第十一章 第三節【絡まる髪と】
「はあっ? 何それ。バッカじゃないの?」
「いて、痛え! 櫛、引っかかってる。何やってんだ?」
「あ、ごめん」
アニタは一度手を止め、ジョシュアの絡まった髪をほぐした。
「そんなんで心が乱れてるようじゃ、プロフェッショナルとは言えねえな」
「アンタこそ、部下を危険に晒して怪我させるなんて、いい加減な仕事するんじゃないよ」
ファビオと宮廷で面談した四日後、ジョシュアは夏のドリスを訪れていた。アニタの美容室は、窓を開け放つと風の通り道となるため、外よりもいくらか涼しげだ。
ギルとカルザスを連れて来た日から、ちょうど三週間が経っていた。この日の客は、ジョシュアだけだ。ギルは別件の仕事中、カルザスは怪我の治療中で不在にしている。
アニタは、男物の薄いレモン色のワイシャツに、ベージュのワイドパンツを合わせていた。花瓶に飾られた紫のリシアンサスの花とともに、清涼感を振りまく。
「宮廷のドンパチに横槍を入れるカルザスもどうかしてるけど、アンタはどうしてそれを止めなかったわけ?」
「そうは言っても、姫君を守るって約束しちまったんだ。グランブル貿易は、契約を大切にする信用第一の……」
「それで揚げ句の果てに、惚れた王女に腹を刺されたって? 暑さで頭がやられたとしか思えないわ」
「仕方ねえだろ。俺は部下の色恋沙汰には口出ししねえ主義なんだよ」
「何言ってんの。部下の恋愛に社運を賭けてるようにしか見えないんだけど」
「どんだけイタい会社だよ!」とジョシュアはアニタの暴言にたじろぐ。「何でそんなに怒るわけ? てか、お前、カルザスに惚れた?」
「冗談よして! ただ、気に入らないのよ」
散髪を終えたアニタは、乱暴にカットクロスを外す。
「私はね、身分違いの恋愛なんかやめとけって、カルザスに散々言い聞かせたのよ。どうせ叶わないのに。どうしてわかんないのかなあ……」
「お前さ、上流階級に恨みでもあんの?」
「その女も女よ!」と矛先を変える。「庶民に色目使うなんて、気持ち悪いったらありゃしない。王族に誘われたら、下々は断れるわけないじゃないか。弄ぶのも大概にしとけって話さ」
憤懣やる方ない様子のアニタの横顔をそっと見る。気のせいか、彼女の目にはうっすら涙が浮かんでいるようにも見えた。それがなぜなのか、ジョシュアは知る由もない。
「庇うわけじゃないが、ターナは真っ当な女だぜ。王室だからって踏ん反り返ってるわけでもないしな。男を転がして楽しむような策士じゃねえよ」
アニタは冷ややかな目で、後片づけを始める。
「だから、カルザスに相応しい女だって言いたいの?」
「あ、いいこと思いついたぜ」とジョシュアが話の腰を折る。「ターナの髪を切りに行ったらどうだ? アニタの腕なら問題ないしな。いろいろ喋るうちに、王女様の本音もわかるかもしれんぞ」
「何でわざわざアタシが? お話にならないわ」と目を剥いて反発する。
「エグゼクティブを客にするのは、商売として正解だぞ。お抱えにでもなりゃ、一生安泰だぜ。貿易商の安い髪を切って、満足してる場合じゃねえよ」
「髪に尊いも卑しいもないよ」
「いいじゃねえか。いつか、姫様に推薦しておくぜ」
「ただ、面白がってるだけだろ?」とアニタは顔をしかめる。「アタシを放り込んで、引っ掻き回そうって腹かい」
「部下には、よくできた女とくっついてもらいたいだけだよ。アニタでもターナでも、どっちでも構わんさ」
「適当だねえ」
「それとも、何だ? 自信ねえの?」
「安い挑発、かますんじゃないわよ」とアニタはジョシュアの左肩を軽くはたいた。「アタシにかかりゃ、どんなに捻じ曲がった髪でも、お望みどおりにセットしてあげるわ。王女がナンボのもんよ!」
ジョシュアは苦笑し、アニタに聞こえないように呟いた。
「安い挑発に乗りやがって」




