第十一章 第二節【逢瀬を重ね】
「それでね、夕方の会議になれば、さすがに履き替えてくると思ってたの。だって、お手洗いのときとかに、足元って目に入るじゃない。お昼から何時間も猶予があったのよ。そうしたらね、会議に現れたときも、まだ靴下が色違いなの! もう、可笑しすぎて……。しかもエドワードったら、大真面目な顔で黒十字対応の報告をするんだもん。私の頭の中は靴下で一杯。笑いを堪えるだけで精一杯よ!」
ターナはカルザスの部屋に押しかけ、先ほどの会議の様子を愉快げに話して聞かせていた。
「ははは。こっそりターナが教えてあげたらよかったのに」
「実は、それが微妙なのよ」と身を乗り出して続ける。「私が教えちゃうと、めちゃくちゃ恐縮されて、後から家族揃って謝罪に来ることになるの。『お見苦しい姿で誠に申し訳ありません!』って、額を床にこすりつける勢いで。そんなの全然求めてないのに。かえって、私が気を遣っちゃう」
「ええっ? そんなに大げさな話になるんだ……」
「そうなのよ。だから結局、靴下は色違いのまま! マーサが気づいたらどんな顔するか想像するだけで、笑い出しそうになって……。会議に集中なんかできるわけないよ!」
ターナがサイカと和解した二日後の夕暮れ時。昼の暑さが徐々に和らぐ中、ひぐらしの鳴き声が断続的に響いていた。二人は部屋の中央のテーブルを挟み、アイスコーヒーを前に語らっている。
この日のターナは、インディゴのサマーニットに、ライトベージュのラップスカート、黒のパンプスという装いだった。定番のシトラスの香りも漂う。ただ、まだ包帯を巻いた右腕を、三角巾で吊っている。
ターナがカルザスの部屋を訪れるのは、この日だけで四回目だった。日々の仕事の合間を縫っては足しげく彼の部屋を訪れ、小さな出来事を楽しげに話していく。彼が目を覚まして以来、ターナはほとんど毎日、こんな具合で過ごしていた。
最初は、罪悪感と怪我の心配こそが、その動機を占めていた。しかし、いつでもお喋りできる喜びが、次第に勝っていった。彼に会えることそのものが、毎日の栄養になっていることを自覚している。お喋りの合間に仕事をしている、と言えなくもない。
カルザスも、そんなターナの朗らかさを微笑ましく見守っていた。おかげで、彼の退屈な療養生活には彩りが添えられた。
ただ、前夜の診察で聞いたバイロンの言葉が、この一日、カルザスの胸に引っかかっていた。
盛り上がった靴下の話が落ち着いた後、彼はさりげなく話題を変える。
「黒十字と和解できたとしても、これからますます忙しくなるよね。怪我もしてるのに、ターナは大丈夫なの?」
「全然! これでも結構、頑張ってるのよ」
「バイロンが心配してるみたいでさ」とできるだけ柔らかく本題を切り出した。「黒十字以外の案件も積まれてるから、執政官がやきもきし始めてるって」
「そ、そんなことないわ」
「もしかして、俺が邪魔してるのかな?」
「違うよ!」とターナは慌てて打ち消す。「カルザスのせいじゃないわ。私が仕事を上手く回せてないだけ」
そう言って下を向き、聞き取れないほどの小声で悪態をついた。
——バイロン、余計なことを……。後でお説教よ!
カルザスは、真っ直ぐにターナを見つめていた。そして、自分の本音を押し隠して告げる。
「ターナ、俺は大丈夫だから、仕事に専念してくれないか。特に、黒十字の対応は待ったなしじゃないの?」
一瞬、ターナは言葉を詰まらせる。それでも、すぐに視線を戻して反論した。
「わかってる。でも、カルザスの回復だって、私にとっては大切なことなのよ」
「そう言ってくれるのは、すごく嬉しい」と受け止めたものの、困ったように笑う。「でも、国王代理としての仕事は、ターナにしかできないんだ。先送りの難しい問題もあると思う。そんなこと、俺が言うまでもないけど……」
——そう。百も承知よ。でも、私はもっとカルザスに寄り添いたいの。
ターナの苦しげで納得しきれない面持ちが、若い貿易商の決意をぐらつかせる。窓の外へ一旦視線を逃がし、改めて自分に言い聞かせる。
——二人で一緒にいれば、楽しいに決まっている。でも、それじゃだめなんだ。
カルザスはもう一度視線を合わせた。
「じゃあ、こうしよう。寝る前に三十分だけお喋りするんだ。楽しみを一日の最後に取っておく。俺もそれなら、後ろめたくない」
「三十分?」
「短いかもしれないけど、その間だけ、たくさん喋ろう。その日あったこと。日頃思っていること。何でもいいんだ」
ターナは難しい顔をしていた。
とはいえ、現実的に考えれば、この案なら仕事の滞りを避けられる。その三十分のためなら、かえって頑張れそうでもあった。
そして、落ち着いて考えてみれば、完治するまでカルザスとは毎日会える。そのありがたさを、改めて噛み締める。
ターナは小さく呟いた。拗ねたような口調は、せめてもの抵抗だった。
「わかった……心配かけてごめん」
「大丈夫だよ。また明日。楽しみにしてる」
そう言ってカルザスは立ち上がり、そっとターナを扉へ促した。
ターナは自室へ戻った。ベッドに仰向けになり、ぼんやりと天井を眺める。
カルザスと会う時間が短くなるのは、とても残念だった。その一方で、彼の冷静な指摘に、ある種の頼り甲斐も感じていた。彼が自分のことを大切に思っていることを確認し、むしろ嬉しくもあった。
気分が落ち着くと、ターナの中から、むくむくと悪戯心が膨らみ始める。
「ふふふ。甘いわ。私のお喋りが三十分で済むはずないでしょう! これで、二人揃って毎晩寝不足確定ね。死なばもろともよ。覚悟なさい!」




