↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王女は、業に抗った  作者: 一石千月
第五章 統べる者の誇り
PR
41/107

第五章 第三節【誇りと品性】

 ターナの変調は突然だった。だが、彼女はすぐに落ち着きを取り戻す。過去に何度も同じ経験があり、どのようなときに吐き気に襲われるのかを、概ね理解している。

 語るのを止めれば『干渉』は収まるはずだ。それでも、発言を始めた以上、執政官に気づかれないよう、最後まで走り切るしかなかった。

 不快感に耐えながら、出席者の顔を順に見渡した。とにかく、可能な限り明確に信念を語ろうとする。

「人間は、いかなる苦境にあっても、決して『誇り』を失ってはなりません。しかし、残念ではありますが、ギルザの民にはそれが決定的に欠けています。彼らは、どうにもならない境遇に打ちのめされ、やがて世界を憎むようになった。それが、昨今の略奪や侵略につながったのです」

 執政官は神妙に耳を傾ける。

「もちろん、そのような振る舞いを正当化すべきではありません。しかし、理由なき差別に晒されてきたことは、彼らを咎める理由になりえません。自己責任として切り捨てるのは、あまりにも酷です」

 ユージンは目を閉じて、娘の言葉を受け止める。

「だからこそ、私は思うのです。彼らが自らの足で立ち、歩み始める最初の機会を、何らかの形で用意すべきだと。ギルザの民が『誇り』を取り戻せば、それは百年、千年にわたる汎大陸の安寧につながるでしょう」

 ターナは苦しげな様子を悟られぬよう、静かに呼吸を整える。

「とはいえ、国の統治は彼らが思うほど簡単ではありません。贅沢な暮らしをしたいという浅はかな考えで、いたずらにタンデスの市民から重税を取り立てるのであれば、相応の報いを受けなければなりません。再び差別される立場に戻りたくなければ、気づき、学ぶべきなのです」

 顔色が悪くなっていないか心配になる。あまり長く続ければ、異変を察知されかねない。

「黒十字解放戦線は、ギルザの民に何かあれば、死に物狂いで同胞を守るでしょう。そこに打算はないはずです。では、タンデスの住民についても、同じことができるのでしょうか? 私は、この点に着目したい」

 書記がペンを走らせ、その音が部屋の空気に溶け込む。

「タンデスの人々がこれまでどおり仕事に打ち込み、平和に暮らすために、黒十字解放戦線は私心を捨て、尽くさなければなりません。泥水をすすってでもタンデスを守り抜く覚悟があるのか——それを、私は見極めたい」

 室内に響く声は、いつもより低く、重く、澄んでいた。

「一方で、私たち自身も『誇り』を捨ててはなりません。ギルザに世界の理不尽を押しつけておきながら、なお彼らを排除するのであれば、そんな私たちに誇りはあるといえるのでしょうか? 学びの機会を与えなければ、それはフェアではありません。同じ東大陸に生きる者として、欠くべからざる品格です。私たちの言動は、国民一人一人が見つめています。その姿こそが、メスカ王国を支える土台となるのです」

 額をつたう脂汗が、不快な感触を残す。

「繰り返します。黒十字解放戦線が統治権を得る条件は、彼らが誇りを取り戻し、ギルザの同胞とタンデスの民を守り抜く覚悟を持つことです。そのときはじめて私たちも、統治者としての彼らに敬意を払い、真の意味で互いを信頼することができるのです」

 さらに強烈な吐き気が込み上げる。ターナは、容赦ない『干渉』に辟易とした。しかし、それを振り払うように、前を向いて堪えた。

「取り留めのないお話で申し訳ありません。是非、ご意見をお聞かせください」

 薄氷を踏む心持ちで主張を締め括った。


 沈黙が場を支配した。相変わらず重苦しくはあったが、幾許かの希望をもたらす静寂だった。ただ、ターナの忖度のない主張は、想定以上に国王の提案から乖離していた。集約されそうになった議論が、国王の意に反して再び漂流するのではないかと、出席者は気を揉んだ。

「どんな意見でも構わん。ここにいる以上、誰もが自由に語る資格がある」

 ユージンが場を促す。その表情からは、むしろ議論が活性化したことを歓迎している様子が窺える。

「私は……感銘を受けました。ターナ様は、ご立派になられた……」

 執政官の一人が、敬慕の念を捧げる。

「ハビエル、そういう感想は晩餐会で言うべきだな」

 ユージンは足を組み、冗談めかして呼応した。

「失礼しました」

 上級執政官の長を務めるハビエル・ペレスも、一瞬だけ頬を緩めた。だが、すぐに気を引き締め、慎重に言葉を選ぶ。

「ターナ様の理念には、全面的に共感申し上げます。ただ、黒十字が学ぶ姿勢を本当に示すのか——その点には、少なからず不安があります」

「ご懸念はもっともです」とターナは真っ直ぐにハビエルを見つめた。「もちろん、武力による抵抗は、十分に想定されます。国境警備を厚くせざるを得ませんし、タンデスを脱出する市民の受入体制も整える必要があります。したがって、非常時に備えたマニュアルの整備は、喫緊の課題です」

 早口にならぬよう、小さく間を取る。

「何より、黒十字と自治区が不満なく共存するための制度を設計しなければなりません。例えば、自治区内の商工業や貿易が従来どおりの規模を維持できれば、ギルザの民の生活基盤の安定につながるでしょう。これは、黒十字の暴発を抑える動機付けの一つとなるはずです」

 ターナはノートの余白に走り書きをする。

「黒十字がそういった理念を理解し、覚悟を決めたのであれば、誇りある統治者として基本的には遇する。ただし、無分別な武力行使や過去の襲撃は、断固として許さない。これを、あらゆる機会に何度でも明確に伝える」

 再び、胃の奥底から波のようなむかつきが込み上げてきた。

——今ここで、朝のトマトジュースを吐いたら、全員が目を剥いて驚くだろうな。

 そんなことを考え、不快感から意識を逸らす。

「いずれにせよ、キーダイ会談の開催については、早期に承諾の返答をすべきでしょう。実際の会議までの間に、さまざまな想定をもとにシミュレーションを重ねておけば、柔軟で厚みのある対応が可能になるはずです」

 議論を収束させるべく、ターナは一同を見回して言葉を継いだ。

「しばらくは、宮廷を挙げての対応が求められます。ただ、準備さえ整えば、情勢は早期に収束へ向かうでしょう。一方、ここで判断を誤れば、後々まで禍根を残しかねません。今こそ、集中して決着をつける気概が必要です」

 出席者は一様に、充実した表情を浮かべていた。懸念すべき点は多いものの、解決を先送りにしないという点で、ターナの覚悟が伝わったのだ。彼女の示す「誇りと品性の復権」は、執政官を動かすに足りる力を持っていた。

「実に有意義な議論だった」とユージンの表情は満足げだ。「執政官諸君とターナの意見も踏まえ、明日中には私が結論を出そう。では、少し休憩を取った後、具体的な対応策に踏み込もう。国内向けの初動対応と国境警備の見直しは、結論がどうあれ協議する必要があるからな」

 ユージンはターナに視線を向けた。

「お前はもう部屋に戻りなさい。この後は細かな手続きの話ばかりで、退屈だろう。先ほどの議論を、じっくり咀嚼しておくといい」

「よろしいのですか?」

 ターナは、ほっとした表情で立ち上がる。

「うむ。会議の記録を今晩中に渡す。それを読み込んでおいてくれ。必要があれば、また参加してもらう」

「御意にございます」


 後片づけをするターナの前に、四名の執政官が順に挨拶へと訪れた。身分の高いハビエルから順に、恭しく頭を下げる。ターナはにこやかに、そして丁寧に応じた。

 先ほどまで身体を苛んでいた『干渉』の影は、すでに消えていた。吐き気はほとんど治まったものの、喉に焼けつくような不快感が残る。

 最後に、最も若い安全保障担当の執政官が深く頭を垂れた。

「エドワード。こうして話すのは久しぶりね。ジェマは、相変わらずお転婆なのかしら?」

 ターナが尋ねると、エドワード・モーガンは相好を崩す。

「お心遣いありがとうございます。十歳になったのですが、なかなか聞き分けのない子で……。ですが、可愛さが勝ってしまい、叱るに叱れません」

「エドワードは、それでいいんじゃない? マーサがしっかり者だから、心配いらないわ」とその妻にも敬意を払う。

「勿体ないお言葉です。妻はよく『ターナ様の十分の一でも似てくれれば』と口にしています。陛下とお妃様の子育てを、ほんの少しでも見習えたらと」

「ジェマの個性が一番よ。あなたたち両親の真っ直ぐな愛情が、必ずやジェマの肥やしになると思うわ」

 穏やかな会話の後、エドワードは再び真剣な面持ちを見せた。

「本日はありがとうございました。ターナ様のご意見、身体が震えるほど感銘を受けました。わが国の『誇りと品性』について言及されたこと——どれほど、私たちの心の支えとなったことでしょう」

「誇りって、目に見えないから、軽んじられがちよね」

 ターナは、ゆっくりと頷いた。

「まあ、厳密に言えば『国民一人一人』の誇りと品性かな。自分にとって一番大切な人のために、誇り高くあってほしい。家族、同僚、親友……いろいろあるじゃない」

 噛みしめるように、言葉を継ぐ。

「『国家』のため、という話は、守るべき大事な人の範囲が広がった結果に過ぎないと思うの。それを飛び越えて、国という器に誇りを持てと命じられても、人は簡単に納得できない。だからこそ、黒十字の過ちを咎める前に、私たち自身も問わなければならない。何のために戦うのか。何に誇りを抱くのか——難しい話じゃないわ」

 そして、ターナは声のトーンを和らげる。

「大切な人と豊かな人生を送っているエドワードなら、きっと腑に落ちるんじゃないかしら」

 妻マーサと娘ジェマ。次に、共に汗を流して働く仲間たち。そして、子どもの頃から変わらぬ友。

 次々と浮かぶ大切な者の顔に、胸の奥がわずかに締めつけられ、自然と背筋が伸びる。

「ねえ、そうでしょう?」

 ターナは、慈しみに溢れた眼差しをエドワードに向けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。