第三章 第二節【自治区制圧】
アライアル号の三人——ジョシュア、ギル、カルザスは、タンデス自治区の首府コロキスに滞在していた。町の中心部にほど近い「パスカル造船工業」の本社応接室で、社長のウェイン・パスカルと向かい合う。
「いやいや。助かったよ、ジョシュア。こういう無理を頼めるのは、お前さんくらいだからな」
「たまたま他の仕事がなかったからな。まあ、あんたじゃなかったら断ってたかもしれん」
「こそばゆいこと言いやがって。だが、おだてたって何も出て来ねえぞ?」
「期待してねえよ」
「はっはっは。相変わらずむかつく野郎だぜ」
仕事を切らして手持ち無沙汰のジョシュアに、ウェインが運送を依頼したのは、三日前のことだった。ジブ帝国南西のフルベルトから、大量の合金鋼を至急入荷したいとのこと。アライアル号はその日のうちにネルフィを発ち、翌日には目的地に到着した。目的の品を買い付けて船に積載し、直ちにコロキスに向かう。昨夜遅くに納品を終え、今朝になって本社を訪れたのだった。黒十字との一悶着からちょうど二週間後、黒十字の幹部会の翌々日のことである。
「それにしても、マイルでお前ら一体何やらかしたんだ? 噂が膨らみすぎて、もう何が本当だかわかりゃしねえ」
「どんな尾ひれがついてんだ?」
「船長が一人で黒十字を壊滅させたとか」
「馬鹿言え! 噂ってやつは、独り歩きすると、とんでもないことになるな」
「そのうち飽きて、みんな忘れるさ」
「カルザスがちょっと黒十字を怒らせて、一発殴られただけだよ」
「そんな喧嘩なら、市場に行きゃ、毎日見られるな」
「そうそう。襲撃とタイミングが被ってたから、騒がれただけさ」
「俺としては、おかげで暇な連中に仕事を頼めて、運が良かったけどな」
生前のコールマンとよく取引をしていた縁で、その死後も、ウェインはジョシュアを何かと気にかけていた。豪放な言動の割に、面倒見の良い男だ。
パスカル造船工業では、船舶や飛行艇の部品を製造している。同様の一次加工業がタンデス自治区には多く集まっている。これは、特定国家に属さなかった歴史と、住民の多くが工場労働者という地域性による。行政局はあるものの、職員はメスカ王国とジブ帝国の出向者で構成され、法制度や司法機能も両国に依存している。
そろそろ昼食をと思い立って四人が立ち上がったとき、ウェインの無線機が鳴った。受送話器を取って応答する。
「おお、久しぶりだな。どうした? ……何! 黒十字が?」
彼の放った最後の単語に、アライアル号の三人は、揃って肩をぴくりとさせる。
「東に向かってるって……。わかった。外出は控える。知らせてくれてありがとう」
無線を切ったウェインは、事業所や工場へ一斉に指示を出すために、周波数を切り替える。その合間に、低い声で三人に告げる。
「黒十字の一団が、コロキスに侵入したそうだ。自警団が慌てて動き出してる」
「国境警備隊は何をしてたんだ?」とジョシュアが問い返す。
「検問は通ってないらしい。人目を避けて国境を越えて、自治区内を突っ切ってきたようだな」
「何のために、わざわざコロキスまで?」
「行政局が狙いか。自治区ごと制圧しにきたな。ただの襲撃なら、国境近くの町を狙えば済む話だ」
「ピンと来ねえなあ。諸侯が領土争いしてた何百年前の話じゃあるまいし」とジョシュアは怪訝な表情だ。
「うっすらと気配は漂ってたよ。同業者では噂になってた」と物騒な見解を語るウェインはそれでも冷静だ。「自治区といえば聞こえはいいが、メスカとジブが牽制し合って、タンデスの統治権に手を付けなかっただけだ。どこかの暴れん坊が、丸ごと欲しがっても不思議じゃない」
アライアル号の三人はまだ半信半疑だったが、タンデスに住む者が、その兆候を感じていたという事実は軽くない。
ウェインは窓を開けて外を覗いた。視界に異変はないが、西側がざわついているようだ。
無線で従業員に外出禁止を命じると、三人を促す。
「ここからじゃ様子が見えん。屋上に出よう」
五階の建物の屋上から眺める空は、一面が雲で覆われていた。湿った空気が肌にまとわりつく。
昼とは思えぬ薄暗さの中、地鳴りのような音が、西から断続的に耳に入る。
大通りの東、三ブロック先に行政局が建つ。仮に黒十字が行政局を制圧しても、正当な統治権が保障されるわけではない。だが、実効支配を既成事実化できれば、国際的にも一定の発言力を持つことは否定されない——それが現実だ。
徐々に喧騒が近づくなか、ウェインが声を押し殺す。
「見ろ。黒いのがお出でなすった」
通りの奥に、馬に乗った黒十字の一団が現れた。ほどなくして、行政局側から自警団が駆けつけ、双方が通りを挟んで対峙する。
四人は身を伏せ、屋上からその光景を見守った。
黒十字は数十人。対する自警団はそれを大きく上回る。が、人数の差など構わず、黒十字側が先に仕掛けた。咆哮とともに突撃し、騎乗の戦闘が始まる。
「……だめだな、黒十字のほうが戦い慣れてる」
実戦経験に乏しい自警団は、目に見えて押し込まれていた。勝敗の天秤は、ほんの数分で傾き始めた。
特に目を引いたのは、小柄なひとりの隊員だった。まさに獅子奮迅のごとく、次々と自警団を薙ぎ倒した。動きは疾風のように速く、隙も無駄もまったく窺えない。
「なんだあれ……目茶苦茶強いな。しかも、女か?」とジョシュアが目を見開く。
女は、真紅のリボンで黒髪を後ろに束ねていた。背丈を超える長大なスピアを盾のごとく操り、その小柄な体躯に見合わぬ重量のブロードソードを易々と振るう。自警団の誰もが一太刀浴びせるどころか、彼女に触れることすらできない。瞬く間に二十名近くの者が、文字どおり一撃で仕留められ、戦場から排除されていった。
「サイカ! ここはもういい! 俺たちと一緒に行政局へ向かうぞ!」
後方から叫ぶ男の声が響いた。その主を見て、ジョシュアは眉をひそめる。
「マイルで見かけた中間管理職だ。それにしても、目つきわりーな」
そのとき、サイカと呼ばれた女が、建物の屋上に視線を上げた。身を潜める四人と目が合う。
血の色に染まった眼球。飛沫にまみれた蒼白の頬。口元には不敵な笑み。長く重い武器を軽々と両手に構えるその姿は、見る者を戦慄させるに十分だった。その血塗られた狂気とは裏腹に、手首で揺れる花編みのブレスレットが、異様な違和感を放っていた。
サイカらは、行政局に向かって馬を走らせた。自警団の残兵はもはや戦意を喪失し、降伏の意思を示す者も現れた。
「……話にならんな。覚悟を決めたほうがよさそうだ」とウェインは諦め顔だ。
「大丈夫か? 確かに、行政局の仕事はいい加減だったけどよ、少なくとも商売は自由にできてたよな」とジョシュアが案ずる。
「まずは自分の心配をしろや。こっちは仕事が回せれば、問題ない。蛮族だろうと構わん。いざとなれば逃げるだけだ」とその返事は乾いていた。
事務所に戻ったウェインは、社内に無線連絡を再開する。アライアル号の三人はソファに腰を下ろし、額を寄せ合った。
「……俺たちのいるときに限って、黒十字が現れるのって、気のせいですかね」とカルザスがぼやく。
「自意識過剰だろ」とジョシュアは苦虫を噛み潰したような表情だ。
「でも、このままコロキスにいたら、危ない気がするんですけど」とギルが問う。
「そりゃそうだろ。俺たちは面も割れてるんだぞ。何されるか、わかったもんじゃねえ」
「面だけじゃなくて、名前も割れてますよね」
「え?」
「船長、黒十字に自己紹介してましたよね。アライアル号って」
「嘘……だろ? 俺、そんなこと言ったか?」
「言いましたよ。マイルで睨み合ったときに。男前でしたけど、あれは不用意です」
ギルの沈着な評価に、ジョシュアは手で顔を覆い、呻く。
ウェインが、それを聞いて薄笑いを浮かべた。
「お前、そうやって自分に酔うところは、昔っから変わらねえな。脱出するのがバレたら、船籍コードを照合されて、あっという間に足がつくぞ」
「じゃあ、夜逃げってことか……。情けなくて泣けてきたわ」
アライアル号の三人は、揃って深い溜め息をついた。
そのとき、共通周波数にて一本の無線が入る。
「コロキス行政局より、タンデス自治区全域に通達をする。これから伝える内容は、最重要事項である。確実に聴取するように」
「セレモニーが始まったな。乗っ取りの宣言だ」とウェインは顔をしかめた。
戦闘はすでに収まったようだが、ひっきりなしに黒十字の馬が往来する。自警団の姿は消え、国境警備隊はまだどこにも見当たらない。
「我々は、ギルザの地に住む黒十字解放戦線である。さきほど、タンデス自治区コロキスの全域を制圧した。現時点をもって、タンデス自治区の統治権は、我々解放戦線が掌握することになる。では、自治区行政局長より、統治権の禅譲を宣言してもらおう」
「私……は、タンデス自治区行政局長のエミリオ・シムズだ」と局長の声は震える。「これまでの行政局による統治権を放棄し、黒十字解放戦線のレオ・サヴォイ将軍に委譲することを、ここに宣言する。自治区全域の住民、行政局関係者、国境警備隊の諸君、以後はレオ・サヴォイ将軍の指示に従うように。以上、私からの最後の命令とする」
「聞いてのとおり、一切の権限は私、レオ・サヴォイが預かる。国境警備隊は持ち場に戻り、次の指示があるまでは国境を封鎖せよ」
「信じられんな」とジョシュアは呆れる。「占領って、こんなに簡単にできるもんなの? ほとんど、無血開城じゃねえか」
「自治区なんざ、誰も真面目に守る気なんかねえんだよ。むしろ、今まで持ち堪えてたのが、不思議ってもんだ」とウェインはぼやくしかない。
レオは続けて、域内の商行為を制限する旨など、様々な具体的指示を告げた。そして最後にこう付け加えた。
「なお、自治区内で停泊中の船舶は、当面、国境を越えることを禁ずる。船籍を確認次第、順次、移動許可を出す」
ジョシュアは静かに決断した。
「……今晩、発つ。南東に飛んで、メスカに逃げ込むのが、一番手っ取り早い。ウェイン、ここで情報を集めさせてくれ。それ以上の迷惑はかけない」
「そりゃ構わんが。何か、手伝うことがあるか?」
「待て。これから、独り言を話す」とジョシュアは手を挙げて制した。「夜が更けて、ウェインが寝ちまった後、工場の鍵をこっそり拝借して、船に向かおう。着いたら直ちに離陸して、国境まで逃げる」
「おい……」
「だが、表向きのシナリオはこうだ。ウェインは、黒十字に俺たちを引き渡すつもりだった。ところが、俺たちは夜中に隙を見て逃げ出した。それに気づいて地団駄を踏んで悔しがった」とアライアル号船長は念を押す。「俺たちはともかく、コロキスに会社を構える社長様が、黒十字を敵に回すのはまずいからな」
ジョシュアの配慮は直ちに伝わった。苦笑するウェインは、わざとらしく呟く。
「こんなろくでもない日は、従業員全員、残業なしで帰宅させるか。俺も酒飲んでさっさと寝ちまおう。工場の鍵は——いつもどおり、デスクの一番上の引き出しに片付けておこうか」




