↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無職のおっさんの異世界AI生活  作者: 無職のおっさん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
88/91

第88話 服を一枚、呼び名をひとつ

「いらっしゃいませ。お子さんのお洋服ですか?」


 店の中から、明るい声がした。


 マリの手に、きゅっと力が入る。


 俺は握り返した。


「まず、値段を聞いてもいいですか」


「もちろん。普段着をお探しですか?」


「はい。動きやすくて、洗えて、その……丈夫なやつを」


「丈夫なのは大事ですね」


 店員の女性は、俺のシャツの裾を見た。


 昨日、サヨが繕ってくれた場所だ。


 俺は思わず、手で押さえた。


「これは、まだ着られるので」


「お買い替えを勧めたわけじゃありませんよ」


 後ろでセナが笑った。


 入店してすぐ、守りに入りすぎた。


***


 店には、色も大きさも違う服が並んでいた。


 壁に掛けられた上着。


 棚に畳まれたシャツ。


 籠に入った靴下。


 新品だけでなく、手直しされた古着もあるらしい。


 マリは、入口の近くから動かなかった。


 視線だけが、あちこちへ向いている。


「見ていいぞ」


 俺が言うと、マリは自分の手を見る。


 店員が、小さな布を差し出した。


「先に、手を拭きましょうか。そうしたら触って大丈夫」


 マリは俺を見上げた。


 俺が頷くと、布を受け取る。


 指を一本ずつ拭いた。


 それから、いちばん近くの袖へ触れる。


「やわらかい」


「それは、少し薄手ですね。今の季節なら、中に着るのにちょうどいいですよ」


 店員は、マリの茶色いセーターへ目を向けた。


「そのセーターも着るなら、重ねられるものがいいかしら」


「まだ、きれる」


 マリが、裾を押さえた。


 店員は、すぐに頷いた。


「ええ。捨てなくていいのよ。着るものが増えたら、洗う日に困らなくなるでしょう?」


 マリの手が、少し緩む。


 俺も、助かった気がした。


 新しい服を買うことが、今までの服を取り上げる話にはなってほしくなかった。


***


 先に、値段を聞いた。


 俺は硬貨の入った袋を、懐の上から押さえる。


 今日の仕事代。


 宿代。


 飯代。


 明日の仕事を受けるなら、その間に必要なもの。


 それに、登録にいくらかかるかも分からない。


 セナへ、小声で聞いた。


「宿の値段、だいたいどれくらい残せばいい?」


「安いところなら、このくらい。でも、食事が別のところもあるから、少し多めに」


 教えてもらった額を、スマホのメモへ入れる。


 画面に文字が出た。


『宿泊費、食費、予備費を除いた購入上限を表示しますか』


「頼む。登録の分も、多めに残したい」


『未確認の費用として、予備費を確保します』


 画面の数字を見る。


 店員に教えてもらった値段と、もう一度比べる。


 豪華なものは買えない。


 でも、一枚なら選べる。


 俺は息を吐いた。


「この範囲で、お願いできますか」


 店員は金額を聞いて、すぐに頷いた。


「では、こちらを。飾りは少ないですけど、縫い目はしっかりしています」


 出してくれたのは、くすんだ青色の長袖の服だった。


 膝の少し上まで丈があり、裾の左右には小さな切れ込みが入っている。


 袖口は折り返せる。


 胸元には、結ぶための紐がついていた。


 チュニックのような形で、これ一枚でも着られそうだ。


 俺は布の端へ触れた。


 柔らかいが、頼りなくはない。


「こういうので、いいんだ」


「こういうのが、一番よく着ますからね」


 店員が笑った。


「隣の緑も、同じ形ですよ」


 マリは青と緑を見比べた。


 俺は口を出しかけて、やめる。


 汚れが目立たないのはどっちか。


 長く着られるのはどっちか。


 そういうことを言う前に、本人へ聞こう。


「マリは、どっちが好きだ?」


 マリの指が、青い方へ伸びた。


 途中で止まる。


「こっち、たかい?」


「同じ値段だって」


 店員が頷く。


「ええ。どちらでも」


 マリは、今度は迷わず青い袖を掴んだ。


「これ」


「じゃあ、着てみようか」


***


 店の奥には、布で仕切った場所があった。


 セナがマリと一緒に入ってくれる。


 俺は外で待った。


 何となく落ち着かず、棚の靴下を見る。


 値段を聞く。


 そっと戻す。


 今度はベルトを見る。


 値段を聞く前に戻す。


 店員が苦笑した。


「今日は、お子さんの分だけで大丈夫ですよ」


「……顔に出てました?」


「ええ」


 どうして、行く先々で顔を読まれるのか。


 しばらくして、奥からセナの声がした。


「できたよ」


 布が開く。


 マリが出てきた。


 青い服。


 折り返した袖。


 少し長い裾。


 白銀の髪が、肩のところで揺れている。


 マリは服を掴み、俺を見た。


「へん?」


 俺は首を横に振った。


「似合ってる」


 その返事が早すぎたのか、マリはもう一度自分の服を見る。


 少しだけ、口元が緩んだ。


 店員が横へしゃがむ。


「腕を上げてみて」


 マリが両手を上げる。


「今度は、しゃがめる?」


 膝を曲げる。


 裾が床につく前に、店員が長さを確かめた。


「ここは少し上げた方がよさそうですね。袖も、折ったところが落ちないように留めましょう」


「手直しの分は、いくらですか」


 俺が聞くと、店員は顔を上げた。


「このくらいなら、さっきのお値段に含みますよ」


「助かります」


 思ったより、心からの声が出た。


 店員はマリの肩のあたりを軽く整える。


「お父さん、少し大きめを選んで正解ですね。この子、これから育ちますから」


 俺の口が、半分だけ開いた。


 お父さん。


 訂正するなら、今だった。


 いや、父親というわけではない。


 そう言いかけて、マリが俺を見ていることに気づいた。


 何かを期待しているのか、それとも意味が分からないのか。


 俺には、まだ分からなかった。


 結局、訂正する言葉は出てこなかった。


 店員は気づかず、裾へ目印を付けている。


「動きやすくしておきますね。少しお待ちください」


「……お願いします」


 俺は、それだけ答えた。


***


 手直しを待つ間、マリは元のセーターへ着替えた。


 青い服は、店員の膝の上にある。


 針が布をすくう。


 糸が引かれる。


 マリは、その手元をじっと見ていた。


 サヨが俺のシャツを直したときと、同じ顔だった。


 俺は、店の隅で硬貨を数えた。


 必要な分を出す。


 残す分をしまう。


 もう一度、数える。


 セナが隣へ来た。


「大丈夫?」


「ああ。泊まって、食って、窓口で話を聞く分は残る」


「よかった」


「俺の服は、もう少し働いてからだな」


 セナは繕われた裾を見る。


「それ、まだ着られるんでしょ?」


「そうなんだよ。本人が一番分かってる」


 二人で、小さく笑った。


 店員が服を持ち上げる。


「できました」


 マリの顔が上がった。


***


 受け取る前に、もう一度着せてもらった。


 袖は手首の少し上。


 裾は歩いても邪魔にならない長さ。


 マリは、その場で一歩動く。


 もう一歩。


 自分の袖を振って、俺を見る。


「うごける」


「ああ。よかった」


 店員が、古いセーターを畳んでくれた。


「こちらは包んでおきますね。今日は、新しい方を着て帰りますか?」


 俺はマリへ聞いた。


「どうする?」


「きてる」


「分かりました」


 代金を払う。


 掌から、硬貨が離れていく。


 少し心細い。


 でも、惜しいとは思わなかった。


 荷を数えた。


 縄を締め直した。


 坂で止めてもらった。


 最後の籠まで、落とさず届けた。


 その仕事代が、今はマリの着ている服になっている。


「ありがとうございました」


 店員から包みを受け取る。


 マリも、小さく頭を下げた。


「ありがと」


「よく似合っていますよ。またいらしてくださいね」


 俺たちは店を出た。


***


 外の音が、一度に戻ってきた。


 車輪。


 人の声。


 焼いた食べ物の匂い。


 マリは店先で、自分の腕を伸ばした。


 青い袖が、日の光に当たる。


 何度も見ている。


「気に入ったか」


「うん」


「よかった」


 俺は包みを持ち直した。


 古いセーターも、ちゃんと入っている。


 勝手に置いてこなかったと分かるように、マリへ見せる。


 マリは頷いて、それから俺のシャツを見た。


「スズキの、つぎ?」


「そうだな。まず、もう少し稼いでから」


 セナが、通りの先を指さす。


「宿は、こっち。混む前に行こう」


「分かった」


 俺は歩き出そうとした。


 そのとき。


 マリが、袖を引いた。


「……スズキ」


「何だ」


 マリは、俺の顔を見た。


 服の裾へ視線を落とす。


 口を開く。


 閉じる。


 俺は急かさず待った。


 セナも、少し先で足を止めていた。


「さっき」


「ああ」


「おとうさん、って」


 俺の指が、包みの布を握った。


「店の人が、そう言ったな」


 マリが頷く。


 通りを、荷車が一台通っていく。


 音が遠ざかるまで、二人とも黙っていた。


「……よんで、いい?」


 胸の奥で、何かが詰まった。


 いいのか。


 俺みたいなおっさんで。


 稼いだ金を数えて、一枚の服を買うのにも少し緊張して。


 明日の仕事だって、まだ返事をしていない。


 ちゃんとした大人かと聞かれたら、自信はない。


 でも。


 そう考えている間に、マリの手が少し下がった。


 俺は、慌ててその手を取った。


「ああ」


 声が、少し掠れた。


 もう一度、言い直す。


「マリが、そう呼びたいなら」


 マリは俺の手を握った。


 青い袖の先から、小さな指が出ている。


 しばらくして。


 聞き逃しそうなくらい、小さな声がした。


「……おとうさん」


 俺は、すぐに返事をした。


「うん」


 それしか出なかった。


 でも、マリは笑った。


 新しい服を見たときよりも、ずっと大きく。


 俺は空いている方の手で、鼻の下をこすった。


 セナは、先を向いていた。


 何も言わないでいてくれるのが、ありがたかった。


***


 宿へ向かう道で、マリは二度、俺を呼んだ。


 一度目は、道端の看板を指さすため。


 二度目は、特に用事がなかった。


「おとうさん」


「何だ」


「……うん」


「用事、ないのか」


 マリが頷く。


 俺は少し笑った。


「呼んだだけでも、いいよ」


 また、手に力が入る。


 俺はその歩幅に合わせた。


 宿を確かめる。


 登録の窓口へ行く。


 明日の仕事の返事をする。


 やることは、まだある。


 でも、急に全部できる人間になったわけではない。


 一つずつだ。


 セナが足を止めた。


「ここだよ」


 宿の看板。


 その向こうの通りには、人の出入りが多い建物があった。


「あっちが、冒険者の窓口」


 俺は建物を見た。


 武器を持った人。


 荷袋を背負った人。


 泥のついた靴で、報告らしいものをしている人。


 中から、受付の声が聞こえた。


「新規登録と探索講習の案内は、受付で確認してください!」


 俺は、マリの手を握り直した。


 今日、服を一枚買えた。


 明日も食べて、その先も暮らしていくには、仕事を続けなければならない。


「宿のあと、話を聞いてみよう」


 マリが俺を見上げる。


「おしごと?」


「ああ。今度は、探す方の仕事だ」


 スマホが、ポケットの中で一度震えた。


 今は見ずに、宿の扉へ手をかける。


「まずは、今夜の寝床からだな」


 マリが頷いた。


「うん。おとうさん」


 その呼び方には、まだ慣れない。


 だから、今度もちゃんと返事をした。


「ああ。一緒に入ろう」

原案・構想

無職のおっさん


物語構成・本文作成

Perplexity


校正・文体調整

ChatGPT

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。