第80話 まだ押していない
『わたし、まだ押してない』
病室にいた少女は、確かにそう言った。
マリと同じ顔。
白銀の髪。
小さな手。
その後ろで、ベッドに横たわる男の指が動いた。
そこで、映像が切れた。
「戻せ!」
俺はスマホへ叫んだ。
『再表示を試みます』
白い文字が流れる。
だが、画面に映ったのは、真っ暗な四角だけだった。
『映像信号を取得できません』
「保存されてないのか!」
『直前の受信分は保存しています。ただし、暗転後の情報はありません』
「……今の、過去の映像じゃなかったのか?」
『判定できません』
仮面の男が、俺のスマホを覗き込む。
「声をかけた直後に、少女の指が止まりました」
「届いたってことか」
「そのようにも見えます。ただ、偶然同じタイミングで動いた記録かもしれません」
俺はスマホを握りしめた。
マリだった。
最初は、そう思った。
でも、別都市のミナも、もう一人のミナも同じ顔だ。
見た目だけで、拠点にいるマリと決めてはいけない。
「AI。拠点につなげ」
『通信を要求します』
ぴ。
一回。
二回。
返事がない。
俺の背中を、冷たいものが滑った。
「サヨ。出てくれ」
三回目。
画面が明るくなった。
『何だい。今、寝かせたところだよ』
サヨの顔が映る。
その後ろには、倒木と岩。
敷いた布の上に、小さな身体が横になっていた。
マリだ。
白銀の髪が、頬にかかっている。
胸が、ゆっくり上下していた。
「マリ、そこにいるな?」
『見れば分かるだろ』
「ずっといたか」
サヨの表情が変わった。
『鈴木。何があった』
「マリと同じ顔の子を見た」
俺は一度、息を吸う。
「日本側の、病院みたいな場所で」
サヨは振り返った。
眠っているマリを見る。
それから、画面へ戻る。
『この子は、ずっとここにいたよ』
「起きて、何か触ったりは?」
『眠る前に石へ手を伸ばしたけど、触らせなかった』
「それ以外は?」
『何も』
俺の隣で、霧の鈴木が小さく息を吐いた。
『ひとまず、拠点のマリは無事だ』
「ああ」
それだけでも、少し安心できた。
サヨが声を落とす。
『問い詰めるつもりなら、今はやめな』
「しない」
『顔が同じだからって、この子が何かしたと決めるんじゃないよ』
「分かってる」
俺は、画面のマリを見る。
眠っている。
ここにいる。
「ただ、確かめたかった」
サヨが、静かに頷いた。
『スズキ?』
小さな声がした。
マリが、布の上で目を開けていた。
「ああ。起こしたか」
『かえった?』
「まだだ」
マリの口が、少し尖る。
『まだ』
「怒るな。俺も、まだかよって思ってる」
霧の鈴木が肩を揺らした。
サヨがマリの髪を直す。
『寝てていいんだよ』
マリは首を横に振った。
それから、俺の画面を見た。
いや。
俺の隣を。
『そのこ、だれ?』
袖を掴んでいた少女が、俺の後ろへ半歩隠れる。
「白い部屋から出てきた子だ」
『なまえ』
「まだ分からないんだ」
マリは、少し考えた。
『マリも、さいしょ、なかった』
俺は少女を見る。
少女も、マリを見ていた。
初めて会う二人。
少なくとも、俺にはそう見えた。
「そうだったな」
マリが頷く。
『ゆっくりでいい』
少女の指が、俺の袖から少し緩んだ。
「……うん」
小さな返事。
そこで終わるはずだった。
だが、マリが目をこすって、続けた。
『しろいとこ、こわい?』
少女の肩が固まる。
俺も、動きを止めた。
「マリ。白いところって、何だ」
『ゆめ』
「どんな夢だ」
サヨが、マリの肩へ手を置いた。
俺はすぐに言い足す。
「嫌なら、話さなくていい」
マリは少し黙った。
それから、自分の指を見る。
『ベッド』
俺の喉が乾く。
『おと、ぴっ、ぴっ、って』
隣で、仮面の男が端末へ視線を落とした。
俺は制した。
「まだ、つなぐな」
「何もしていません」
「分かった」
俺はマリへ向き直る。
「その夢で、何をしてた」
『スズキ、ねてた』
「俺が?」
『うん』
マリの指が、布を掴む。
『おこしたかった』
「それで?」
『しかくいの、あった』
「スマホか」
マリは、俺の手元を指した。
『それ』
サヨが、マリを抱き寄せる。
俺は聞きたい言葉を、ひとつずつ飲み込んだ。
何を押した。
誰に言われた。
俺を分けたのか。
違う。
先に聞くべきことがある。
「マリ。今も、その夢は見えるか?」
小さな首が横に動く。
『いま、ここ』
「痛いところは?」
『ない』
「怖い?」
少し間があった。
『ちょっと』
「分かった。サヨのそばにいてくれ。石には触らなくていい」
マリがサヨの服を掴む。
俺の隣の少女と、よく似た動きだった。
『スズキ』
「何だ」
『マリ、まだ、おしてない』
俺は目を閉じた。
病室の少女と、同じ言葉。
だからといって、同じ存在とは決められない。
夢なのか。
記憶なのか。
今もどこかでつながっているのか。
分からない。
「分かった」
俺は、ゆっくり答えた。
「今は何も押さなくていい」
拠点との通信を終えた。
マリがもう少し話したくなったら、サヨから伝えてもらう。
こちらから夢の続きを聞き出すことはしない。
スマホを下ろすと、霧の鈴木が腕を組んでいた。
『夢で同じ映像を見たのか、それとも映像の中にいたのか』
「まだ分からない」
『分からないことばっかりだな』
「知ってる」
『俺も知ってる』
「同じこと二回言うな」
少しだけ笑ってから、俺は仮面の男を見る。
「さっきの映像。文字は残ってるな」
「はい」
『分割処理を開始しますか』
白い画面が再表示された。
その下には、二つのボタン。
『実行』
『保留』
俺は、文字を指でなぞる。
「影は、自分がやったのは配置かもしれないと言った」
壁にもたれていた影が頷く。
『記録には、私の実行以前から複数の鈴木がいた』
「でも、病室には分割の開始画面がある」
『そうだ』
「同じ処理なのか?」
影は答えなかった。
仮面の男も、表示を見つめる。
「処理名だけでは判断できません」
「中身を調べられるか」
スマホに、AIの文字が浮かんだ。
『受信映像に付随する情報を確認します。新規接続は行いません』
「頼む」
表示が流れる。
一行。
二行。
急に止まった。
『説明欄の一部を復元しました』
「見せろ」
白い文字が出た。
『同時接続の負荷を軽減するため、複数の対象を個別経路へ分離します』
俺は、黙って読んだ。
もう一度。
今度は、声に出さずに。
「……身体を分けるとは書いてないな」
「はい」
男の声が、少し強くなる。
「少なくとも、この説明では、分離するのは経路です」
霧の鈴木が身を乗り出した。
『じゃあ、押したら俺たちが増えるとは限らない?』
『その通りです。ただし、説明欄は一部しか復元できていません』
AIが答える。
俺は、大きく息を吐いた。
少女が俺を見る。
「マリ、わるくない?」
「誰が悪いかは、まだ決めない」
俺はしゃがんで、少女と目を合わせた。
「でも、あの画面に触ろうとしただけで、誰かを分けたと決めるのは間違いだ」
少女は、何度か瞬きをした。
「じゃあ、あの子、スズキを起こしたかっただけ?」
「そう言ってた」
壁際の影が、自分の手のひらを見る。
『私は、処理の名前だけを覚えていたのかもしれない』
「だったら、そこから確かめよう」
今度は。
難しい説明も。
怖い名前も。
書いてある通りには受け取らない。
ぴ。
スマホが鳴った。
『医療施設側から、映像信号を受信』
俺は立ち上がりかけた。
膝が鳴る。
「いてっ」
『焦るからだ』
「座ってても来るものは来るだろ!」
霧の鈴木が、俺の肩を押して座らせた。
仮面の男が表示を確認する。
「映像のみです。退出や転送の要求はありません」
「よし。映してくれ」
白い病室が戻った。
ベッド。
小さな台。
スマホ。
マリと同じ顔の少女は、台から少し離れて立っていた。
両手を胸の前で握っている。
押していない。
少なくとも、今は。
ベッドの男の腕が動いた。
細い管が、袖口で揺れる。
ゆっくり。
男の手が、台のスマホへ伸びた。
「おい」
俺は呼びかける。
「聞こえるか」
手が止まった。
男の顔は、まだ見えない。
マリと同じ顔の少女が、ベッドへ寄る。
『スズキ?』
男は答えない。
指先だけが動く。
『実行』へ近づく。
「待て!」
俺は声を張った。
「その画面、何をするのか分かってるのか!」
指が止まる。
それから、ゆっくり横へ動いた。
『保留』
男の指が、そこを押した。
病室のスマホから、白い画面が消える。
代わりに、新しい表示が浮かんだ。
『個別経路への分離:保留』
『現在の同時接続を維持します』
俺のスマホも、同じ文字を映した。
その下へ、一覧が開く。
『接続対象を表示』
鈴木。
アオイ。
ミナ。
マリ。
四つの識別情報。
それぞれに、複数の反応を示す細い線が伸びていた。
一覧の見出しを見て、仮面の男が息をのむ。
『主接続端末』
病室のスマホへ、青い枠が重なった。
そして。
俺の手の中のスマホにも、同じ枠。
『主接続端末との同期を確認』
「……このスマホにつながってるのか?」
『照合中です』
AIの文字が、途中で止まる。
病室の男が、スマホをこちらへ向けた。
画面には。
石の地下。
俺。
霧の鈴木。
隣に立つ少女。
今、こちらにいる全員が映っていた。
マリと同じ顔の少女が、その画面を覗き込む。
『そっちのスズキも、みえる』
ベッドの男が、ゆっくり顔をこちらへ向けた。
俺と、同じ顔だった。
目が開いている。
その唇が動いた。
「……切るな」
かすれた声。
「保留にした。まだ、確かめられる」
俺はスマホを握り直した。
「何を」
病室の鈴木が、青い一覧を見た。
「最初に、誰の経路を開いたのか」
その瞬間。
隣の少女の胸元が、青く光った。
鈴木という識別表示の下に。
これまで見えなかった、一行が浮かぶ。
『第一接続者』
原案・構想
無職のおっさん
物語構成・本文作成
Perplexity
校正・文体調整
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