第二章 第四節【麗しき決断】
ミーシャの店でカルザスが散々からかわれた翌日の朝。ターナは、アレンジした花を両腕に抱え、ユージンとともに宮廷の広い廊下を歩いていた。サーモンピンクのスプレーローズとビバーナム・スノーボールの組み合わせ。ペールブルーの陶器製の花瓶とともに、夏に向かう清涼感を存分に演出する。
向かう先は、宮廷医オスカー・ダイの寝室だ。
二年前から体調を崩したこの老医師は、無理をすると息苦しさを覚えるため、滅多に自室を出なくなった。今は、医師としての職務のほとんどを息子バイロンに譲り、自らは静養に努めていた。
扉を開けると、オスカーは身体を起こしてベッドに座っていた。二人の姿を見るなり、慌てて立ち上がろうとする。
「いいのよ。そのまま休んでいて」とターナは制止した。「可愛いお花が手に入ったの。お部屋に飾らせてもらえる?」
オスカーは、顔をくしゃくしゃにして感激する。
「ターナ様。勿体のうございます。私ごときに、そのような畏れ多いことは……」
「大げさね! 陛下の執務室にも飾ったのよ。私も楽しんでるから、気にしないで」と朝の陽光を浴びて彼女は微笑む。「ほら、気持ちが明るくなるでしょ。オスカーの養生に少しでも役立てば、嬉しいわ」
「そんな……。いつもいつも、ターナ様のお心遣いに、どれほど救われているか。私は何もお返しできず、申し訳なく思うばかりです」
オスカーは顔を覆い、今にも泣き出しそうだった。
それを見て、ユージンが朗らかに話しかける。
「いつも生真面目だね。私たちは、家族みたいなものじゃないか。バイロンを見習ったらどうだ。ターナを大声で叱り飛ばしてるぞ」
「いや、バイロンには、立場をわきまえよと、口を酸っぱくして諌めているのですが。まことに申し訳なく……」
「そんなふうに気を遣い続けたら、病気がひどくなるよ。私より長生きしてくれないと困るからね、オスカー」
ユージンは冗談めかして笑った。
「よく存じ上げております。それこそが宮廷医の使命ですから」
オスカーは顔を引き締めて答えた。
「そうよ、元気にならないと!」
ターナがにこやかに語りかける。
オスカーとバイロンの家系は、代々マイヤー家の宮廷医を務めてきた。王家は宮廷医を親しい友人のように遇してきた。ユージンは若い頃に、オスカーに対等な言葉遣いを求めたことがある。だが、彼は決して頷かなかった。ただの一言たりとも、礼を失した言葉を口にせず、臣下としての謹みを貫いたのだ。
ターナとバイロンの砕けた関係とは、対照的だ。
ターナは、一足先に自室に戻った。ユージンはオスカーと世間話を続けている。
テーブルの前に立つと、余った切り花の茎を短めにカットし、背の低いガラスの花瓶に挿した。窓辺から届く風が、甘い花の香りを部屋に広げる。自らのデスクの隅に飾り、満足げに頷いた。
この日の彼女は、紺とクリーム色のボーダーのカットソーに、濃いオリーブ色のワイドパンツというラフな装いだった。身体のラインを拾わないゆったりとしたシルエットが、彼女のまとう空気を一層軽やかに見せている。
ターナは、後片づけを済ませると、椅子に座って手帳に目を走らせた。
最近はユージンの公務を手伝う機会が増え、予定が詰まることもしばしばだ。グリフら家庭教師の講義もコンスタントに組まれているが、少し座学を減らしたいと思案している。
ところが、今日に限って、夕方まで予定が空いていることに気づく。
——こっそり外出できるかも。
胸が弾む。しばらく宮廷に閉じ込められていることへの不満が、改めて脳裏をよぎった。
手帳を遡る。最後に外出したのは、プランタを壊した二週間前だった。そういえば、あのとき怒られて、外出禁止を命じられたのだった。
——もう、誰も覚えてないよね。
ターナはくすくす笑う。
窓から空を見上げる。二週間前のシャイナの丘も、今日のような青空だった。遠くまで広がる草原、そしてプランタを応急処置してくれた、あの男性のことを思い出す。
——どこの人だったのだろう。何をしている人なのだろう。プランタに詳しく、ブリッツも読破していて、不思議な人だった。またどこかで会えたら、面白いだろうな。でも、外出しなければ、そんな偶然も訪れないよね。
我ながら突飛な想像だと、小さく肩をすくめた。再び手帳を開き、明日以降の予定を確認する。外出するなら、今日しかない。
「そうよ。決断すればいいだけ。難しい話じゃないわ!」
ターナは、勢いよく立ち上がった。




