第77話 四人目の鈴木
影の胸元に、青い文字が浮かんでいる。
『対象識別:鈴木』
俺は、何度も目をこすった。
文字は消えない。
白い部屋にいる少女も鈴木。
霧の鈴木も鈴木。
そして、俺も鈴木。
さらに。
椅子の後ろに立つ、顔の見えない影まで鈴木。
「……四人目かよ」
『勝手に増やすな』
霧の鈴木が言った。
「俺が増やしたわけじゃない」
『毎回そう言う』
「今回、本当に俺じゃない」
仮面の男が、ガラケーの小さな画面を見つめている。
「識別結果に異常があります」
「今さらだな」
「異常というより……」
男は、言葉を選んだ。
「同一人物が四人存在する、という意味ではありません」
「じゃあ何だ」
「四つの対象が、それぞれ“鈴木”という識別情報に接続されています」
「余計に分からん」
俺は画面を指した。
「何が違う」
男は、自分の首元の端末へ視線を落とす。
「現在の鈴木は、主に身体情報を保持しています」
「俺だな」
「霧の鈴木は、行動記録と選択履歴の比率が高い」
『それで俺は、こいつの失敗ばっかり覚えてるのか』
「俺のせいにするな」
「白い部屋の少女は」
男は続けた。
「未分類の感情反応を、多く保持している可能性があります」
少女が、自分の胸元を見る。
「感情……」
「そして」
俺は、少女の後ろにいる影を見る。
「あいつは?」
男の端末に文字が流れる。
『照合不能』
「おい」
「待ってください」
次の表示。
『役割情報のみ検出』
「役割?」
青い文字が、影の胸元で揺れた。
『分割実行者』
白い部屋の空気が、凍った。
少女が、ゆっくり影を見上げる。
「この人が」
少女は言った。
「あなたを最初に分けた」
「どういう意味だ」
俺はガラケーへ顔を近づける。
「俺を分けたって、何を分けた」
少女は答えなかった。
代わりに。
影が、ゆっくり手を上げた。
白い壁に、青い線が走る。
一本。
二本。
三本。
四本。
線の先に。
俺たちの姿が浮かんだ。
俺。
霧の鈴木。
白い部屋の少女。
そして。
顔の見えない影。
四つの光が。
さらに大きな一本の線へつながっている。
「……最初は、一つだったのか」
『違う』
初めて。
影が声を出した。
低い声。
俺の声に似ている。
でも。
もっと古くて。
ひどく疲れていた。
『最初から、お前は一つでは足りなかった』
背筋が冷たくなる。
「何だよ、それ」
『帰るために』
影が言った。
『お前は、自分を分けた』
「俺が?」
『そうだ』
「何のために」
影は、少しだけ黙った。
『一人では、連れて帰れなかった』
ガラケーの画面が。
ぱっと青く光った。
『記録照合:開始』
「待て」
頭の奥に。
激しい痛みが走った。
「……っ!」
白い廊下。
青い門。
誰かの泣き声。
そして。
俺が、誰かの手を握っている。
小さな手。
震えている。
「……アオイ?」
白い部屋の少女が、首を横に振った。
「違う」
「じゃあ誰だ」
「ミナ」
その名前が出た瞬間。
画面の外。
ずっと遠くで。
誰かが息をのんだような音がした。
別都市のミナ。
もう一人のミナ。
二人とも、今は経路の向こうにいるはずだ。
「俺が……ミナを助けた?」
「助けようとした」
少女の声は静かだった。
「でも、一人では足りなかった」
「だから」
俺は影を見る。
「俺を分けた?」
「うん」
「俺自身が?」
「うん」
そんなはずがない。
俺はただの無職のおっさんだ。
スマホ一つで異世界へ落ちて。
何も分からなくて。
火の起こし方さえ知らなくて。
ここまでずっと。
分からないことばかりだった。
「俺に、そんなことができるわけない」
『できた』
影が言った。
「覚えてない」
『だからだ』
「何が」
『自分を分けたから』
影の声が。
少しだけ低くなる。
『お前は、忘れた』
---
ガラケーが震えた。
ぴりりりり。
「またかよ」
今度の表示は。
『発信者:不明』
『出るな』
霧の鈴木が、すぐに言った。
「さっきも出てない」
『でも、勝手に再生された』
「そこが一番問題なんだよ」
仮面の男が、首元の端末を見る。
表情が変わった。
「発信は、白い部屋の内部からではありません」
「じゃあ、どこだ」
「未選択領域です」
俺たちの背後。
薄くなっていた青い道が。
一瞬だけ、強く光った。
「アオイたちか?」
「違います」
男の声が硬くなる。
「未選択領域の――さらに奥です」
白い部屋の少女が。
突然、椅子から立ち上がった。
「来る」
「誰が」
少女は答えない。
影を見ている。
影も。
初めて、ゆっくり顔を上げた。
光のせいで。
まだ顔は見えない。
だが。
その口元だけが、わずかに動いた。
『間に合わなかった』
「何が――」
次の瞬間。
白い部屋の壁に。
深いひびが入った。
ばきんっ!
「何だ!」
ガラケーの映像が激しく乱れる。
少女がよろめく。
影の胸元の表示が。
青から赤へ変わった。
『分割実行者:接続解除』
「おい!」
白い壁が崩れる。
椅子が倒れる。
床の端から。
黒い霧が、部屋を飲み込み始める。
「何をした!」
俺が叫ぶ。
影は答えない。
少女が、こちらへ手を伸ばした。
「鈴木!」
「少女を出せ!」
俺は仮面の男を見る。
「今すぐ!」
「経路が不安定です!」
男が叫び返す。
「この状態では、救出可能な対象は一件だけです!」
「一件?」
「誰か一人しか引き出せません!」
また。
その言葉だった。
一人。
俺。
霧の鈴木。
白い部屋の少女。
分割実行者。
そして。
経路の外には、二人のミナ。
アオイたち。
ユラ。
セナ。
マリ。
みんながいる。
「嫌だ」
俺はガラケーを握りしめた。
「誰か一人だけなんて、選ばない」
「時間がありません!」
「なら、経路を切るな!」
「切らなければ、接続中の対象すべてが巻き込まれる可能性があります!」
白い部屋の少女が叫ぶ。
「わたしはいい!」
「よくない!」
俺は怒鳴った。
「お前が勝手に決めるな!」
少女が、目を見開く。
俺は自分で言ってから。
一度、息を吸った。
「……違う」
「鈴木?」
「お前が決めるな、じゃない」
俺は言い直す。
「一人で決めるな」
少女を見た。
「俺も、一人では決めない」
ガラケーの画面に。
白い文字が浮かぶ。
『救出対象を選択してください』
その下に。
『1:現在の鈴木』
『2:霧の鈴木』
『3:未分類の少女』
『4:分割実行者』
俺の指が止まる。
さらに。
一番下。
小さな文字。
『未選択:全対象の消去』
「……ふざけるな」
選んでも。
選ばなくても。
誰かが消える。
また。
門が作った選択肢の中から。
一つを選べと言っている。
「AI!」
返事はない。
「おい! いるなら答えろ!」
黒いスマホも。
ガラケーも。
何も答えない。
白い部屋が、さらに崩れる。
少女の足元まで、黒い霧が迫る。
「鈴木!」
霧の鈴木が叫ぶ。
『どうする!』
「決まってる!」
『どれを押す!』
「押さない!」
『押さなかったら全員消えるぞ!』
「この四つからは選ばない!」
俺は画面を睨む。
「選択肢を増やす!」
その瞬間。
白い部屋の奥。
黒い霧の向こうから。
声がした。
『あるよ』
俺たち全員が、動きを止める。
「誰だ」
黒い霧の奥。
何も見えない。
でも。
声だけは、はっきり聞こえた。
『五番目がいる』
「五番目?」
ガラケーの画面が。
一瞬で書き換わった。
『1:現在の鈴木』
『2:霧の鈴木』
『3:未分類の少女』
『4:分割実行者』
そして。
『5:――』
名前が表示される。
その直前。
俺の足元で。
青い光が走った。
「何だ!」
地面が。
一直線に割れる。
黒い亀裂ではない。
鮮やかな青。
未選択領域へ続く道とも違う。
もっと深い場所から。
何かが、こちらへ上がってくる。
仮面の男の端末が。
突然、復旧した。
『新規対象を検出』
「誰だ!」
表示が乱れる。
『識別情報:照合中』
白い部屋の影が。
初めて一歩、後ろへ下がった。
『まさか』
「知ってるのか!」
返事はない。
青い亀裂が。
大きく開く。
そして。
その中から。
誰かの手が伸びた。
人間の手。
大人の手だった。
ガラケーの五番目の欄に。
一文字だけ。
表示が始まる。
『5:鈴――』
その先が出る前に。
俺の足元が、青く割れた。
原案・構想
無職のおっさん
物語構成・本文作成
Perplexity
校正・文体調整
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