第91話 少ない袋を、持って帰る
登録札を置いたら、引き返しにくくなる気がした。
いや、話を聞くだけだ。
まだ受けるとは言っていない。
俺は窓口の依頼札を、もう一度読んだ。
「内容を、もう少し聞かせてもらえますか」
受付の女性が頷く。
「まず、採集する場所はこちらです」
地図が広げられた。
街の門。
街道。
道沿いの水場。
その少し先に、細長い区画が描かれている。
「ここから、ここまで。奥の林には入りません。杭と、杭に巻いた布を目印にしてください」
「場所を見失ったら?」
「道へ戻って、採集を中止してください」
俺は頷いた。
分からなくなったら、さらに奥を探す。
そういう仕事ではない。
「数量に届かなかった場合は、どうなりますか」
「期限内に持ち帰った分を確認し、基準に合うものを買い取ります。ただし、何も採れなくても、報告は必要です」
「空の袋で戻ってきても?」
「はい。戻らない方が困ります」
俺は、少し肩の力を抜いた。
足りないからといって、帰れなくなるわけではない。
それは、先に聞いておきたかった。
***
道具も確認した。
昨日の講習で使った手袋は、返している。
袋も、もう少し口の広いものが必要だった。
受付で借りられるものと、買う必要があるものを分けて教えてもらう。
貸出料を、採集物の代金と比べた。
思わず、口がへの字になる。
「……少ししか採れなかったら、あまり残りませんね」
「最初から道具を買いそろえるより、今回だけ借りて、続けられるか確かめる方もいますよ」
「なるほど」
俺はメモに、道具代を書き足した。
売れた金が、そのまま全部使えるわけではない。
宿代。
飯代。
道具代。
この世界でも、仕事は仕事だった。
「確認して、明日の朝までに返事してもいいですか。子どもを見てもらえるか、先に相談したいので」
「構いません。受注はまだ付けず、説明を受けたことだけ記録しますね」
「助かります」
俺は登録札を受け取った。
手元へ戻ってきた札を見て、少し笑う。
置いたら最後、というわけではなかった。
***
宿へ戻ると、マリは机の上に小さな布を並べていた。
青い服を着ている。
袖は、自分で折り直したらしい。
「おかえり、おとうさん」
「ただいま。何してる?」
「たたむ」
宿で使う布の畳み方を、主人に教わっていたそうだ。
四角いもの。
少し長いもの。
マリは長い方を持ち上げ、端を合わせようとして、片方を落とした。
「……ながい」
「俺も、そういうの苦手だな」
手を貸そうとしたら、マリは首を振った。
もう一度持ち直す。
今度は机に置いて、片側ずつ折った。
できた。
「おお」
俺が言うと、少し得意そうな顔になる。
セナはその隣で、明日の荷物をまとめていた。
「仕事、決まりそう?」
「内容は聞いた。明日の午前中、街の近くで採集だ。ただ、マリのことを相談したくて」
セナが手を止める。
「明日は、昼前から自分の用事があるんだ」
「そうか」
「朝のうちなら大丈夫。でも、前みたいに長くなると、ちょっと難しい」
俺は頷いた。
預かってもらえるのが当然ではない。
「じゃあ、俺が先に戻る時間を決める。採れるだけ採って粘るのはやめる」
「それで受けられる仕事なの?」
「採れた分だけでいい。足りなくても、戻って報告する約束だ」
セナは少し考えた。
「それなら、戻る時刻を宿の主人にも伝えておこう」
「ありがとう。助かる」
マリが、畳んだ布を置いた。
「おとうさん、おしごと?」
「ああ。昨日教わった草を探す」
「マリは?」
「セナと、ここで待っててもらえるか」
マリはセナを見る。
それから、机の布を見る。
「これ、やる」
「それも、主人に聞いてからだな」
「うん」
俺はマリの前へ座った。
「昨日より、早く帰る。採れても採れなくても」
マリが、小さく頷いた。
「おひる、いっしょ?」
「ああ。一緒に食おう」
今度の帰る時刻は、採集の成果では決めない。
先に決めて、その中で働く。
俺はメモの一番上に、帰る時刻を書いた。
***
翌朝、正式に依頼を受けた。
道具を借り、指定区画と見本を再確認する。
昨日の講師も、窓口の奥にいた。
「今日は、一人で行くんだね」
「はい。早めに戻ります」
「量は欲張らないこと。今日は、隣に私がいないからね」
「分からないものは、採りません」
「それでいい」
講師は見本の草を広げた。
俺も、保存した画像を出す。
葉の形だけではなく、茎と葉の付き方も確かめる。
持ち帰る状態を、もう一度聞いた。
必要な部分。
残す部分。
混ざったら困るもの。
「あと、教わった区画で見つからなかったら?」
「見つからなかった、と報告して。隣の区画まで勝手に広げない」
「はい」
俺は頷いた。
小さな布袋と、借りた手袋。
水。
登録札。
帰る時刻を確認し、街の門へ向かった。
***
指定された杭は、すぐに見つかった。
巻かれた布もある。
街道から見える位置で、立ち止まる。
地図。
道。
目印。
全部を確かめてから、区画へ入った。
「……よし」
昨日は講師がいた。
今日は、誰も隣で頷いてくれない。
草が、急によそよそしく見えた。
しゃがむ。
葉を見る。
茎を見る。
付き方を見る。
「これは、違う」
一つ目は採らなかった。
二つ目も。
三つ目は、似ていた。
スマホを出して、見本と比べる。
『観察項目に未確認の箇所があります』
「どこだ」
『茎の分岐部分です』
俺は端末を下ろした。
葉の陰へ、無理に指を突っ込まない。
反対側へ回る。
見えた茎は、見本と違っていた。
「……危ないな」
欲しいものが見えていると、都合の悪い部分を見ないで済ませたくなる。
俺は、その株から手を引いた。
袋は空。
少し焦る。
街の屋根を見る。
戻れる場所が見えている。
まだ時間はある。
俺は水を飲み、別の場所へ歩いた。
***
最初の一つを採るまでが、長かった。
葉。
根元。
茎。
付き方。
状態。
残す分。
全部を確かめて、教わった通りに採る。
袋へ入れたあと、もう一度見た。
やっと一つ。
「……仕事、遅いなあ」
『所要時間を記録しました。初回の作業記録として残します』
「慰めてる?」
『次回の予定を立てるための情報です』
「そうだったな」
俺は笑って、スマホをしまった。
遅いなら、遅いなりの予定が必要だ。
自分が何でもすぐできることにして働いたら、最後は誰かに迷惑をかける。
二つ目は、少し早かった。
三つ目で、また迷った。
その株は採らず、場所と迷った理由だけを記録した。
袋は、軽いままだった。
***
途中、先客に会った。
道の反対側から来た女性が、俺の袋を見る。
「初めて?」
「仕事としては、初めてです」
「そう。ここは、昨日も人が入ってたからね」
女性は自分の袋を肩に掛け直した。
「奥の窪地には、まだまとまってることがあるけど」
俺はそちらを見た。
木の向こう。
目印の布がある杭より、さらに先。
依頼で指定された範囲の外だった。
「今日は、ここまでなので」
俺が杭を示すと、女性は頷いた。
「ああ、区画付きの依頼か。なら、その方がいいね」
無理に勧められはしなかった。
女性は道へ戻り、先へ歩いていく。
俺は、木の向こうをもう一度見た。
たくさん採れるかもしれない。
袋が重くなれば、報酬も増えるかもしれない。
でも、場所を変えたら、帰る時間の見込みも変わる。
俺は足元の草へ視線を戻した。
今日は、この区画。
それで受けた仕事だ。
***
帰る予定の時刻が近づき、スマホが震えた。
『作業終了の予定時刻です』
俺は、目の前の株を見た。
まだ採れる。
もう少し。
せめて、袋の底が見えなくなるくらい。
手が伸びた。
そこで止まる。
マリと、昼を食べる約束をした。
セナにも、次の用事がある。
俺は手を膝へ戻した。
「終わり」
声に出す。
道具を確認する。
袋の口を閉じる。
水を飲む。
周りに落としたものがないか見てから、道へ戻った。
袋は、軽かった。
歩くたびに、それが少し悔しい。
だが、軽いからこそ、膝をかばいながらでも予定の時間に戻れそうだった。
俺は袋を握り直し、街へ向かった。
***
窓口で袋を出すと、講師が中身を広げた。
一つずつ。
昨日と同じように、確かめていく。
俺はその前で立っていた。
宿へ戻る時間が気になる。
でも、急かして確認を省いてもらうわけにはいかない。
「数は、ここまで?」
「はい。時間を決めていたので、切り上げました」
「指定区画は?」
「変えていません。奥にあると教えてもらいましたが、杭の外だったので行きませんでした」
講師が頷く。
最後の一つを、別に置いた。
俺の腹が、きゅっと縮む。
「それ、違いましたか」
「種類は合ってる。ただ、ここ」
葉の裏を見せられた。
傷みがあった。
俺は、顔を近づける。
表からは、ほとんど分からなかった。
「……見落としました」
「これは買い取りから外すね」
「はい」
少ない中から、さらに一つ減った。
悔しい。
でも、混ぜたまま渡すよりはいい。
俺はメモを出した。
「どこを見れば気づけたか、教えてもらえますか」
講師は葉を机へ置いた。
「光に透かしたときの、この部分。それから裏側の色。次は、ここまで見てみよう」
俺は記録した。
採る前の確認に、一つ増える。
もっと遅くなる。
でも、やるしかない。
「ほかは、依頼の状態に合ってる」
講師が言った。
「道具の返却も確認できた。今回の分を、受付で計算してもらって」
俺は頭を下げた。
胸のつかえが、少しほどけた。
***
受け取った硬貨から、貸出料が引かれた。
残りを見る。
今日の宿代には、届かない。
俺はしばらく掌を見てから、硬貨をしまった。
失敗ではない。
でも、これだけで暮らしていけるわけでもない。
窓口を離れようとしたところで、講師に呼び止められた。
「鈴木」
「はい」
「今日は少なかったけど、指定の場所から、指定のものを持って戻った。傷みの見落としも、次に直せる」
俺は頷いた。
「採集だけで一日分を稼ごうとすると、今の膝ではきついだろうね」
「……そうですね」
「午後も働くなら、座ってできる仕事を混ぜな。今日持ち帰ったものが、そのあとどう扱われるかを見るのも勉強になる」
講師が、奥の机を指さした。
浅い籠。
布を敷いた台。
積まれた採集物。
「明日、選別の補助が要る。触っていいものと駄目なものを分けるところから教えるけど、興味はある?」
俺は思わず、そちらを見た。
採る。
運ぶ。
そのあとも、仕事は続いている。
「あります」
すぐ答えてから、付け加えた。
「時間と条件を、聞かせてもらえますか」
講師が笑った。
「うん。それでいい」
***
宿へ戻ると、マリが入口の見える席にいた。
俺を見つけて、椅子から降りる。
「おとうさん」
「ただいま」
「おひる、まだ」
「間に合ったな」
セナが荷物を持って立ち上がった。
「ちょうどよかった。じゃあ、私は用事へ行ってくるね」
「ありがとう。助かった」
「マリ、布を畳むの、上手になったよ」
マリが少し胸を張る。
「ながいのも」
「それは、俺よりできるな」
セナを見送ってから、手を洗った。
席へつく。
マリは、俺の袋を見た。
「はっぱ、ない?」
「渡してきた」
「ぜんぶ?」
「一つ、傷んでた。それは買ってもらえなかった」
マリは少し考えて、自分の青い袖を見た。
「なおせない?」
俺は笑った。
「服みたいには、直せないな。次は、ちゃんと裏も見て採る」
「そっか」
皿が運ばれてきた。
俺は、今日の分の硬貨を小さく分け、残りと混ぜないようにしまった。
記録は、あとで付ける。
今は昼飯だ。
「おしごと、できた?」
マリが聞く。
俺は少し考えた。
袋は軽かった。
一つは見落とした。
収入も、少ない。
でも、約束した範囲で採って、戻って、渡した。
「ああ。少しだけ、できた」
マリが頷いた。
「おとうさんも、れんしゅう」
「そうだな」
俺はパンを手に取った。
「まだ、練習しながらだな」
食事のあと、マリは机へ細長い布を持ってきた。
「みて」
端を合わせる。
一度、ずれる。
置き直して、片側ずつ折る。
今度は、きれいな四角になった。
「おお。できた」
マリが笑った。
俺は拍手しようとして、手を止めた。
さっきの採集を思い出す。
少しずれたからといって、全部駄目になるわけじゃない。
置き直して、もう一度やればいい。
マリが、もう一枚の布を差し出した。
「おとうさんも」
「俺もか」
「れんしゅう」
逃げ道がなくなった。
俺は布を受け取る。
端を合わせる。
ずれる。
マリが真剣な顔で見ている。
「……先生、ここからお願いします」
マリが、嬉しそうに俺の隣へ回った。
明日は、採集物の選別。
今日は、その前に。
娘の講習を、もう一つ受けることになった。
原案・構想
無職のおっさん
物語構成・本文作成
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