第92話 迷った葉っぱの置き場所
朝食の皿を下げたあと、マリが布を畳んでいた。
端を合わせる。
机へ置く。
片側ずつ折る。
昨日より、少し速い。
「上手くなったな」
俺が言うと、マリは顔を上げた。
「おとうさんも」
「俺は、帰ってからで」
マリがじっと見る。
俺は目を逸らした。
「……仕事の練習をしてくるから」
「ぬのも」
「はい」
宿の主人が、布を受け取りながら笑った。
「先生が二人いると、忙しいね」
採集の先生。
布畳みの先生。
この歳になって、教わることばかりだ。
でも、嫌ではなかった。
***
選別補助の仕事は、昨夜のうちに条件を確認していた。
朝から昼まで。
決められた時間を働き、その間に任された作業をする。
最初から、籠を何個片づけたらいくら、という仕事ではない。
ただし、速さより丁寧さだけを気にして、いつまでも一枚を眺めていていいわけでもない。
「迷ったものは別に置く。判断は、こっちがする」
講師はそう説明した。
道具は作業場のものを使える。
外へ採りに行かないので、昨日の貸出料はかからない。
食事は付かない。
途中で休憩を取り、昼の終わりには机を片づける。
俺は一つずつメモした。
膝についても、立ちっぱなしにはしないが、同じ姿勢を続けないようにと言われた。
残るのは、マリのことだった。
セナは今朝、先に自分の用事へ出ている。
毎回頼めるわけではない。
俺が宿の主人へ相談すると、主人は少し考えた。
「午前中なら、私はここで帳面を付けてる。食堂で過ごすなら見ていられるよ。ただ、外へ連れていくことはできない」
「十分です。お願いできますか」
「昼前に仕入れの受け取りがある。その時間までには戻ってきておくれ」
預かってもらう礼も、先に相談した。
宿代とは別だ。
俺はその分を、今日の予定に書き足した。
稼ぐために出かけるにも、支えがいる。
「マリ。今日は、ここで待っていられるか」
マリは俺と主人を見比べた。
「セナ、いない?」
「午前中は用事だ」
「おとうさんも?」
「昼まで仕事。終わったら、戻る」
少し黙ってから、マリが聞いた。
「ぬの、していい?」
主人が頷く。
「使っていい分を出しておくよ。あとは、ここで絵を描いていてもいい」
俺は机の上へ、マリ用にしていた紙を置いた。
残りの少ない紙だ。
でも、書くためにある。
マリはそれを指で押さえた。
「ここ、いる」
俺は頷いた。
「頼んだ。勝手に外へ出ないようにな」
「おとうさんも、かえる」
「ああ。戻る」
それから主人へ、もう一度頭を下げた。
***
作業場は、冒険者の窓口の奥にあった。
低い机。
浅い籠。
布を敷いた台。
昨日、俺が持ち込んだのと同じ草が、いくつかの籠に分かれている。
講師が、俺の足元を見た。
「膝は?」
「昨日よりは、ましです」
「痛くなってから我慢大会にしないように」
「はい」
俺が座ると、講師は椅子を少し引いた。
「机に近すぎる。肩まで固くなるよ」
座って働けると聞いて、少し気楽に考えていた。
座り方から、教わることになった。
「まず、この籠だけ」
講師が、採集物の入った籠を一つ置く。
横には、空の浅い籠が二つ。
「明らかに傷んでいるものと、判断に迷うものを分ける。残ったものも、最後は私が確認する」
「俺が良いものを決めるんじゃないんですね」
「今日は、そこまでは任せない」
はっきり言われた。
ありがたかった。
「迷ったら、こっち」
講師が、小さい方の籠を指す。
「捨てない。ちぎって確かめない。ほかの籠と混ぜない」
俺は頷いた。
「あと、籠を替えるたびに札を確認。採れた場所と、持ち込んだ人が違うからね」
俺は札を見た。
昨日は、袋の中身だけを気にしていた。
その後にも、こんな仕事が続いていたのだ。
***
最初の葉を持ち上げた。
表。
裏。
透かして見る。
縁が少し変色している。
これくらいなら大丈夫なのか。
昨日、買い取りから外された一枚と似ている。
でも、同じかと言われると自信がない。
俺の指が止まる。
講師が、横から聞いた。
「今、何に迷ってる?」
「端の色です。傷みなのか、こういう色なのか」
「じゃあ、どこへ置く?」
俺は、小さい籠へ置いた。
「こっちです」
「そう。次」
次の葉を見る。
今度は、穴がある。
これも、程度が分からない。
小さい籠へ。
三枚目。
裏の一部が、少し濃い。
また、小さい籠へ。
五枚ほど見たところで、俺は籠を見比べた。
迷う籠だけが、増えている。
「……これ、全部そっちになりそうです」
講師は、驚かなかった。
「理由があって分けたなら、まずはそれでいい」
「でも、仕事になってますか」
「私が全部を一枚ずつ持ち直すより、同じ迷いをまとめて聞ける。そこで覚えてくれれば、次が変わる」
俺は、指を止めた。
分からないものを消していくための籠じゃない。
分からないことを、見えるところへ置く籠だった。
***
作業を始めてしばらくすると、入口へ別の籠が運ばれてきた。
「これも、あとで頼むよ」
運んできた男が、空いている机の端へ置く。
俺は今の籠を見た。
札が布の下へ潜りかけている。
新しい籠にも、よく似た草。
何となく横へ寄せたら、どちらの札か分からなくなりそうだった。
「ちょっと待ってください」
俺は札を持ち上げた。
今の籠の取っ手へ結び直す。
新しい方は、少し離れた場所へ置いてもらった。
「こっちは、今のが終わってからでいいですか」
講師が振り返った。
「ああ。それでいい」
男が去る。
俺は、もう一度札を見る。
荷を運んだとき、確認したものに紐を置いたことを思い出した。
目の前の作業は違っても、混ぜないための工夫は使える。
「始める前に、札と中身を見ます」
「うん」
「終わったら、札を付けたまま渡します」
「それを続けて」
俺は頷いた。
葉の良し悪しは、まだよく分からない。
でも、誰が持ち込んだものかを分からなくしない。
そこなら、俺にも気を配れた。
***
休憩になって、椅子から立った。
腰が、思っていたより固まっている。
「……座ってても、来るな」
「来るよ」
講師は、手を洗いながら答えた。
「膝が楽なら、全部楽ってわけじゃないからね」
俺は背中を伸ばす。
水を飲む。
スマホを取り出し、ここまでの作業を短く記録した。
見た枚数。
迷った理由。
札を確認する順番。
『変色に関する質問が、最も多く記録されています』
「そうなんだよ。全部、怪しく見える」
『質問を整理して表示しますか』
「頼む。同じことを何回も聞かないようにしたい」
画面に、似た質問がまとまる。
俺はそれを見てから、講師へ聞いた。
「休憩のあと、色の違いをもう一度教えてもらえますか。端だけのものと、裏へ広がっているものを混同してるみたいで」
「いいよ。さっき分けた籠を使おう」
俺はスマホをしまった。
端末が葉を選別してくれたわけじゃない。
でも、自分が何に迷っているかは、少し分かった。
それなら、聞き方も変えられる。
***
休憩のあと、講師は迷う籠の中身を並べた。
「これは、縁の擦れ。こっちは傷み。これは、まだ判断しなくていいから、引き続き私に回して」
俺は、一枚ずつ見る。
許可をもらい、見本として写真も残した。
ただし、次に同じように見えたら即決、とはしない。
触ったときの状態や、匂いもある。
画面へ全部を入れたつもりにならないようにする。
「これなら?」
講師が一枚持ち上げる。
俺は表と裏を見た。
「傷みが広がっているので、こっちへ分けます」
「うん」
次。
「これは、まだ迷います」
「それでいい」
少しだけ、手が動くようになった。
迷う籠は、相変わらず空にならない。
でも、さっきよりも理由を短く言える。
端の色。
裏の斑。
触ったときの柔らかさ。
分からないなりに、見る場所が決まってきた。
その途中で、一枚の葉に指が止まった。
形は、似ている。
表の色も、ほかと大きく変わらない。
だが、茎が違った。
採集のときに見送った株と、似ている。
俺は手を引き、葉を布の上へ置いた。
「これ、種類が違うかもしれません」
講師が、隣へ来る。
表。
裏。
茎。
短い確認のあと、頷いた。
「違うね」
俺の肩に力が入った。
「触って、大丈夫でしたか」
「手袋のままなら、今の扱いで問題ない。この葉は私が分ける」
講師が、別の容器へ移す。
「今日は傷みを見てもらってたけど、違う特徴にも気づいたんだね」
「茎が、見本と違ったので」
「報告してくれて助かった」
俺は息を吐いた。
大きな手柄ではない。
でも、昨日の勉強が、今日の机の上で役に立った。
袋を重くできなかった時間も、全部無駄ではなかったらしい。
***
昼の終わりが近づき、次の籠を前に手を止めた。
少しだけなら、進められそうだ。
でも、途中で混ぜたまま終わる方が困る。
「次に入ると、半端になりそうです」
講師が時刻を確かめた。
「じゃあ、今の分を引き継いで、片づけよう」
俺は、まだ見ていない籠を指す。
「これは未着手です。札はそのままです」
次に、確認の終わった籠。
迷ったもの。
分けた理由。
一つずつ伝える。
講師は、それぞれを確かめた。
「分かった。ここから私が見る」
その言葉を聞いてから、俺は机の上を片づけた。
借りた道具を拭く。
手袋を返す。
足元へ落ちた葉を、勝手に籠へ戻さず、まとめて確認してもらう。
手を洗ったところで、仕事が終わった。
講師が、約束した分の硬貨を出す。
「今日の分」
俺は受け取った。
昨日より、収入の見通しが立つ。
道具の貸出料も、今日はない。
ただ、マリを見てもらった分は、ここから払う。
俺は硬貨を分け、残る分を確かめた。
派手に増えたわけではない。
それでも、昨日より少し先まで、暮らしの予定が立てられそうだった。
「来週も、同じ時間に人手が欲しい日がある」
講師が言った。
「今すぐ決めなくていい。予定が分かったら、窓口へ返事をして」
「ありがとうございます。相談してから、お返事します」
俺は頭を下げた。
毎日違う依頼札を探すだけでなく、次の出番を相談してもらえる。
そのことが、硬貨とは別に嬉しかった。
***
宿へ戻ると、食堂の机に紙が広がっていた。
丸。
四角。
長い線。
マリが、その横へ座っている。
「おとうさん」
「ただいま」
立ち上がったマリが、俺の前へ来る。
両手を見る。
「はっぱ?」
「今日は、置いてきた」
「おかね?」
「もらえた」
マリは頷く。
それから、自分の紙を指さした。
「これ」
俺は椅子へ座り、紙を覗いた。
丸い頭。
細い身体。
横に、小さい丸。
大きい方の服には、縦と横の線がたくさん引かれている。
「……俺か?」
「おとうさん」
チェック柄シャツらしい。
小さい方は、青く塗られている。
「マリ」
「うん」
大きい方の隣に、四角いものが三つあった。
「これは?」
「かご」
「仕事してるところか」
マリが頷いた。
絵の俺は、籠より小さかった。
少し頼りない。
でも、隣にはマリがいる。
「よく描けてる」
俺が言うと、マリは少し照れた。
「みて」
大きい丸と小さい丸の間を、指でなぞる。
一本の線が、つながっていた。
「て」
俺は、その線を見た。
「……ああ。手、つないでるな」
マリが笑った。
宿の主人へ礼を払い、様子を聞く。
外へは出ず、布を畳み、絵を描いて待っていたそうだ。
「助かりました」
「約束の時間に戻ってきてくれたからね。また必要なら、先に相談しておくれ」
「はい」
俺は、今日の分を記録した。
働いた時間。
受け取った額。
預かってもらった分。
次の相談。
紙の隅で、マリが俺の指をつついた。
「おとうさん」
「何だ」
「ぬの」
机には、細長い布が一枚。
畳まれるのを待っていた。
「覚えてたか」
「うん」
「仕事、今終わったんだけどな」
マリが椅子を寄せる。
教える気満々だった。
俺はスマホを閉じ、布を受け取った。
***
夕方、村へ連絡を入れた。
サヨは、こちらの話を聞いてから言った。
『同じ時間に頼んでもらえるなら、少し落ち着くね』
「ああ。ただ、毎回マリを見てもらえるとは限らないから、そこは相談する」
『それでいいよ』
画面の向こうで、白い部屋から来た少女が、小さな布袋を持ち上げた。
口のところへ、紐が通してある。
「作ったのか?」
少女が頷く。
「サヨと」
『まだ、ほとんど私が縫ったけどね』
サヨが笑った。
少女は袋を見て、それから画面のこちらを見た。
「ここに、いる」
俺は頷いた。
「ああ。こっちも、ちゃんと暮らしてる」
マリが隣から手を振る。
少女も振り返す。
長い説明は、それだけで終わった。
***
夜、明日使う服を確かめていると、マリが青い上着を抱えてきた。
鼻を近づける。
少しだけ、眉を寄せる。
「おとうさん」
「何だ」
「これ、あらう」
俺も、自分の袖を嗅いだ。
今日一日、草のそばで働いたシャツ。
洗いたい。
かなり、洗いたい。
だが、手持ちはこれだけだ。
マリには茶色いセーターがある。
俺は替えを、ずっと後回しにしていた。
机へ、残った硬貨を並べる。
明日の宿代と食費を分ける。
仕事に出るための分を残す。
そのあと、ようやく小さな余裕が見えた。
「……俺のも、一枚探すか」
マリが顔を上げた。
「おとうさんの?」
「ああ。洗ってる間に着るやつ」
派手な服でなくていい。
丈夫で、動けて、値段が手頃なら。
マリは、自分の青い上着を見た。
次に、俺のチェック柄シャツ。
少し考えてから、真剣な顔で言った。
「マリ、えらぶ」
俺は口を開きかけた。
予算の範囲で。
仕事に着られるやつで。
そう言う前に、マリが続ける。
「おとうさん、にあうの」
俺は、硬貨の列へ目を落とした。
明日の買い物は、どうやら俺が試着する番らしい。
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