第四章 第五節【海辺の休息】
「わあっ。すごいすごい! 空も海も、こんなに青いなんて!」
一時間ちょっとの飛行で、コバルトブルーの二人乗りプランタは、海の広がる上空へとたどり着いた。ターナは、無限の青へと吸い込まれるようなパノラマに、思わず感嘆の声を上げる。
カルザスは、操縦桿と揚力レバーを細かく操作しながら、機体を空間の一点に繋ぎ止めていた。方位ペダルを慎重に踏み込むと、スポットターンが開始される。ターナの視界を、陸と海がゆっくりと交互に横切っていく。
「自分で操縦してるときって、案外、景色が見えてないんだなあ。こんな視界の中を飛んでたなんて……改めて発見した気分!」
興奮を隠せない様子だ。
「操縦中は、よそ見できないからね。でも、周囲に飛行艇がいないのを確認してホバリングすれば、多少は落ち着いて風景を楽しめるよ」
カルザスの声は、ヘッドセットを通して、ターナの左耳に心地よく響く。
「私も、今度は自分でやってみようかな。こんな高いところで停まるのって、ちょっと怖いけど……」
「慣れれば大丈夫。もちろん、気流が悪いときは神経を使うけどね。まあ、そんなときは、逃げるのが一番」
「あはは、そりゃそうだ!」
カルザスは、背中越しに伝わってくるターナの上機嫌な気配を、微笑ましく感じ取っていた。ローラの計略には内心冷や汗をかいたが、こうして空中散歩を二人で楽しめていることに、純粋な満足感を覚える。
「ねえ、カルザス。あの港って、降りられる?」
ターナが、斜め下を指差した。小さな漁港が、眼下に広がっている。
「クリエだね。ポートがあるはずだから、少し休もうか」
「うん。カフェとかあったら、行ってもいい?」
「もちろん」
「やったあ!」
後部座席で、ターナは両手足を広げて喜んだ。カルザスは、揚力レバーを押し込みながら、ゆっくりと降下を開始する。クリエのポートと停泊所は、小さな湾の奥まった場所にあり、ヴァレリとプランタが二機ずつ停泊していた。
プランタは通常、視界と軽量化を優先するため、操縦席前面のみに曲面ガラスを備え、側部と後部は外気に開いている。カルザスの機体も同じ構造だ。後部座席に座るターナは、下降につれて強まる潮風の匂いに胸が高鳴った。
着陸を終え、停泊所でチケットを受け取ると、二人はクリエのメインストリートを歩きながらカフェを探した。昼を過ぎて気温は上昇し、照り返しの熱が身体にまとわりつく。
カルザスは長袖を脱ぎ、下に重ねていた黒の半袖Tシャツ姿になった。
ターナの頬も、いささか上気していた。
「ちょっと、はしたないかもだけど……」
そう言ってワークウェアの前ボタンを外し、袖から腕を抜いた。ネイビーブルーのノースリーブが露わになり、白い二の腕が陽光を弾く。ワークウェアの袖を腰元でぎゅっと結ぶと、その細身のシルエットに、上半身のしなやかな輪郭が自然と浮かび上がった。
カルザスは、視線のやり場に困る。
そんな動揺を知ってか知らずか、ターナは彼の左肘に、そっと右手を添えた。シトラスの甘い香りが、ふわりと漂う。
「ねえ、あれってカフェじゃない? 行ってみようよ」
カルザスは、速くなる鼓動を抑えつけ、彼女が指差す先に向けて歩みを進めた。
年季の入ったオープンカフェを抜けると、外には広いデッキが続いていた。目の前には小さな港が広がり、潮風が優しく通り抜けていく。
二人は木製のテーブルに向かい合って座り、アイスコーヒーを片手に、シャイナの丘で出会って以来初めて、落ち着いた会話を楽しんだ。
カルザスは、貿易商として巡った汎大陸各地の見聞を語り、ターナも、王女として訪れた都市の印象を次々と披露する。どの話題も互いの好奇心を刺激し、会話は自然と弾んだ。また、言葉を交わすたび、相手の性格が少しずつ姿を現し、それが互いへの興味をさらに深めていく。
ターナは、いつも朗らかで笑顔を絶やさず、カルザスの言葉に感情豊かに応じた。王族という立場を微塵も鼻にかけず、まるで旧知の友と語り合うかのように、その言葉には、常に温かな共感が宿っていた。そんな彼女の振る舞いに、カルザスの語り口も、いつのまにか饒舌になっていった。
ひとしきり話が弾んだ後、ターナは、ふとした疑問を口にする。
「カルザスって、どうして貿易商になろうと思ったの?」
「うーん……難しいな。他に、選択肢がなかったからかな」
「いつから始めたの?」
「船長に拾われたのが、十二歳。それからだね」
「拾われた……?」
「うん。俺、孤児院育ちなんだ。船長に、買われたんだよ」
「あっ……」
ターナは、カルザスには両親がいないことを思い出し、言葉を詰まらせた。無遠慮に立ち入ってしまったのではないかと、気まずさが胸をよぎる。
「……ごめん」
「ちょっと待って」とカルザスは、笑顔で彼女を制した。「大丈夫。全然、気を遣わなくていいんだ。言わば、人生の潮目が変わった瞬間だから。むしろ、ターナにも聞いて欲しいかな」
「……そうなの?」
「うん。少し、つきあってくれる?」
柔らかな風と波の音が絶え間なく二人の耳を撫でる中、カルザスは八年前の出来事を語り始めた。




