第五章 第六節【国境の対峙】
メスカ王国とタンデス自治区の国境にあるキーダイ検問所は、比較的大規模かつ堅牢な設備を備えている。その最も広い会議室で、ユージンは黒十字解放戦線の到着を静かに待っていた。普段は机と椅子が雑然と置かれているだけの殺風景な部屋だが、国王の来訪とあって、職員が慌てて体裁を整えた様子がうかがえる。飾り気のない机を中央に並べ、両陣営が向かい合って座れるよう設営されていた。
ターナが『干渉』に苦しめられた日から、九日が経過していた。
会談の開始時刻が近づいても、黒十字の使節団はなかなか現れなかった。メスカの執政官は、次第に苛立ちを募らせる。
「遅い……。呼びつけておいて、陛下を待たせるとは。礼を知らぬにも程がある」
「まあ、よいではないか」とユージンは、あくまで鷹揚に構えた。「これから合意点を見出そうとする相手なのだ。無闇にいきり立つものではない」
穏やかでありながら冷静にたしなめる言葉に、側近らはすぐに自制した。
ユージンは、伝統的な濃紺のチュニックにワインレッドのマントを羽織っていた。正規の会談ではないため略装に留めているものの、仕立ての良さとその立ち姿には、長年国を治めてきた者だけの揺るぎなさが宿っている。この手の有事対応は初めての経験だが、その瞳にわずかな動揺すら覗くことはなかった。
開始予定時刻の一分前を切ったとき、ようやく黒装束の一団が会議室に姿を現した。総勢は十名ほど。軍服風に装ったレオ将軍が、両隣に二人ずつ部下を従えて着席する。残る者は、後列に並んだ。
外交儀礼に則れば、格上である国王に対し、黒十字側が恭しく挨拶をするのが筋である。だが、彼らは無言のまま、敬意の欠片も見せず、ユージンを見据えた。レオは椅子に深く腰かけ、足を組み、踏ん反り返る。
その無礼極まる態度に、メスカの執政官は、一様に眉をひそめた。
しかし、ユージンは微動だにしない。その表情、その姿勢、そのすべてが、「揺るがぬ王」を体現している。
「御足労いただいた。タンデスを新たに統治する、黒十字解放戦線のレオ・サヴォイだ」と将軍は尊大な態度で口火を切る。「今後は、東大陸の安全と発展のため、共に歩めればと願っている。それにしても、さすがは盟主たるメスカ王国。対応が実に迅速だ。返事すら寄越さないジブ帝国とは、雲泥の差ですな」
「ほう」とユージンは、わずかに口角を上げた。「将軍のお言葉はもっともだが、返事の早いことが、必ずしも誠実さを示すとは限りませぬ。ジブ帝国の沈黙は、思慮深さの現れとも受け取れる。逆に我が国は、単に手前勝手な都合で即答しただけかもしれませんぞ」
「……何が言いたい」
意表を突かれ、レオは当惑する。
「これは失礼。見かけに惑わされ、思わぬ事態を招いた経験が、私にも多々ありましてな。自戒も込めて申し上げた次第」とユージンはあくまで穏やかに応じた。「いずれにせよ、我々は本件を最優先の課題と考え、今後も誠実に対応する所存。戯れ言だと思って、お忘れくだされ」
後列に控えるファビオは、かすかにこめかみを震わせる。レオの虚勢はユージンに容易に見透かされ、易々と対応されてしまった。その言葉の端々には、八百年の歴史を背負う重みと、したたかさが滲む。
「ふん。焦っていると、正直に言えば済むものを。回りくどい」
レオは、気の利いた切り返しができない。落ち着かない様子で眼鏡をかけ直す。
「では、そろそろ本題に入ろうか」
ユージンは声色を変えぬまま、粛々と議論を前に進める。
「書簡の内容を確認する。まず、貴殿ら黒十字解放戦線が、コロキスを制圧し、タンデス自治区を実効支配したとの主張については、否定のしようがない事実だ。次に、キーダイでの会談要請。これについても、本日の開催により解決済み。残るは、国家承認の是非。これが、もっとも深刻かつ本質的な論点と理解している。異論はありますかな?」
ユージンの無駄のない語り口に、レオは反応に詰まる。見かねたファビオが口を挟んだ。
「概ね、そのとおりだ。とはいえ、王国に『承認しない』などという選択肢があるとは思えないが」
「ずいぶん独善的な物言いだね。人の話も聞かぬうちから決めつけるのは、いささか拙速ではないかな?」
「意味がわからないな。もし承認しないのであれば、我々は力づくで勝ち取るまでだ」
「そのような単純な二者択一ではない。互いに利益を得られる解決策が、他に必ずある」
「どういうことだ?」
ファビオは表情を強張らせる。
「新国家としての承認自体は、やぶさかではない」
ユージンの語り口の重心は、低く平穏だ。対立を煽る険しさは微塵もない。だが、続く言葉には、反論を差し挟む隙を与えない主張が込められていた。
「だが、条件がある。第一に、貴殿の同胞であるギルザの民と同様に、タンデスの住民の生命と財産を保障することを明言し、徹底的に遵守すること。自治区内の住民の締め付けや、暴力による支配は、一切認めない。第二に、今後いかなる名目でも、国境を越えた侵略行為を行わぬこと。過去の略奪行為についても、過ちであったことを認めなくてはならない。そして第三に、自治区内のギルザの民が、真に自立できるような政策を、自らの手で立案し、実行してもらいたい」
ファビオは、会議室の空気が軋んだような気がした。顔をしかめる。




