。幼いころから何ごとにも意欲的に取り組む性格もあって、なかなかの立案能力を発揮している。これから経験を積めば、きっと立派な統治者となるだろう。混迷の真っ只中ではあるものの、この先半世紀の王国の安寧を父は期待した。
「ぜひご検討をお願いします」とターナは手書きの資料を整え、ユージンに手渡す。「キーダイでの会談は明後日でしたよね? 明日は一日、頂いた資料を読み込みます。当日、戸惑ってはなりませんから」
「……ん?」と訝しんで続ける。「ターナ、明後日は同行するつもりか?」
「当たり前です!」
大声で返すと同時に、テーブルを両手でバンと叩いて身を乗り出す。
「この会談は、国の将来を大きく左右する分水嶺です。確かに、私が何かできるわけではありません。しかし、相手の顔を見て、今後に備える義務があります!」
「しかしだな、嫡流の我々二人とも宮廷を空けるのは……」
「それに、お父様! 執政会議で、愛する娘を身代わりにして、あんな仕打ちをしたのを、忘れたとは言わせませんよ。同席させるくらい、バチは当たらないでしょう!」
それを盾に取られると反論しづらい。
「わかった、わかったから。そんなにいきり立つな」とユージンは宥めた。「それにしても……根を詰めすぎだ。少し休みなさい。健康を守るのも、施政者の重要な責務だぞ」
ターナは、戯けて父を睨んでいたが、ようやく口元を緩める。
「大丈夫です。お父様と違って、私はまだまだ若いですから。これでも、まだ余裕はありますよ」
「そんなに目に隈を作ってか? せっかくの美貌が台無しだぞ」
「これくらいで、私の麗しさが損なわれるわけないでしょう!」
父娘の哄笑が響き渡る。
「では、失礼します。国境警備について、気になることがあるので、もう少し調べてみます」
軽やかに一礼すると、ターナは執務室を出ていった。自室へ向かう途中、大きな欠伸がひとつ漏れた。




