第四章 第七節【重なる波動】
「あのときは上手く丸め込まれたけど、結局は人使いめちゃめちゃ荒いんだ。やることなすこと十中八九が思いつきで、中身スカスカだしさ。それに、信じられないくらいだらしなくって。ターナも見たよね? 一日中スウェット姿って、あれ珍しくないんだ。昨日もそんな格好で、整備工に猥談を吹っかけてさ。全然仕事が進まないって、ローラがブチ切れてた。とにかく、あのおっさん、超がつくほどの面倒くさがりでさ。放っておくと風呂を何日もサボって、あまりに臭くなってきたら、ギルと二人でシャワー室に蹴り飛ばして洗ってやるんだ。そのくせ、虫の居所が悪いと、すぐに人を空調室に閉じ込めたりしてさ。……ああ、腹立つ!」
せっかく「いい話」を語っていたのに、いつの間にかカルザスは日頃の鬱憤をぶちまけていた。ターナは、その様子を唖然とした表情で眺めていた。
ひとしきり喋ったあと、さすがに愚痴りすぎたと気づき、バツの悪そうな顔で謝る。
「全部、台無しだよね……」
すると、ターナは声を上げて笑った。
「ううん。むしろ、オチも愚痴も含めて、いい話だったよ」
そう言って、真っ直ぐ相手を見つめる。
「大切な話をしてくれてありがとう。カルザスの原点を聞けて、よかった。それに、ジョシュアを信頼してる理由も、ちゃんと伝わってきた」
「もちろん。あのとき船長に拾ってもらったこと、今でも感謝してる。俺を、広い世界に連れ出してくれたから。船長には、足向けて寝られない」
そう言い切ってから、カルザスはふと考え直した。
「……いや、今のベッドの配置だと、足向けてるな」
ターナは、思わず吹き出す。
「結局、オトさないと気が済まないのね」
会話は尽きることがなく、二人はすっかり時を忘れていた。アイスコーヒーの氷は、すでに跡形もない。
「ターナって、帰りが遅くなるとマズいんじゃなかった?」
「今日は堂々と外出してるから、多少は大丈夫よ」
そして、何かを思い出したターナは声のトーンを上げる。
「そういえば、ローラからメモをもらってたんだ。行った先で開けてみてって」
ポケットから一枚の紙を取り出し、読み上げる。
「『日が暮れるまでに、コーレル夫妻の店にお越しください。ささやかではありますが、夕食をご一緒しましょう』——だって。コーレルさんって、カルザスは知ってる?」
「うがっ」と喉を詰まらせる声。
「ど、どうしたの?」
「いや、知ってるも何も……。ああ、なるほど。そういうシナリオか」と肩を落として察する。「ネルフィにある馴染みの大衆食堂なんだ。ミーシャとバートが夫婦で経営してる小さな店で、食事も美味いし、酒も豊富。でも、一同が待ち構えてて、今日のことを根掘り葉掘り聞く流れだな……」
「別に、隠すようなこと、何もないんじゃない?」
ターナはきょとんとする。
「いや、そんな単純な話じゃないんだ。ミーシャだけでも騒がしいのに、ローラと船長まで……。酒が入って暴走し始めたら、誰も止められないよ。上品な貴族の晩餐会とは真逆で、ターナはびっくりするんじゃないかな」
「構わないわよ。むしろ、そのほうが楽しそう!」と好奇心を隠さない。「貴族のパーティなんて、見栄ばっかり張って、中身はお世辞の応酬よ。つまらないにもほどがあるわ!」
「……そんなもんなの?」
辛辣な言葉に、カルザスは目を丸くする。
「ね、行こうよ! せっかくセッティングしてもらってるんだし。料理も美味しいんでしょ?」
そうまで言われては断れない。
「わかったよ。じゃあ、そろそろネルフィに向かおうか」
「待って。お土産、買わない? 夕食の差し入れみたいな感じで」
「なるほど。いいね」とカルザスは少し考える。「クリエといえば……ホタルイカが名物だったよね。ビネガーソースでボイルするやつ」
「それ、私も食べたことある! めちゃくちゃ美味しかった!」
「じゃあ、市場に寄ろう。いやあ、お土産のことに気づいてよかった。手ぶらで帰ったら、ギルにどやしつけられるところだった」
「意外ね。そんなことを咎めるタイプに見えないけど」
「こと食べることに関しては、いろいろ細かい。その分、造詣も深いけどね」
「そういえば、ギルって今朝はいなかったよね?」
「たぶんナミのところで主夫してる。でも、ミーシャの店に集合と聞けば、必ず姿を現すよ」
「そっか。じゃあ、みんなに会えるのね。楽しみ!」
ターナにとって、転がるように続くカルザスとの会話は、楽しくて仕方がなかった。無理に話題を探す必要もなく、自然体でも波長がぴったり合う。
上流階級の同世代は、裕福さや家柄を誇示するとともに、互いを過剰に持ち上げるばかりで、密かに苦手意識を抱いていた。もちろん、そんな感情を表に出すことはないが、晩餐会の後には、ぐったりと疲れてしまうこともしばしばだった。
貴族の誰であっても、カルザスの代わりにはならない。満たされたこのひとときに、ターナは心の中でそっと感謝を捧げた。
二人はカフェを後にして、市場へ向かった。昼下がりのクリエの町は、人の往来もまばらだ。通りの先から、ビネガーソースの芳しい香りが漂ってくる。
誘われるように、小走りで向かう二人。傾いた看板の掲げられた一軒の小さな店に辿り着くと、軒先で老婦が鍋をかき混ぜていた。期待どおり、ホタルイカのボイルだった。
「いい匂いだね!」
カルザスが声をかけると、老婦はにこやかに応じる。
「味も一級品だよ」
「こんなにたくさん! 見てるだけでおなかが空いてきたよお」とターナも目を輝かせる。
老婦は、ホタルイカを二つの小皿によそった。
「味見するかね。気に入ったら、安くしとくよ」
二人は熱々のイカを頬張る。飾り気のない味付けだが、驚くほど美味だった。
「ぐおっ、これは……!」
カルザスが唸り、ターナは感激のあまり目を潤ませている。
「おばあちゃん、これ全部いただける? 今晩、ちょっとしたパーティがあって、お土産にしたいんだ」
「それはそれは、ありがとねえ。うしし」と老婦は独特の笑い声を上げて続ける。「もう一つオススメがあるよ。この間から仕込んだ鱈の燻製だ」
老婦は、戸口の横で干してある切り身を、二人に手渡した。
「あんまり売りには出さんが。お嬢ちゃん可愛らしいから特別だ」
「もう、おばあちゃんたら!」
破顔するターナは、鱈を口に運ぶと、しばし悶絶する。
「美味い! これ、商品にしないの?」とカルザスも驚愕する。
「鱈は加工せんと卸したほうがええ。これは、地元の酒好きがようやる食べ方じゃ」
「私、これも欲しい! 絶対みんな喜ぶよ!」とターナは大はしゃぎだ。
老婦はイカの水気を丁寧に切り、何重にも紙で包み、鱈の燻製と一緒に手渡した。
代金を支払いながら、カルザスが尋ねる。
「ホタルイカの漁って、今の時期もやってるの?」
「この春の分は、ちょっと前に終わった。次は来年の年明けからだ」
「夜の水揚げも、やってるんだよね」
「やっとる。お客さんを漁船に乗せたりもしてる」
「どういうこと?」とターナが首を傾げる。
「夜のホタルイカ漁って、イカが青く光って、すごく綺麗で幻想的らしいんだ」
「えー、そうなの? 見てみたいなあ!」と弾んだ声で身体を乗り出した。
「来年、一緒においで。わしは、もうお迎えが来とるかもしれんがな。うしし」と老婦は軽口を叩く。「お前さんら、お似合いじゃな。お兄ちゃん、お嬢ちゃんを幸せにしんと。しっかりしなされ」
突然の言葉に、カルザスはどう答えたらいいかわからず口ごもった。すると、顔を綻ばせたターナは、彼の左腕にがばっと抱きつき、素早くフォローした。
「ホントよねえ! 幸せにしてもらうもん。ありがとね、おばあちゃん!」




