第90話 採らないものを、覚える日
朝、マリが俺の袖を掴んだ。
「おとうさん」
「何だ」
「ぎざぎざ」
俺は、寝起きの頭で少し考えた。
葉。
講習。
昨日の紙。
「ああ。根元まで見る」
マリが頷いた。
出発前の確認らしい。
俺も頷き返す。
「分からなかったら、聞く」
「うん」
「食べない」
「うん」
そこでマリが、俺の皿を指さした。
「それ、たべる」
朝食のパンだった。
「……これは食べる」
向かいに座ったセナが笑った。
今日の講習は、出発前から始まっていた。
***
宿の入口で、持ち物をもう一度確かめた。
水。
包んでもらった食べ物。
登録札。
採集物を入れる小さな布袋。
スマホ。
手を守るものは用意できなかったので、受付で借りられるか聞くことにした。なければ、そのまま伝える。
ないものを、あるふりしても仕方がない。
マリは、セナの隣に立っていた。
青い服の袖を、自分で折り直している。
「終わったら、ここへ戻る」
俺は宿の看板を指さした。
「遅くなりそうなら、宿へ連絡する」
セナが頷く。
「私たちも、出かける前に主人へ行き先を伝えるね」
マリが俺を見上げた。
「おみやげ?」
俺は一瞬、懐の残りを思い浮かべた。
「……今日は、見つけたものの話でどうだ」
マリは少し考えた。
「はっぱ」
「持って帰っていいものならな」
「うん」
約束は、そのくらいにした。
帰りに珍しいものを探して、肝心の講習を忘れたら格好がつかない。
俺が歩き出すと、後ろから声がした。
「いってらっしゃい、おとうさん」
振り返って、手を上げる。
「行ってきます」
昨日までと同じチェック柄シャツなのに。
少しだけ、背筋を伸ばして歩いた。
***
講習の参加者は、俺を入れて五人だった。
若い男が二人。
籠を背負った女性。
俺より少し年上に見える男。
そして、俺。
剣を振り回す練習を始めそうな者はいない。
それだけで、少し安心した。
講師は、日に焼けた女性だった。
受付から紙を受け取ると、一人ずつ顔を確かめる。
「野外の仕事は初めて、という人」
俺を含め、三人が手を上げた。
「膝や腰、ほかに動くと痛むところがある人」
俺と、年上の男が手を上げた。
目が合う。
軽く会釈する。
妙な仲間意識が生まれた。
講師は笑わず、俺たちの足元を見た。
「今日は、速く歩けるかを競う日じゃない。つらくなったら、早めに言って」
「はい」
「あと、探すのに夢中になって、集まる合図を無視しないこと」
若い男の一人が頷いた。
俺も、少し強めに頷いた。
思い当たることが多すぎる。
持ち物を確かめ、貸し出しの手袋を受け取る。
返すときは、破れと汚れも確認する。
借り物にも、仕事がある。
***
街の外へ出ても、遠くまでは歩かなかった。
道から少し入った、低い草の生えた場所。
戻る方向には、街の屋根が見える。
講師が立ち止まった。
「今日は、この杭より先へ行かないこと。木の向こう側も見てくる、は駄目」
地面に打たれた目印を、全員で確かめる。
次に、講師は二つの籠を置いた。
一方には、土のついた草。
もう一方には、よく似た草。
俺は、昨日の紙を思い出した。
葉の根元。
ぎざぎざ。
「この草は、状態のよいものなら買い取りの対象になる。隣は、今回の依頼では買い取らない」
講師が二つを並べた。
「食べられるか、薬になるか、今はそれを覚えなくていい。今日は、依頼の品と違うものを混ぜない練習」
俺はメモを開いた。
名前を書こうとして、止まる。
講師の持つ葉を見る。
先。
縁。
根元。
茎。
一つずつ、紙の絵と比べた。
「違いが分かる人」
俺は手を上げかけた。
いや。
まだ、目の前の二本しか見ていない。
講師が、若い男を指す。
「根元に切れ込みがあります」
「そう。それは、一つの見分け方」
一つ。
俺は、その言葉をメモした。
講師は、別の株を出した。
葉が少し小さい。
先ほどより、切れ込みが浅い。
「育ち方で、見え方が変わる。だから、一か所だけで決めない」
俺は、上げかけていた手を静かに下ろした。
マリに教わったことは、間違っていなかった。
でも、それだけで全部分かったつもりになっていた。
「茎も、葉の付き方も見る。分からない株は、採らずに呼んで」
講師が俺たちを見回す。
「採らない判断も、採集の仕事だよ」
***
最初は、講師と一緒に歩いた。
草の前へしゃがむ。
膝が少し嫌がったので、無理に深く曲げず、片足を引いて姿勢を変える。
葉を裏返す。
茎を見る。
周りの株と比べる。
俺はスマホを取り出した。
「記録を残してもいいですか」
講師が、端末を不思議そうに見る。
「草を傷めなければ構わないよ。ただ、見て覚えるのは自分だ」
「はい」
俺は許可をもらって、葉と茎を撮影した。
画面に文字が出る。
『見本として保存します。画像だけでの採集可否の確定は行いません』
「それで頼む」
スマホをしまう。
画面より、目の前の草を見る。
これは、手順を忘れないための道具だ。
草を確かめる目の代わりには、まだならない。
「この株は、どう思う?」
講師が聞いた。
俺はしばらく見た。
「葉は似ています。でも、根元がよく見えません」
「どうする?」
「周りを踏まない位置へ移動して、もう一度見ます」
「それでも分からなければ?」
「聞きます」
「よし」
正解した感じは、あまりなかった。
でも、講師は先へ進ませてくれた。
***
各自で探す時間になった。
俺に出された課題は、数を競うものではない。
指定された草を、状態を確かめて少量。
採る前に、講師へ確認してもらう。
俺は、足元を見ながら歩いた。
ある。
よく似た葉。
しゃがみかける。
隣にもある。
その奥にも。
急に、どれも同じに見えてきた。
「……さっきまでは、分かる気がしたんだけどな」
ポケットの中でスマホが震える。
立ち止まって確認した。
『観察項目を表示できます』
「頼む」
葉の形。
根元。
茎。
葉の付き方。
俺は順に見る。
目の前の株は、葉の付き方が違った。
採らずに、手を引く。
「一つ、やめた」
独り言が出た。
何も袋に入っていないのに、少し進んだ気がした。
次の株へ移る。
今度は、条件が揃っているように見えた。
だが、葉の一部が傷んでいた。
講師を呼ぶ。
「これ、種類は合っていますか」
講師が隣へ来て、株を確かめる。
「合ってる。じゃあ、どの葉を持って帰る?」
俺は、傷んだ葉と、まだ小さい葉を見る。
残った一枚へ手を伸ばした。
途中で止まる。
これを取ったら、株にほとんど残らない。
「……この株は、やめます」
「どうして?」
「持って帰る分より、残す方を考えた方がいいかと」
講師が頷いた。
「今日は、その判断でいい」
俺は手を下ろした。
袋は、まだ空だった。
なのに、朝より少し落ち着いていた。
***
困ったことに、落ち着くと、ほかのものも見えてきた。
靴の置き場所。
踏んだら潰れる小さな芽。
草の陰に落ちていた、古い紐。
俺は足を止め、講師を呼んだ。
「これ、拾ってもいいですか」
「確認する」
講師が紐を持ち上げる。
切れた荷紐らしい。
「今日はこっちで回収する。勝手に引っ張らなかったのは、よかった」
「何かにつながってるかもしれないので」
俺が言うと、講師は頷いた。
頭の中へ、青い線や、ややこしい経路が一瞬浮かぶ。
俺は追い払った。
今日は、ただの荷紐だ。
それでいい。
少し先で、年上の男が腰を伸ばしていた。
俺と目が合う。
「袋、入ったか」
「まだです」
「こっちは一つ。しゃがむ方が先にきつくなるな」
「分かります」
深い理解が、言葉少なに交わされた。
講師が遠くから声をかける。
「二人とも、いったん立って水を飲んで!」
俺たちは、素直に従った。
***
終わりの合図までに、俺が持ち帰れたのは少しだけだった。
講師に確認してもらい、教わった採り方で袋へ入れたもの。
傷んだ葉は混ぜていない。
余分な土も、できるだけ落とした。
ほかの参加者の袋を見ると、俺より多い。
少し焦りそうになった。
講師が、俺の袋を受け取る。
「中身、確認するよ」
「お願いします」
一枚ずつ広げる。
裏を見る。
茎を見る。
俺は、荷下ろしのときと同じくらい緊張した。
「指定したものだけだね」
肩の力が抜ける。
「よかった……」
「量は少ない。でも、混ぜなかった」
講師が俺を見る。
「今日、採らなかった株は?」
「見分けられなかったものと、傷んでいたものと、残す葉が少なくなる株です」
「理由を説明できるなら、次はその確認を少しずつ速くしていけばいい」
俺は頷いた。
速く動けないから、全部駄目というわけじゃない。
確かめる順番を覚えて、迷う時間を減らす。
俺にも、できそうな話だった。
「講習は、ここまで。街へ戻ったら、道具を返して報告する」
講師が立ち上がる。
「登録札、確認して」
俺は胸元を押さえた。
ある。
スマホもある。
水も、袋も。
落としていない。
それだけで、ちょっと笑ってしまった。
***
窓口へ戻ると、講師が記録を付けてくれた。
基礎講習への参加。
対象の確認。
採集と持ち帰り。
それから、膝の具合。
「帰りは少し歩く速さが落ちてたね。最初の依頼は、近い場所にしな」
「はい」
借りた手袋を返す。
破れがないか、一緒に確かめる。
採集物は、状態を確認した分だけ、買い取りに回せるという。
「講習で採ったものも、いいんですか」
「基準を満たしていればね。ただし、今日は仕事代が出るほどの量じゃないよ」
俺は渡された硬貨を見た。
荷運びの報酬より、ずっと少ない。
それでも。
草を見て、違いを確かめて、傷めずに持って帰る。
それに、値段が付いた。
「ありがとうございます」
俺は受け取り、採れた量と一緒に記録した。
稼いだ額だけ見れば、割に合わないのかもしれない。
でも、次の仕事へ持っていけるものが増えた。
葉の根元を見ること。
分からなければ、採らずに聞くこと。
膝が痛くなる前に休むこと。
今の俺には、そっちも収穫だった。
***
宿の扉を開けると、マリが椅子から立ち上がった。
「おとうさん」
「ただいま」
駆けてくる途中で、少し速度を落とす。
俺の膝を見たらしい。
ありがたいが、少し情けない。
俺は腰を屈めて、両手を広げた。
マリが、その中へ入ってくる。
「おかえり」
「ああ。待たせたな」
セナが、食堂の席から手を振った。
「ちょうど戻ったところ。宿の主人にも、講習が終わって帰るって連絡が来てたよ」
「助かる。ありがとう」
マリが俺を見上げる。
「はっぱ?」
「持って帰る分は、買い取ってもらった。でも、見せていいものはある」
俺はスマホを出した。
講師に許可をもらい、記録した見本。
葉。
茎。
根元。
マリが画面へ顔を寄せる。
「ぎざぎざ」
「ああ。でも、それだけじゃなかった」
俺は隣の画像へ切り替えた。
「こっちは似てるけど、葉の付き方が違う。だから、今日は採らなかった」
マリが二つを見比べる。
真剣だ。
俺は、その横顔を見て笑った。
「昨日、教えてもらって助かったよ」
マリが顔を上げる。
「マリ?」
「ああ。根元まで見ろって教わったからな」
マリは少し照れたように、青い袖を引いた。
それから、胸を張る。
「マリも、おしえる」
「頼む。俺も、覚えたら教える」
セナが笑った。
「二人とも、先に手を洗って。昼の分、取り置いてもらってるから」
俺とマリの腹が、ほとんど同時に鳴った。
顔を見合わせる。
マリが笑う。
今日の勉強会は、いったん終了だった。
午後は、仕事を入れなかった。
膝を休ませ、残ったお金と、泊まれる日数を確かめる。
村への連絡も、短く済ませた。
サヨの隣では、白い部屋から来た少女が食器を拭いていた。
落ち着いて過ごせているらしい。
それを聞いて、俺も安心して端末を閉じた。
明日のことを考える。
荷運び。
店での手伝い。
近場での採集。
今すぐ、全部できるようになる必要はない。
できる仕事を増やして、続けられるようにする。
夕方、冒険者の窓口へ短く相談しに行くと、受付の女性が小さな依頼札を出してくれた。
「こちらなら、今日の講習内容に近い仕事です。街道沿いの指定区画での採集。初回は、少量の持ち帰りから受けられます」
「期限は?」
「明日の夕方まで。受ける前に、対象と場所を担当者へ再確認してください」
俺は札を読んだ。
指定された品。
持ち込む状態。
数量。
道から入っていい範囲。
そして、一番下の依頼主の欄。
昼の講習で、何度も聞いた名前だった。
「……これ、今日の講師の人ですか?」
「ええ。小口の納品を見て、継続して頼める相手を探しているんです」
俺は、もう一度札を見た。
今朝は、生徒だった。
次は、仕事として渡したものを確かめられる。
少し怖い。
でも、何をすればいいかは、昨日より分かる。
「内容を、もう少し聞かせてもらえますか」
俺は登録札を、窓口の上へ置いた。
原案・構想
無職のおっさん
物語構成・本文作成
Perplexity
校正・文体調整
ChatGPT




