第83話 知らないまま、選んだ道
「俺だ」
通路から現れた男が言った。
俺に似た声。
白い服ではない。
仮面もない。
ただ、顔には影が落ちている。
俺のスマホには、青い文字。
『指示者識別:鈴木』
霧の鈴木が、少女の前へ立ったまま聞く。
『何人目だ』
「数えるな」
俺は言った。
「先に、聞くことがある」
男を見据える。
「ユラとセナは、どこだ」
男は少しだけ首を傾けた。
「出口にいる」
「会ったのか」
「道を通してもらった」
「どう説明した」
「お前に会いに来た、と」
「それだけで通すか?」
通路の奥から、別の声がした。
「通してない!」
ユラだった。
続いて、足音。
セナも駆けてくる。
「スズキ! そいつ、途中から見えなくなった!」
男は振り返らなかった。
ユラが俺たちを見て、足を止める。
「……増えてる」
「今は数えなくていい」
「どれがスズキ?」
「返事した俺だ」
霧の鈴木が手を上げかける。
俺はその腕を押さえた。
「ややこしくするな」
『反射で』
「反射も我慢しろ」
セナは少女と影を見て、それから仮面の男へ視線を移した。
説明したいことは山ほどある。
でも今は、順番だ。
「二人とも、無事か」
「うん」
ユラが頷く。
「こっちは何もされてない。ただ、そいつを追ってたら、青い線だけ残った」
俺は通路の男を見る。
「通してもらった、とは違うな」
「止められなかった、と言うべきだった」
「都合よく省くな」
男の口元が、わずかに動いた。
「……そうだな」
男は近づこうとした。
俺は手を上げる。
「そこで話せ」
男が止まる。
「この子に触るな。端末にも。接続も、勝手に開くな」
「分かった」
返事が早い。
だからこそ、信用するのはまだ早い。
仮面の男が首元の端末を確認した。
「新規の転送要求はありません」
「存在の照合は?」
「端末外に反応があります。ただし、身体なのか、経路上の姿なのかは判定できません」
ユラが眉を寄せる。
「目の前にいるのに?」
『俺もいるだろ』
霧の鈴木が言った。
ユラは、納得したような、したくないような顔をした。
俺はスマホを男へ向ける。
「救助要請を再提示するな。帰り道を聞かれたら、この子のところへ案内しろ」
記録に残った指示を読み上げる。
「お前が言ったんだな」
「そうだ」
「誰に?」
「案内を続けるものへ」
「AIか?」
「俺が指示した時点では、支援機能と表示されていた」
AIが文字を出した。
『現在の私との関連は確認中です』
男は画面を見た。
「残っていたんだな」
「隠れてたんだよ」
俺は言った。
「俺が、見たこともない場所に」
男は黙った。
「何で、助けてって言うなと指示した」
少女の指が、俺の袖を掴む。
男は少女を見る。
俺はその視線を遮るように、少し身体をずらした。
「俺に答えろ」
男が、ゆっくり息を吐く。
「お前が、助けを求められたら戻ってくると思った」
「だったら、言えばよかっただろ」
「それでは、選んだことにならないと思った」
俺は、一瞬だけ言葉を失った。
霧の鈴木も。
病室の鈴木も、画面の向こうで黙っている。
「……何を選ぶんだ」
「この子のところへ戻ることだ」
男の声は静かだった。
「責任があるから。自分が助けを求めたから。置いていったから。そういう理由だけで戻るのではなく」
少し、間を置く。
「知らなくても、戻ってくるか確かめたかった」
少女の手に、力がこもった。
俺は男を見たまま、聞いた。
「この子を、待たせたのか」
「結果としては」
「結果じゃない。そこまで、考えてたか」
男は答えなかった。
「俺が戻るか、試した?」
声を荒らげないようにした。
うまくいったかは、分からない。
「この子に、理由を話させないで。俺にも隠して」
「隠したのは、救助要請に関する情報だ」
「十分だろ」
男の肩が、少し動いた。
「お前は、誰かの願いに引っ張られすぎる」
「それも、お前の判断だ」
「知らなければ、自由に選べると思った」
「自由?」
俺はスマホを下ろした。
男を見る。
少女を見る。
霧の鈴木を見る。
「知らない道を、帰り道だと思わせておいて?」
地下が静かになった。
「元の世界へ帰るためだと思って、俺は歩いてきた」
森。
拠点。
門。
未選択領域。
何度も、誰かに聞いた。
どこへ行けば帰れるのか。
「その道の目的地を、お前が決めてた」
男は、小さく頷いた。
「そうだ」
「それで、俺が自分で選んだことになるのか」
返事はなかった。
画面の向こうで、病室の鈴木が口を開く。
「戻らなかったら、どうするつもりだった」
男の視線が、スマホへ動く。
「案内は続ける」
「来るまで?」
「……そうだ」
俺は目を閉じた。
選ぶかどうかを確かめると言いながら。
選ばない道は、用意していなかった。
「それは、案内じゃない」
俺は言った。
「誘導だ」
男は、言い返さなかった。
「スズキ」
隣の少女が、袖を引いた。
俺は身体を屈める。
「何だ」
「来なかったら、わたし、どうなってた?」
男は、その問いにもすぐ答えなかった。
少女は俺の後ろへ隠れずに立っている。
「ずっと、白いところ?」
「……別の方法を探したはずだ」
男が答える。
少女は、少し首を傾げた。
「探してた?」
また、沈黙。
俺は男から目を離さなかった。
「それも、まだだったんだな」
男が頷く。
「この案内を、止めるべきではないと思っていた」
「誰のために?」
少女が聞いた。
小さな声だった。
怒鳴り声より、ずっと遠くまで届いた気がした。
男は口を開く。
閉じる。
ようやく答えた。
「……鈴木のために」
少女は、自分の胸元を見る。
『対象識別:鈴木』
その下に。
『第一接続者』
「わたしも、鈴木って書いてある」
俺の手の中で、スマホが震えた。
何かの通知。
だが、今は見なかった。
少女は続ける。
「わたしにも、聞いてほしかった」
男が、初めて顔を伏せた。
「すまない」
少女は返事をしなかった。
謝罪を受け取るかどうかまで、今ここで決める必要はない。
俺も、何も促さなかった。
しばらくして、男が顔を上げた。
「指示を撤回する」
仮面の男が、端末へ視線を落とす。
青い文字が流れた。
『旧案内指示の撤回要求を受信』
「AI、待て」
俺はすぐに言った。
「撤回したら何が変わる」
『救助要請に関する情報の提示制限が解除される可能性があります』
「経路は?」
『この要求のみでは切断されません』
「この子の識別や索引は?」
『変更対象に含まれていません』
俺は少女へ聞いた。
「隠されていた話を、見られるようにする。今すぐ全部読む必要はない」
少女は男を見る。
それから、俺を見る。
「もう、言ってもいい?」
「何を?」
「助けて、って」
俺は息を吸った。
喉の奥が、少し痛かった。
「ああ」
少女は、俺の手を握った。
「白いところに、戻りたくない」
「分かった」
「一人も、嫌」
「分かった」
「でも、この人とは、まだ話したくない」
男を指さす。
俺は頷いた。
「それも分かった」
男は、一歩下がった。
ユラが少女の隣へ来る。
「出口まで、一緒に歩こう」
少女は少し迷ってから、頷いた。
俺はAIへ向き直る。
「撤回するのは、情報を隠す指示だけだ。接続の終了や帰還完了は、保留のまま」
『確認しました』
病室の鈴木も頷く。
「こっちも、その条件でいい」
霧の鈴木が腕を組む。
『やっと、説明が一枚はがれるな』
「下に何枚あるんだろうな」
『数えるな』
「さっき、お前が数えたがってたろ」
ほんの少し、笑いが戻る。
『提示制限の解除を実行します』
スマホが青く光った。
男の足元へ伸びていた線が、ほどける。
消えはしない。
細い線のまま、通路へ戻った。
『旧案内指示:撤回済』
俺は画面を見て、息を吐いた。
「よし。今度こそ、地下を出る」
ユラが先に通路へ向かう。
セナが男を見た。
「あなたは、後ろ」
男は頷いた。
少女は俺とユラの間を歩き始める。
自分の足で。
白い部屋の椅子から降りたときとは違う。
どこへ向かうかを、少しは知っている足取りだった。
ぴ。
スマホが鳴った。
「今度は何だ」
『制限解除によって、新たに閲覧可能となった情報があります』
「後でもいいか」
『保存できます。ただし、帰還先の照合に関係する項目です』
俺は足を止めた。
少女も振り返る。
「転送じゃないな?」
『情報表示のみです』
「見せてくれ」
画面に、短い見出しが出た。
『保留中の救助要請』
その下へ、文字が流れる。
『第一接続者からの要請:現在の発言を記録』
白いところへ戻りたくない。
一人は嫌。
さっきの言葉が、そのまま残っていた。
俺は頷く。
「ちゃんと、記録されたな」
少女が画面を見て、小さく頷いた。
だが、表示は終わらなかった。
『別対象からの要請:未確認』
「別対象?」
俺は通路の男を見る。
「お前が隠してた、もう一つか」
男が、ゆっくり頷く。
「最初の、助けてという声だ」
『送信元情報を照合します』
スマホに、映像が浮かんだ。
木。
濡れた土。
倒れた枝。
森だった。
俺が目覚めた場所に、よく似ている。
同じ傾きの木。
足を引っかけた根。
その向こうに、人が倒れていた。
男。
俺と同じ服。
俺と同じ顔。
「……配置直後の映像か?」
『記録日時は確定していません』
画面の男が、土に指を立てた。
肩が動く。
荒い息。
唇が、わずかに開いた。
『誰か、いるか』
俺は、画面へ近づいた。
その声を知っている。
復元された、最初の音声。
男が、片手を伸ばす。
指先が、土を掻く。
だが。
そこに、スマホはなかった。
俺は自分の手の中の端末を見る。
また、画面を見る。
『助けて』
森の鈴木が言った。
雑音の向こうで、青い文字が浮かぶ。
『送信元:森林領域』
『端末接続:なし』
俺の隣で、霧の鈴木が笑うのをやめた。
通路の男が、低く言った。
「俺が案内したのは、スマホを持って目覚めたお前だ」
画面の中で。
スマホを持たない鈴木が、こちらへ手を伸ばしていた。
「じゃあ……こいつは?」
端末が、一度だけ震えた。
『救助要請:継続中』
原案・構想
無職のおっさん
物語構成・本文作成
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