第十一章 第四節【応接室の罠】
イーストンに引導を渡した十日後のこの日、バクスターは、メスカ王国のミューネにある「国際貿易協会」の殺風景な応接室で、ロングソファに腰を下ろし、人を待っていた。
目元だけを穿った黒頭巾に、ベージュのストローハット。濃いグレイのワークウェアに黒の長いブーツという普段どおりの姿だった。ただ、真夏の装いとしては重厚すぎる。
しばらくして、部屋の戸口から声がした。
「こんなところにお呼び立てして申し訳ない。忙しいところ、ご足労いただいた」
うっすらと笑みを浮かべて現れたのは、ジョシュアだった。
「コールマンの取り巻きか」とバクスターは不愉快そうに言い放つ。「お前に用などないぞ。今日は『協会』の会長に呼ばれて来てるんだ。邪魔だから、さっさと消えろ」
「バクスター・レンジ殿ともあろう者が、そんな戯れ言を信じて、のこのこやって来たわけですか。意外とチョロいもんですな」
「何だと?」とバクスターは覆面の奥からジョシュアを睨みつけたが、すぐに状況を察する。「そうか。謀りやがったか」
「ほほう。物わかりだけは早いとみえる」
「手紙は偽造か? 会長のサインには見覚えがあったんだがな」
「本物だよ。我々には、大きな後ろ盾がいるのでね。会長にサインの一つや二つ書かせるのは、造作もない」
ジョシュアはにやにやと笑う。
「えげつないことをするな」とバクスターは吐き捨てる。「で、何の用だ。面倒くせえから、さっさと済ませてくれ」
「まあ、そう慌てなさんな」とジョシュアは向かいのソファに腰を下ろした。「俺個人としては、コールマンのことについて山ほど聞きたいことがある。だが、それは別の機会でいい。いつか、たっぷり絞り取ってやる」
「何を言っているのか、さっぱりわからんな」
バクスターの声は、覆面のせいでくぐもる。
ジョシュアは姿勢を正す。黒の半袖Tシャツに、グレーの薄手のカーゴパンツという軽装だ。四日前にさっぱりと髪を切ったが、もみ上げには汗が浮かんでいる。
「それはそうと、バクスター殿。『面通し』ってのはご存じか?」
「は? 何の話だ」
「何らかの事件の関係者に、容疑者の顔を確認させることだ」
その表情はまったく読めない。
「騙し討ちばかりで悪いんだが、あんたの正体を知りたくてな。こうしてお呼び立てしたわけだ」とジョシュアは不敵な笑みを浮かべる。「そのために、人を待たせている。この戸口の向こうにな」
その言葉を合図に、開いた扉の向こうから、小柄な人影が現れる。
ターナだ。ライトブルーのブラウスに、チェスナットブラウンのスラックスをすっきりと着こなしていた。ナチュラルメイクの瑞々しさと、ほのかなシトラスの香りが、部屋の暑苦しさをいくらか和らげた。ただ、包帯と三角巾で固定された右腕は、依然として痛々しい。
ギルに付き添われて、彼女はゆっくりと歩み寄る。ジョシュアはバクスターを睨んだまま、姿勢を変えずに言葉を発する。
「メスカ王国国王代理、ターナ・マイヤー殿下。この男の『声』に聞き覚えはありますかな」
ターナは慈愛に満ちた微笑みを湛える。
「ええ。よく存じ上げています。父の国葬以来でしょうか」と目の前の覆面の男に、深碧の視線を向ける。「お世話になっております。ジブ帝国皇帝、モーリス・カイト殿。ミレニア殿のご機嫌はいかがですか?」
バクスターは微動だにしない。
「ここに、ある調査報告がある」
ジョシュアは、ローラから渡された紙束を見せた。ターナは落ち着いた所作で、その隣に腰を下ろす。
「バクスター・レンジ商会と、黒十字解放戦線のレオ・サヴォイ将軍の取引記録の一端だ。間にペーパーカンパニーを噛ませているが、追跡するのは難しくない」
バクスターは言葉を発しない。視線の先も判然としなかった。
「実は、ダミー会社の履歴の中に、妙なものが一件だけ混ざっていた。キスベニア商事とジブ帝国国防軍の取引だ。内容はオイルサーディン二十缶。価格や周辺の情報から察するに、小銃二十挺とみるのが自然だ」
ジョシュアは不快そうに顔をしかめた。記録の内容だけがその理由ではない。目の前の男から反応が認められないことにも、苛立ちを覚えている。
「キスベニア商事は、ネストリア帝国の貿易会社だ。バクスター・レンジ商会にとっては、西大陸側の取引窓口のようなものだな。まあ、それ自体は問題じゃない」とジョシュアは紙束を捲る。「ここからが本題だ。件の缶詰めの取引に、『イーストバレイ商事』と『ノースヒル貿易』が噛んでいる。こいつらは、黒十字に武器が流れる際、必ず間に挟まれていたペーパーカンパニーだ。お前さんが使うダミー会社と同じものが、ジブ帝国の取引にも使われているのは、どういうわけだ? もちろん、偶然の一致なんかじゃねえ」
ターナは表情を崩さない。それがかえって怖いと、横に立つギルは冷や汗をかいていた。
「考え方はいろいろあろうよ。ただ、ジブ皇帝モーリス・カイトとバクスター・レンジが同一人物だとすれば、すべての辻褄は合う。あまりに突飛だとは思ったが、ターナがお前の声を確認した以上、それが事実なんだろうな」とジョシュアは苦々しげに続ける。「想像するに、急遽、小銃を大量に入手できることになったが、違法な取引だから隠したい。そこで慌てて、黒十字との取引に使っていたダミー会社を噛ませた。わざわざ履歴に探りを入れる奴はいないと、高を括ったってところか?」
ターナは顔色一つ変えずに言葉を継いだ。
「油断しましたね。この取引履歴がなければ、私がここに来ることはなかったでしょう。確かに、あなたはこれまで上手く立ち回りました。ですが、隠さなければならない振る舞いは、小さな綻びからでも容易に崩れるものです」
「そんなものは出鱈目だと、俺がしらばっくれたらどうするつもりだ?」とバクスターは低い声で唸った。「あるいは、足元の小銃でお前らの脳味噌を吹き飛ばしてから高飛びするという筋書きはどうだ。『窮鼠、猫を噛む』とも言うだろう」
「私の知るモーリス殿は、そういう往生際の悪い方ではありません。私の父と思想は異なっていたとしても、国を統べる者としての誇りはお持ちだと信じています。もちろん、闇商人のほうが本来の姿なのであれば、騙された私が愚かだったということですが……」とターナは悲しげな眼差しを向ける。「外には、メスカ王国の警察官と衛兵が待機しています。バクスター・レンジとしての武器密輸、信義にもとる高額取引だけならまだしも、ジブ帝国皇帝自らがそのような行為に手を染めていたとなれば、見逃すわけには参りません」
ターナの視線が闇商人を真っ直ぐ射抜く。
「残念ながら、あなたの命運は尽きました。『声』は嘘をつきません。それでも、猫を噛む鼠に化けるおつもりですか?」
「なるほど。ずいぶんと手際のよろしいことで」
バクスターは覆面の奥からターナを見つめた。そして、口調をモーリスのそれへ寄せ、静かに呟く。
「以前、私は申し上げましたな。メスカ王国の跡取りは、美しく、凛々しく、賢いと。ユージン殿の最大の功績だ。驚嘆に値するよ」
ターナは、ジョシュアとギルに視線を送り、わずかに口角を上げた。そして、バクスターに向き直り、慈悲深い表情で、優しく語りかける。
「モーリス殿。その暑苦しい覆面を外して、少し話をしませんか? もう、真夏じゃないですか」




