第84話 助けてと言った、俺へ
『救助要請:継続中』
画面の中で、俺と同じ顔の男が土を掻いていた。
濡れた落ち葉。
傾いた木。
露出した根。
森で目覚めたとき、見た景色だ。
でも、男の手にはスマホがない。
俺は、自分の手元を見た。
角の擦れたスマホ。
ここまで何度も頼ってきた、俺の持ち物。
「……もう、増やさないぞ」
思わず声が出た。
霧の鈴木が、隣で頷く。
『俺も、そう思う』
「AI。まず、この映像が今のものか確かめる。新しい道は開かなくていい」
『受信情報の時刻と、配置記録を照合します』
俺は画面へ顔を近づけた。
「聞こえるか。森にいる鈴木」
男は、こちらを見ない。
右手を伸ばす。
指が根に触れる。
滑る。
肩が落ちる。
『誰か、いるか』
「いる。聞こえてる」
返事はない。
男はもう一度、右手を伸ばした。
同じ根。
同じ場所。
同じ滑り方。
俺は眉を寄せた。
「……待て」
映像の端で、枝から水滴が落ちる。
男の手首へ当たる。
さっきも、そこへ落ちた。
「AI。今の部分、二回並べられるか」
『保存映像を比較表示します』
画面が二つに分かれた。
男が手を伸ばす。
水滴が落ちる。
指が滑る。
二つの映像は、寸分違わず重なった。
『同一の送信内容が反復されています』
仮面の男が、首元の端末を読む。
「継続しているのは救助要請の送信処理です。映像内の時間が進んでいるわけではありません」
「じゃあ、今も森で倒れてるって意味じゃない?」
「はい。ただし、この人物の行き先は別に確認する必要があります」
俺は息を吐いた。
少なくとも、この映像が現在進行形で誰かの衰弱を映しているわけではない。
「確かめよう。最後まで」
***
ユラとセナに、少し待ってもらった。
出口へ向かう途中の、崩れていない石段に腰を下ろす。
少女は俺の隣。
案内を指示した男は、離れた壁際。
少女が望んだ距離を、男にも守ってもらった。
仮面の男とAIが、二つの記録を重ねる。
森で倒れた男。
森林領域への配置。
似た言葉をまとめず、処理の順番だけを並べていく。
『救助要請の映像は、森林領域への配置直後に記録されています』
「俺が目を覚ます前か?」
『その可能性があります。身体反応の経過を照合します』
青い線が、男の右腕に沿った。
手首。
肘。
服の袖。
『右前腕の擦過痕を検出』
俺はチェック柄シャツの袖をまくった。
薄く残った、細い傷。
いつできたのか、はっきり覚えていない。
映像の男は、根を掴み損ねた腕を引きずっていた。
同じ位置に、赤い筋。
「……これか」
次に映ったのは、シャツの裾だった。
縫い目のそばに、引っかけた跡。
俺の服にもある。
『配置時の身体識別、衣服の損傷、位置情報が連続しています』
AIの文字が、静かに流れた。
『この救助要請を発した対象は、現在の鈴木へ連続するものと判断します』
俺は、画面の男を見た。
新しい誰かじゃない。
ここへ来たばかりの俺。
まだ、自分がどこにいるかも知らない俺だった。
「スマホは?」
『映像内の身体には、端末との直接接続が成立していません』
「じゃあ、どうやって声を送った」
『配置処理を維持していた経路が、一時的に音声を取得しています。「端末接続:なし」は、その時点での接続状態です。端末そのものが存在しないという意味ではありません』
仮面の男が映像の範囲を広げた。
根の向こう。
落ち葉の下。
黒い角が、少しだけ見えている。
スマホだった。
倒れた俺の手から、腕一本分ほど離れた場所に落ちていた。
「……そこにあったのかよ」
『近いな』
霧の鈴木が言った。
「倒れてる人間には遠いんだよ」
『それは、そうだ』
画面の俺は、スマホへ届かなかった。
代わりに、誰かへ呼びかけた。
『助けて』
隣の少女が、俺の腕に触れた。
「この声」
「ああ」
俺は頷いた。
「俺だった」
***
記録には、その先が残っていた。
最初の応答。
小さな声。
『いる』
暗い場所にいた少女の返事。
その応答を受けて、保留されていた配置完了処理が動き、支援機能が起動する。
落ち葉の下で、スマホが光った。
『保留されていた配置完了処理を確認』
『対象の覚醒反応を確認』
映像の俺が、ゆっくり目を開ける。
肩を起こす。
何度も周囲を見る。
それから、足元のスマホへ手を伸ばした。
俺は、その動きを覚えていた。
画面を確かめた。
電波を探した。
何も分からなくて、とりあえず立った。
そこから先は、俺が歩いてきた時間だ。
「ここで、つながるのか」
『はい』
俺は長く息を吐いた。
森にもう一人、助けに戻らなければならない鈴木がいるわけじゃない。
助けを求めた俺は、あの場所を出た。
歩いて。
転んで。
腹を減らして。
人に会って。
今、ここまで来ている。
それなのに、要請だけが届かなかった手紙みたいに残っていた。
「何で、未処理なんだ」
『救助要請を受けた処理と、配置完了を管理する処理の間で、完了情報が共有されていませんでした。その後、提示制限によって照合の機会も失われています』
壁際の男が、顔を伏せた。
「俺の指示が、残してしまったのか」
『提示制限が未処理状態の長期化に関与したと判断します』
言い逃れのできない答えだった。
男は、こちらへ近づかなかった。
「解除だけで済むとは、思っていない」
「なら、残ってる記録の照合を手伝え」
俺は言った。
「今度は、省かずに」
「……分かった」
***
「わたし、返事しただけ」
少女が呟いた。
画面では、森の俺がスマホを拾っている。
「何も、できなかったと思ってた」
俺は端末を少し傾けた。
小さな指でも見やすいように。
「返事が届いて、ここが動いた」
少女は光る画面を見る。
「お前が全部やったわけじゃない。でも、何もできなかったわけでもない」
「起きた?」
「ああ。起きた」
「森から、出た?」
「出た」
俺は少し笑った。
「そのあと、色々あってな」
『本当に色々あった』
霧の鈴木が言う。
ユラとセナも頷いた。
「そこは全員で頷かなくていい」
少女が、俺の袖を掴んだ。
「じゃあ、助かった?」
俺は画面の中の自分を見た。
土だらけで、情けない顔。
今だって、大して変わっていない。
でも。
隣には、誰かがいる。
「ああ」
今度は、迷わず答えた。
「助かった」
スマホが、一度震えた。
『救助要請の完了確認が可能です』
俺は少女を見る。
少女が頷いた。
「届いたって、書いて」
「AI。記録してくれ」
『確認内容を提示します』
『救助要請者:現在の鈴木へ連続する対象』
『初回応答者:第一接続者』
『配置後の覚醒、および森林領域からの離脱を確認』
『救助要請を完了として記録しますか』
「完了でいい」
俺は、画面へ答えた。
「もう、そこで待たなくていい」
反復していた映像が止まった。
消去ではない。
保存済みの小さな枠へ収まる。
その下に、一行。
『救助要請:完了』
少女が、初めて俺の袖から両手を離した。
***
「整理しよう」
俺はスマホを持ち直した。
「同じ名前が出るたび、全員を別の人間として数えるのは、もうやめる」
霧の鈴木が頷く。
『賛成』
「でも、別々に答えてるやつを、勝手に一つにもしない」
『そっちも賛成』
仮面の男が、端末に一覧を出した。
身体や声の現在反応。
保存された記録。
役割として付けられた識別。
それらが、同じ欄に重なっていた。
「これまでの表示は、人物と記録と役割を、同じ『対象』として並べていました」
「だから、増えて見えた?」
「一部は。少なくとも、森の救助要請は新しい人物ではありません」
壁際の影が口を開く。
『私の「分割実行者」という名も、人物の名前ではなく役割だった』
案内を指示した男も頷いた。
「俺に出ていた表示も同じだ。指示を出せる経路上の役目を、鈴木という識別で扱っていた」
「じゃあ、お前たちが何なのかは?」
「記録と現在の反応を分けて、確認できる」
男は、今度は言葉を省かなかった。
「その結果によっては、役目を終えれば維持する必要のない姿もある。ただし、それを消去と同じだと決めつけるべきではない」
俺は頷く。
今日は、名前を増やす話ではない。
重なっていたものを、ほどく話だ。
「次は、そこを確かめる」
スマホの向こうで、病室の鈴木が息を吐いた。
「こっちも、分かることをまとめる。身体があるから原本だなんて、もう言わせない」
「それは助かる」
『私も、人物数ではなく、現在の応答状態と記録種別を区別して表示します』
AIの一覧が変わった。
森の映像は、保存記録の欄へ移る。
役割情報には、その役割だと分かる印が付いた。
それだけで、画面がずいぶん見やすくなった。
「最初から、こうしてくれ」
『以後の表示へ反映します』
『お前も、説明を最後まで読むようにしろよ』
霧の鈴木が言った。
「それは、はい」
否定できなかった。
***
今度こそ、歩いた。
ユラが前。
セナが後ろを確かめる。
俺の隣を、少女が歩く。
石段を上がるたび、空気が少しずつ変わった。
湿った石の匂いに、土と葉の匂いが混ざる。
やがて、通路の先に明るい場所が見えた。
「外だ」
俺が言うと、少女が顔を上げた。
出口を抜ける。
東の山の斜面だった。
木々の向こうに、夕方の空が見える。
風が吹いた。
枝が揺れる。
拠点までは、まだ歩かなければならない。
それでも、地下の石壁に囲まれていたときより、ずっと気が楽だった。
少女は、その場に立ち止まった。
何も言わずに、空を見上げている。
俺も、しばらく待った。
隣へ来たユラが、声を落とす。
「どうする?」
「少し、待とう」
少女が、ゆっくり息を吸った。
「白くない」
「ああ」
「広い」
「ああ」
小さな手が、もう一度俺の手を探す。
握り返した。
今度は、引き止めるためでも、引っ張るためでもなく。
一緒に歩くために。
スマホへ、拠点から通信が来た。
サヨだった。
『地下は出たかい』
「出た」
『やっとだね』
「今日は何人に言われるんだ、それ」
画面の端へ、マリが顔を出した。
『スズキ、かえる?』
「帰る」
俺は答えた。
今度は、余計な条件を付けずに。
「少し人数が多い。先に連絡しておく」
サヨが、こちらを見た。
俺。
少女。
その後ろの面々。
長い沈黙。
『説明は、食べてから聞く』
「怒ってる?」
『鍋を増やすから、早く歩きな』
通信が切れた。
俺はスマホを下ろす。
「帰ったら、まず飯だ」
霧の鈴木が笑う。
『それが一番、分かりやすいな』
少女が俺を見た。
「わたしも?」
「もちろん」
「何がある?」
「帰ってからのお楽しみだ」
そう言ったところで、サヨから短い文字が届いた。
『手持ちの食料では、明日の分までしかないよ』
俺は足を止めた。
救出した子どもたちが増えた。
食べる人数が増えれば、当然、食料も早く減る。
地下で見た、どんな警告よりも分かりやすかった。
「……働くか」
セナが、こちらを見る。
「村へ戻ったら、街へ行く荷運びを探せるよ」
「街?」
「仕事を受けるなら、登録もした方がいい。冒険者の窓口がある」
「冒険者って、魔物と戦うやつか?」
「それだけじゃないよ。荷物を運んだり、薬草を集めたりする仕事もある」
「それなら、俺にもできるかもしれないな」
『戦闘は推奨しません』
AIが、すかさず文字を出した。
「分かってるよ」
『身体能力および装備を考慮した判断です』
「そこまで言わなくていい」
霧の鈴木が笑った。
『お前、冒険者になる前から戦力外だな』
「お前も同じだろ!」
『……そうだった』
少女が、くすくす笑う。
ユラも、セナも。
久しぶりに、誰かの笑い声が森に響いた。
俺はスマホを見た。
救助要請の完了表示。
帰る先で待っているマリ。
明日の分までしかない食料。
街へ向かう荷運びの仕事。
ようやく、次にやることが見えた。
「まず、帰って飯を食う」
俺はスマホをポケットへしまった。
「残ってる話は、安全に暮らせるように整理する。それが済んだら、村へ戻ろう」
セナが頷く。
「街へ行く準備だね」
「ああ」
隣の少女が、俺の手を引いた。
「ごはん、さめる?」
「それは困るな」
俺たちは、拠点へ続く道を歩き始めた。
帰り道を教える青い線は、もう見ていなかった。
ユラとセナが道を知っている。
その先で、サヨとマリが待っている。
今夜は、それで十分だった。
原案・構想
無職のおっさん
物語構成・本文作成
Perplexity
校正・文体調整
ChatGPT




