第二章 第二節【酒盛りの肴】
カルザスがローラを訪れた日の夜、アライアル号の三人は、逗留地であるネルフィのグリル&パブ「コーレル」で、夕食という名の宴会の真っ只中にあった。店内は客の笑い声に満ち、アルコールと食用油の香ばしさが食欲を掻き立てる。
彼らは、一悶着起こした商港マイルをその夜に発ち、クラム湖を経て、同じジブ領の小さな町ケラインへ移動した。元々は四日間ほど停泊する予定だった。
しかし、噂は人より速く伝わる。取引先はじめケラインの人々は、マイルでの騒動をすでに耳にしていた。表立って話題にはしなかったものの、誰もが三人を不審に思い、冷たい視線を浴びせた。居心地の悪さもあり、仕事を済ませた翌日にアライアル号はケラインを後にした。
向かった先のネルフィは、ミューネの南に位置する。グランブル貿易の拠点ともいうべき町だ。取引先や知人も多く、ジョシュア、ギル、カルザスは、やっと気分を落ち着けることができた。
そしてこの日、三人は行きつけの一つであるコーレル夫妻の店を訪れた。
妻のミーシャは四十代半ばの、恰幅のいい陽気な女性だ。豪快に笑い、ジョシュア以下三人を、弟か息子のように可愛がっている。この日はテラコッタのブラウスにバーガンディのロングスカートを身に着けていた。腰を覆うサンドカラーのエプロンは年季の入ったものだ。ライトブラウンの髪を後ろでまとめている。
夫のバートは、ミーシャより一歳年下で、さらに二回り大きな体格を誇る。インディゴブルーのヘンリーネックシャツの袖をたくし上げ、丸太のような腕が雄々しい。ダークブラウンのフルエプロンが似合っている。ただ、お喋りは苦手で、会話の九割八分はその妻が担うことになる。
普段は厨房を夫婦で切り盛りしているが、宴もたけなわになると、ミーシャは客席で呑み始め、バートが一人で調理を担うことになる。今宵も彼女は、すっかりジョシュア一行に溶け込んでいた。
「まあ、ほとぼりが冷めるまで、ここにいなよ。匿ってやるからさ。空を飛んでばかりいないで、たまには地に足を着けるのも悪くないよ」
ミーシャは、顔を真っ赤にして三人にビールを注ぐ。
「しばらく大人しくしとくかな。当分、大きな受注もないし。ったく、やってくれるよ、このバカは」
ジョシュアはカルザスの頭を軽く叩いて悪態をつく。
「だから、謝ってるじゃないですか……。トイレ掃除も毎日やってるでしょ」
「お前な、本来はそれどころの騒ぎじゃないんだぞ。ああいうトラブルが重なると、果ては商売ができなくなっちまう。昔の偉い人は、こう言うんだ。『悪事千里を走る』ってな」
「反省してます。本当に」
カルザスは、がっくりと肩を落とす。
「そんなに、わあわあ言いなさんな。ジョシュアだって、若い頃はやんちゃで大変だったんだからね。忘れたとは言わせないよ」とミーシャが睨みつける。
「忘れた」とジョシュアはとぼけた。「というか、やんちゃじゃないって。品行方正、公明正大が俺のキャッチフレーズだもんね」
「よく言うよ。コールマンが、あんたのせいで、どれだけ下げなくてもいい頭を下げたか。ねえ、バート」
「……」
押し黙るバートは、サラダ用のニンジンに包丁を入れる手を止め、感極まった顔で立ち尽くしていた。
「ちょっと、どうしたんだい」とミーシャが声をかける。
バートは涙ぐみ、巨躯に似合わぬ小声を漏らした。短い黒髪がかすかに揺れる。
「コールマンのこと……思い出したら……泣けてきた……」
一同は、思いも寄らぬ反応に驚く。
「おいっ、ミーシャ! コールマンの名前を出すなって。面倒くさいだろ!」
ジョシュアは、不貞腐れて横を向いた。
「ああ、もう、辛気臭いねえ。泣くこたあないだろ」
「だってよ……あんなに、できた奴……」
「いい加減にしなよ! 参ったね、もう……」
ミーシャまでも口をつぐんでしまった。カルザスとギルは事情がわからず、茫然としている。新メニューとして出された「鶏肉の白ワイン蒸し」の香ばしさが、存在感を放っている。
業を煮やして、ジョシュアが割って入った。
「はいはい、はいはい! お通夜はおしまい! バートも泣くなよ。家に帰ったら、ミーシャに首を締められるぞ!」
「失礼なこと言ってくれるね」
ミーシャは口を尖らせた。
ジョシュアは立ち上がり、カウンター越しにバートを見上げ、にやにやと笑う。
「実は、前から聞きたいことがあったんだよな。この際、はっきりしてもらおうか」
バートは狼狽えた表情で立ち尽くす。
「お前、どうやってミーシャを口説いたんだ? 今の姿からは、欠片も想像できないんだよな。甘〜い言葉を耳元で囁いたりとか、したんか?」
「なっ……」とバートは顔を引きつらせた。「俺は……」
「俺は、何だよ? 寡黙なダンディズム気取ってるけどさ、思い返すのも恥ずかしいような口説き文句、垂れ流してたんじゃねーの」
「や、やめなよ、ジョシュア! そんなの、どうだっていいだろ!」
ミーシャが慌てふためく。顔がさらに真っ赤に染まる。
「照れなさんなって。ミーシャは、バートにベタ惚れだかんな」とジョシュアは畳みかけた。「今と違って、若い頃はスレンダー美人だったらしいからな。うひょー! 妬けるぜ!」
「ほんっと、根性汚いわね」とミーシャは呆れる。
カルザスとギルも、この絡み酒には引き気味だ。
「へんなスイッチ入った。ああなると、止まらないからなあ」とギルがぼやく。
「いやいや、そうじゃない。おめーらの昔の惚れた腫れたになんて、興味ねーよ。そういう話じゃなくてさ」とジョシュアは訂正を入れる。「バートに聞きたいのはな、お前みたいな奥手な奴が、どうやって憧れの女子を口説いたのかってことだ。そのへんの手練手管を、カルザスに教えてやってほしいわけさ」
カルザスは、突然矛先を向けられ、面食らった。
「カルザスが、どうしたんだい?」
ミーシャが興味津々で首を突っ込む。
「よく聞いてくれた!」
ジョシュアは、講談師のようなリズムで喋り始めた。
「例えばだ。ろくに女に免疫のない成年男子が、偶然、美しく気立てのいい女性と出会ったとしよう。名前も聞けずに別れちまったが、寝ても覚めても、その子のことが気になって仕方がない!」
カルザスの血の気が引く。
「そこで、バートに質問だ。お前だったら、どうする?」
ジョシュアは、厨房のバートに指を突きつける。
「そして、ミーシャにも質問だ。お前だったら、どうしてもらいたい?」
今度は、テーブルに座るミーシャを指差す。
「これが今宵の議題だ。とことん、話し合おうぜ!」
「ちょっと待ちな。討論は構わないけど、何があったか聞かせてもらわないと、バートだって意見が出せないだろうさ」
ミーシャは好奇心丸出しで、カルザスに詰め寄る。
「さあ、説明してもらおうか!」
「どうなってんだよ!」とカルザスは抗議する。「あっさり勝ち馬に乗りやがって! あんたらの馴れ初め話は、どこに行っちまったんだ!」
「だからさ、アタシたちの経験談を、ちょっとだけ話すのはいいさ。でも、大義を見失っちゃだめだよ。すべては、この若き貿易商の輝かしい未来のためさ!」
ミーシャはカルザスの右肩を叩き、大声で笑った。
「その恩着せがましい態度! 腹立つんですけど!」
すると、ギルもカルザスの左肩を叩いて、止めを刺す。
「俺は、勝ち馬とか裏切り者とか言われても、面白いほうに乗るだけだぜ」




