第一章 第三節【主役その二】
修理済みのプランタをターナが手に入れた翌日の昼前、貿易商船アライアル号の食堂には、胡麻油の香ばしさが立ち込めていた。調理しているのは、乗組員のギル・ヒューイット。西大陸で手に入れた高級胡麻油で風味を添え、細かく刻んだ野菜と米飯を丁寧に炒めている。
ギルは、背の高い、よく日に焼けた、痩せ気味の二十四歳の青年だ。毎朝、癖毛と格闘している。黒い半袖Tシャツにベージュの七分丈カーゴパンツ、さらに明るい黄色とピンク色のエプロンという奇天烈なコーディネートで、フライパンを振っていた。
アライアル号の「胃袋の管理人」を自認する彼は、汎大陸中の市場で珍しい食材を見つけては、乗組員に料理を振る舞うことを自らに課していた。
食堂のテーブルでは、船長ジョシュア・グランブルが、朝から帳簿の収支計算に手こずっていた。船長室に籠もるのを嫌う彼は、ここで事務作業に勤しむことが多い。
ギルより背は低いが、がっしりとした体格の三十六歳。グレーのワークウェアに身を包み、伸びつつあるツーブロックの黒髪がまとまらず、しきりに頭を撫でている。
計算が合わないので、仕事は遅々として進まない。さらに、胡麻油の香ばしさに集中を妨げられる。ギルの様子を背後から覗き込んだり、冷めたコーヒーをすすったり、窓から外を眺めたり——結局、帳簿を後回しにする決断を下した。
椅子に深く座り直し、欠伸をしながら、ジョシュアはギルに話しかけた。無精髭の生えた顎を右手で撫でる。
「そういうのって、胡麻油が一番合うんか?」
「そうとも限りませんよ、船長」とギルは手を止めずに解説する。「ベースはオリーブオイルです。胡麻油は香りづけですね。オイルって、想像以上に個性が強いんです。好みも人それぞれで。俺の場合、この組み合わせは二番目に好きかな」
「一番のお勧めは何だ?」
「内緒です。手に入ったら振る舞いますから、楽しみにしててください」
「それにしても、意外と長く炒めるんだな」
「もうすぐ終わりますよ。スープも作りますから、もう少し待ってくださいね」
料理談義に花を咲かせる二人を、三人目の乗組員——カルザス・ウィルは、げんなりと眺めていた。
彼は、外出禁止を命じられ、この六日間は船倉の掃除を押し付けられている。今朝も早くから、ダークブラウンの長袖Tシャツの袖をまくり、カーキ色のカーゴパンツ姿で第三船倉の拭き掃除に勤しんだ。染みついた機械油の匂いをかすかに漂わせる。昼食の時間が近づき、くたくたになって食堂に戻ってきたところだった。午後は採光窓の拭き掃除の予定だ。
覇気のないカルザスを尻目に、ジョシュアとギルの会話は続く。
「昼飯食ったら市場に出るぞ」
「ってことは、予定どおり、明朝に発つんですね」
「そうだ。今夜は早めに寝るからな」
「明日の夜にはクラム湖、明後日の夜中にケライン……結構、ばたばたしそうですね」
ここで、ジョシュアは不意にカルザスを呼ぶ。
「おーい、カーリーさんよ」
「『カーリー』はやめてくださいってば、船長!」とむくれる。
「午後の掃除はもういいから、お前も市場に来い。仕入れの手伝いだ」
「え?」
「船倉もそこそこ綺麗になったし。反省もしてるみたいだし。人手も足りないし。現時刻をもって外出禁止令も解除してやるよ」
「あ、ありがとうございます!」
カルザスは、ぱっと顔を輝かせた。
「ただし、条件が一つ」とにやつくジョシュアは指を立てる。「お前がプランタを直してやったっていう女の子の話を、洗いざらい白状すること!」
一転して、表情が凍りつく。
「そ、そんなに面白い話じゃないですって。いや、本当に!」と目を逸らす。
「古今東西、つまらない『ボーイ・ミーツ・ガール』なんて、存在しないんだよ。お前の喋りがぐだぐだでもな」とジョシュアは断言する。
「やっとその話が聞けるのか。奥手のカルザスが一歩成長したわけだし、真剣に聞いてやらなきゃな」とギルが口を挟み、慌てて隣の鍋を火にかける。「ちょ、ちょっと待って! スープも作らなきゃ。フライングは禁止だからな!」
こうして、カルザスを肴にした長い昼食会が始まった。
三人は、空飛ぶ商船アライアル号の乗組員であり、ジョシュアが社長を務める「グランブル貿易」の社員だ。
この世界では、横倒しの巨大な樽が、当たり前のように空を飛んでいる。「ヴァレリ」と呼ばれるこの種の大型飛行艇は、プランタとともに空の交通を担っている。
アライアル号もその一つで、身の丈の二十倍ほどの巨大な機体に、小振りの主翼が左右に伸び、多数のプロペラを備えていた。動力源は、プランタと同じくBSカートリッジ。ただし、プランタ用よりはるかに大型のものが六本設置され、それぞれが独立したタービンの熱源として機能する。
グランブル貿易は、会社や個人商人からの依頼で荷物をアライアル号に積み、目的地までの運送を請け負っている。その傍ら、各地の市場で商品を買い付け、別の市場で売り捌いて利益を得る取引、いわゆる競取りも行う。
東大陸には鉄道も敷かれているが、路線が限られているため、飛行艇のほうがきめ細かな物流能力を誇っていた。一方、人間の移動は、鉄道に加えてプランタが普及し始め、多様化の一途を辿っている。
このやりとりの三日前から、アライアル号はジブ帝国の西端にある商港マイルに逗留していた。帝国内で三番目に大きな市場を擁する町だ。数百軒もの個人商店に加え、加工食品、衣類、工業製品の製造会社も事業所を構えている。町の北には小さな鉱山と製鉄所があり、商取引は活発だ。
市場の中心から徒歩五分、飛行艇用の停泊ポートが広がる。アライアル号はヴァレリ専用ポートの一角に鎮座していた。
ジョシュアは前日までに三社の事業所を訪れ、運送契約を交わした。そのうち二社からの貨物をすでに積み終え、残る一社からの十数点の家具を、本日中に荷入れする段取りだ。彼の立会いのもと、これから地元の運搬業者が市場から船に搬入する手筈となっている。
その間、ギルとカルザスは、顧客から依頼された商品や商機を見込める物品を、市場で買い付ける任務を担う。作業を夕方までに完了させなければならない。そのため、本来なら昼食を手短に済ませるはずだった。
ところが、カルザスの「シャイナの丘体験談」で、たっぷり一時間半も盛り上がってしまった。ジョシュアとギルは、羨ましがり、囃し立て、駄目出しを浴びせ、果ては、無用なお節介まで焼き散らした。
「大体なあ、困ってるうら若き女性を、今にも潰れそうなプランタに乗せて一人で帰すなんて、男の風上にも置けんわ」とジョシュアは残念そうに首を振った。「代わりのカートリッジを取りに戻れば済むことだろうが。気合いが足りん」
「戻るや否や、空調室に閉じ込めたのは、どこの誰でしたっけ!」とカルザスは呆れる。
「それだけじゃない。その子の名前も聞きそびれるなんて問題外だ」とジョシュアはからかい続ける。「この先、何かの間違いでばったり出会ったら、何て呼びかけるんだ? そんな奴は、もう一週間、船倉の掃除して反省しろ」
「結局、雑用を押しつけたいだけじゃないか!」とカルザスは抗議する。
「はいはい、じゃ、そろそろ市場に行くぞ。さっさと搬入を終わらせなきゃな」
ジョシュアとギルは、何事もなかったかのように立ち上がった。
「ちょっと待ってくださいよ!」
カルザスが慌てて追いかけようとした。
すると、ジョシュアはふっと立ち止まり、独り言のように呟いた。
「まあよ。外出禁止令は解いたんだし、あちこち出歩いているうちに、またその子に出くわすかもな」
「え……?」
「シャイナの丘で二度目の偶然を待つもよし。向こうだって、同じことを考えてないとも限らん」
「二度目の偶然……」
「もう一度会いたい。名前をちゃんと名乗りたい。そう思ってるんだろ?」
ジョシュアは、包容力の溢れる声色で尋ねた。
「そりゃ、まあ……」とカルザスは言葉を濁す。
すると一転してへらへらと笑い、結局は冷やかす。
「そのときは、男らしくバシッと決めろよ。恥ずかしがって下心を隠してたら、『私に興味がないのかしら』って離れていっちまうぞ。もったいないぞ!」
「だから、そんなんじゃないんですって!」
カルザスは両手で頭をわしゃわしゃと掻きむしった。
止めを刺すように、ギルが小声で囁く。
「まだまだ青臭いぜ」
そして、両腕を二人に抱え上げられると、そのままカルザスは食堂の外へ引き摺り出された。
「さあさあ、現実に戻るぞ。働かなきゃ即クビだかんな!」
ジョシュアの気だるい声が、船の通路に響き渡った。




