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無職のおっさんの異世界AI生活  作者: 無職のおっさん


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第8話 足音のない気配

 朝の空気は、昨日より少し湿っていた。


 岩の縁に残った夜露が、焚き火の熱でゆっくり乾いていく。


 俺は目を開ける前に、まず匂いで朝を知った。


 土と草と、かすかな煙の匂い。


 この森の朝にも、だいぶ身体が馴染んでしまったらしい。


「……スズキ」


 横から、小さな声がした。


 マリはもう起きていて、膝を抱えたまま俺の顔を見ていた。


「起きてるか」


「……うん」


 返事は短いが、昨日より少しだけ自然だ。


 互いの名前を呼ぶことにも、少しずつ慣れ始めているのかもしれない。


「寒くないか」


「へいき」


「そうか」


 俺は上体を起こし、焚き火の跡を確かめた。


 灰の奥には、まだ赤い火種が残っている。


 乾いた葉と細い枝を重ねて息を吹き込むと、炭の奥から細い炎が戻ってきた。


「水を温めるぞ」


 昨夜のうちに葉と樹皮の受け皿へ汲んでおいた水を、火の近くへ移す。


 十分に熱した乾いた石を二本の枝で挟み、一つずつ水の中へ沈めていった。


 じゅっ、と音がして、薄い湯気が立つ。


「……あつい」


「熱いからな。飲めるようになるまで待て」


 マリはしゃがんだまま、水面をじっと見つめていた。


 ただ眺めているというより、俺の動きを一つずつ覚えようとしている目だった。


 水が冷めるのを待ちながら、俺は昨日の罠のことを思い出す。


 魚を回収したあと、帰る前にもう一度同じ場所へ仕掛け直しておいた。


 今の生活では、食べ物を完全に運任せにする必要はなくなりつつある。


 同じ場所を観察し、同じ手順を繰り返す。


 それだけでも、少しずつ結果を再現できるようになってきた。


「今日は、罠を見に行くぞ」


「……うん」


 マリは頷き、自分で草履の紐を結び直した。


 その仕草も、前ほど不器用ではない。


 川へ向かう道は、昨日より少しだけ明るく見えた。


 木々の隙間から落ちる光が、細い筋になって地面を照らしている。


 マリは俺の少し後ろを歩きながら、ときどき周囲を見回していた。


「どうした」


「……だれか」


「人がいるのか?」


 マリはすぐに首を横へ振った。


「ちがう。……おと」


 俺は足を止めた。


 耳を澄ます。


 風が葉を揺らす音。


 遠くから聞こえる川の流れ。


 それ以外には、すぐ分かるような音はない。


「どの辺だ」


 マリは少しだけ前方の林を指した。


 はっきりした場所ではない。


 それでも、何かが気になっているのは分かった。


 俺は胸ポケットからスマホを取り出した。


「何か聞こえるか?」


「明確な足音は検出されていません。ただし、前方で枝葉が擦れる音が一度記録されています」


「風じゃないのか」


「可能性はあります。音源の種類は特定できません」


 画面を見たまま、もう一度林へ目を向ける。


 何も動いてはいない。


「気のせいかもしれないが、覚えておくか」


「……うん」


 その返事は小さかったが、少しだけ強かった。


 川辺に着くと、俺はまず罠の位置を確認した。


 昨日と同じ浅瀬に沈めた筒は、流れに押し流されることもなく残っている。


 ただ、入口の向きがほんの少しずれていた。


「誰かが触った、ってほどじゃないな」


 つぶやくと、背後のマリが小さく息をのんだ。


「おと?」


「分からん。魚かもしれないし、流木が当たったのかもしれない。流れで動いただけかもな」


 俺は慎重に罠を持ち上げた。


 中には、小魚が三匹入っている。


 昨日より少ないが、空ではなかった。


「少しだけ獲れた」


「……うん」


 マリは、ほっとしたように肩の力を抜いた。


 それを見て、俺も少しだけ緊張を緩める。


 だが、川辺から戻る途中で、違和感はさらに濃くなった。


 一本の木の幹に、細い切れ目が残っていた。


 色の濃い古い傷ではない。


 周囲の樹皮より明るく、つけられてからそれほど時間が経っていないように見える。


 獣が引っかいたにしては、少し真っすぐすぎた。


 俺はその前で足を止める。


「……スズキ?」


「静かに」


 声を落とすと、マリもすぐに口を閉じた。


 スマホのカメラを傷へ向ける。


「この跡、分かるか?」


「切れ目は比較的直線的です。ただし、植物の破断、動物との接触、人為的に付けられた傷のいずれかは断定できません」


「人がつけた可能性もあるってことか」


「否定はできません」


 さらに少し進むと、地面の草と落ち葉が不自然に押し潰されていた。


 人間の足跡と呼べるほど、はっきりした形ではない。


 だが、周囲の地面と比べれば、何かが通ったように見える。


 俺はその跡も撮影した。


「葉の圧迫は比較的新しいと推定されます。明確な足跡や爪痕は確認できません」


「役に立つような、立たないような分析だな」


「誤った断定を避けています」


「それは分かってる」


 この近くに、俺たち以外の何かがいる。


 そう考えた方がよさそうだった。


「帰るぞ」


「……なんで」


「まだ分からん。分からんけど、今は近づかない方がいい」


 マリはすぐに頷いた。


 それ以上は問い返さない。


 けれど、足の運びが少しだけ速くなった。


 拠点へ戻ると、俺は焚き火へ枝を足し、火を少し大きくした。


 火があるだけで、少なくとも気持ちは落ち着く。


 文明の名残というより、身体に染みついた習慣なのかもしれない。


「スズキ」


「なんだ」


「……だれ」


 それだけで、マリが何を聞きたいのか分かった。


「まだ分からない。人かもしれないし、獣かもしれない」


 俺は小魚を平らな石の上へ並べる。


 ナイフも包丁もない。


 縁の薄い石を拾い、その鋭い部分を使って魚の腹を開き、内臓を取り除いていく。


「ただ、俺たちの近くを何かが通った可能性はある。だから今日は、森の奥には行かない」


「……うん」


「罠も、しばらくは今の場所のままだ。無理に増やさない」


 俺の判断に、スマホの声は少し間を置いて答えた。


「防衛を優先する判断として、妥当です」


「珍しくまともなことを言ったな」


「状況分析の結果です」


 マリは俺とスマホのやり取りを聞きながら、乾いた草の束を指でいじっていた。


 昨日までなら、会話の意味までは分からず、ただ眺めていただけかもしれない。


 だが今は、俺の声が軽いのか、警戒しているのか、その違いを少し感じ取っているようだった。


 昼前、火のそばで焼いた魚を食べる。


 周囲は静かなのに、背中がざらつくような感覚は残っていた。


「スズキ」


「ん?」


「また……くる?」


 マリは森の方を見ながら言った。


「分からん。来るかもしれないし、来ないかもしれない」


「……こわい?」


 俺は少し黙った。


 怖いかと聞かれれば、怖い。


 だが、平気なふりをするのも違う気がした。


「警戒はしてる」


「けいかい」


「そう。怖がるだけじゃなくて、何か起きても動けるように気をつけるってことだ」


 マリはその言葉を、口の中で確かめるように繰り返した。


「……けいかい」


「そうだ」


 そのあとしばらく、二人とも黙って魚を食べた。


 火がぱちぱちと鳴る。


 森は静かだった。


 だが、静かだから安全だとは限らないことを、俺はもう知っている。


 午後になると、風が少し強くなった。


 木の葉が揺れ、遠くで何かが落ちる音がする。


 マリはそのたびに顔を上げ、すぐに俺を見る。


 確認しているのだろう。


 ここにいていいのか。


 何かあっても大丈夫なのか。


 そんな問いが、言葉にならないまま浮かんでいる。


「大丈夫だ」


 俺がそう言うと、マリは少しだけ頷いた。


「今日のところは、拠点の近くで草を集めるだけにする」


「……うん」


「無理に遠くへ行かなくていい」


 それから二人で、拠点の周囲にある乾いた草を集めた。


 屋根の隙間を埋める分。


 寝床の下へ敷く分。


 量は少ないが、ないよりはずっとましだった。


 夕方が近づくころ、拠点の周囲をもう一度見回った。


 気になる跡は、まだそのまま残っている。


 だが、それ以上の変化は見つからなかった。


「今日はここまでだな」


「……うん」


 マリは小石を一つ拾い、手のひらの上で転がした。


 その姿を見ていると、少しだけ気持ちが落ち着く。


 この子もまた、森の音や変化を覚え始めているのだろう。


 火を強め、夜を越す支度を始める。


 まだ何も起きてはいない。


 だからこそ、気を抜いてはいけない。


「スズキ」


「なんだ」


「……ここ、だいじ?」


 その問いに、俺は迷わず答えた。


「ああ。大事だ」


 マリは火の揺れを見つめたまま黙った。


 それから、ほんの少しだけ肩の力を抜く。


「なら、まもる」


 小さな声だったが、はっきりと聞こえた。


 その言葉で、今日の不穏さは少しだけ形を変えた。


 何かに脅かされているというだけの気配から。


 守るべきものが、ここにあるという実感へ。


 森の中に、誰かがいるのかもしれない。


 だが、ここはもう、ただ拾われた子どもと、ただ迷い込んだおっさんの場所ではない。


 マリがいる。


 俺がいる。


 火がある。


 その夜、焚き火はいつもより少しだけ長く燃え続けた。

原案・構想

無職のおっさん


物語構成・本文作成

Perplexity


校正・文体調整

ChatGPT

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