第72話 扉の向こうの返事
こん。
こん。
こん。
画面の向こうで、少女が扉を見つめている。
扉には、
『分岐以前の記録』
と刻まれていた。
俺は男の端末を見る。
『退出要求:一件』
「開けるなよ」
少女へ言うと、すぐに返事が来た。
「開けない」
「白い服の連中にも触らせるな」
「もう逃げてる」
確かに。
扉の前に立っていた二人は、通路の奥まで下がっていた。
「AI」
『はい』
「今、何が起きてる」
『閲覧要求と退出要求は、別の処理です』
「つまり?」
『現在、扉の閲覧・開放は許可されていません。しかし、内部から外部へ出ようとする要求だけが発生しています』
「じゃあ、ノックは?」
『扉の内側から生じた振動です』
「……本当に誰かいるのか」
『それは、まだ分かりません』
霧の鈴木が画面を覗き込む。
『記録の扉だろ。中身も記録かもしれない』
「記録がノックするのか?」
『俺に聞くな。俺だって、自分が何なのかまだよく分かってない』
「それはそうだな」
『そこで納得するなよ』
いつもの言い合いに。
ほんの少しだけ、肩の力が抜けた。
だが。
男は笑わなかった。
首元の端末を押さえたまま、扉を見ている。
「私が知っている施設には、記録を保管する領域がありました」
「この扉は知らなかったのか」
「はい」
「中に人を置けるのか」
「分かりません。ただ……」
「ただ?」
「白い側が『存在しない』と言い続けた場所です」
男は扉を見つめる。
「理由もなく隠すとは思えません」
また。
ノックがした。
こん。
さっきより、少し弱い。
---
「AI。扉を開けずに、相手を確かめる方法は」
『退出要求に付随する文字情報なら、照会できる可能性があります』
「向こうへ何か送るのか」
『照会要求のみです。扉の開放や索引の転送は行いません』
「誰の端末から送る」
『制御者端末です』
俺は男を見る。
「お前の端末だ。勝手には使わない」
男は、一瞬だけ目を見開いた。
「……照会だけなら、許可します」
「少女の方は?」
「扉には触れない。画面を見るだけ」
「よし」
俺はスマホを握り直した。
「AI。文字情報だけ照会」
『了解しました』
男の首元に、新しい表示が出る。
『退出要求者の識別情報を照会中』
一秒。
二秒。
三秒。
『照会失敗』
「早いな!」
『識別情報がありません』
「ない?」
少女が、扉の脇にある小さな画面を映した。
『退出要求者:未登録』
三人目のアオイが、俺の後ろから顔を出す。
『名前を消されたとか?』
「あり得る」
『それ、わたしたちと似てる』
彼女の声が、少し硬くなる。
今のアオイが、幼いアオイの前へ半歩出た。
「名前がなくても、返事はできる?」
「そうだな」
俺は男へ聞く。
「文字を一行だけ、向こうへ送れるか」
『可能です』
AIが先に答えた。
『ただし、相手が受信できるかは不明です』
男が頷く。
「送る内容を教えてください」
俺は少し考えた。
「名前を聞く前に、本人が本当に出たいのか確認する」
霧の鈴木が首をかしげる。
『退出要求を出してるんだから、出たいんだろ』
「誰が出した要求かも分からない」
『ああ』
「内側にいる相手自身が出したとも限らない」
『……なるほど』
男の端末に、一行だけ入力する。
『そこにいるあなたは、扉を開けてほしいですか』
「送っていいか」
男は画面を見てから答えた。
「はい」
文字が消える。
しばらく。
何も起きなかった。
少女が映す地下通路には、低い機械音だけが流れている。
「届かなかったか」
俺が言った、そのとき。
こん。
扉が一回、鳴った。
「返事か?」
少女が扉を見る。
「一回なら、はい。二回なら、いいえ」
「待て」
俺はすぐに止めた。
「今のルール、相手も聞いてるのか」
「……分からない」
「だったら、もう一度送る」
男に確認してから、AIへ文面を伝えた。
『一回なら「はい」、二回なら「いいえ」。あなた自身は、今、扉を開けてほしいですか』
送信。
数秒後。
こん。
一回。
霧の鈴木が息を吸う。
『開けてほしいってさ』
「そういう意味で返した可能性は高い」
『慎重だな』
「今までが雑すぎたんだよ」
『お前が言うか』
「うるさい」
俺は画面の扉を見る。
「でも、まだ開けない」
『分かってる』
「もう一つ聞く」
俺はAIへ言う。
「出たあと、何をしたいのか」
『自由回答を要求します』
送信。
返ってきたのは。
たった四文字だった。
『あいにいく』
幼いアオイが、今のアオイの服を掴む。
『誰に?』
その問いも送った。
返事は来ない。
代わりに。
こん。
こん。
二回。
「答えたくない……?」
「答えられないのかもしれない」
今のアオイが言った。
「そうだな」
二回の意味も。
俺たちが決めたものにすぎない。
相手に声があるのか。
文字を自由に打てるのか。
それすら、まだ分かっていない。
---
そのとき。
男の端末に、警告が浮かんだ。
『退出先の指定を検出』
「おい」
俺は身を固くする。
「誰が指定した」
『退出要求と同じ発信元です』
「どこへ出るつもりだ」
表示が切り替わる。
『退出先:未選択領域』
俺たちの背後で。
青い道が揺れた。
霧の奥から、いくつもの光がこちらを見ている。
三人目のアオイが低く言った。
『こっちへ来たいの?』
「まだ道はつながってない」
俺はAIへ確認する。
『はい。退出先の指定のみです。転送処理は開始されていません』
「未選択領域にいる子たちにも、入っていいか聞いてない」
少女が画面の向こうで頷いた。
「わたしも、扉は開けない」
そのとき。
扉の前から逃げていた白い服の一人が、通路の奥で大きく腕を振った。
少女へ合図している。
「何だ?」
彼女が振り返る。
通路の壁に並んでいた青い点が。
端から順番に消え始めた。
一つ。
二つ。
三つ。
まるで。
誰かが照明を、一つずつ落としているみたいに。
「白い側が何かしてるのか」
男の端末に、別の警告が出る。
『記録領域の隔離処理を検出』
「隔離?」
「外部との接続を切る処理です」
男の声が険しくなる。
「領域そのものを切り離し、中にあるものを外へ出せなくする」
少女が振り返り、扉を見る。
「このままだと、中の相手と話せなくなる」
「扉を開ければ、誰か分からない相手がアオイたちのいる場所へ出るかもしれない」
「分かってる」
少女は扉から離れなかった。
俺も。
すぐには答えられない。
助けを求めているかもしれない相手。
未選択領域にいる、守らなければならない子たち。
どちらかを。
勝手に差し出していいはずがない。
「AI。退出先を変えることは」
『要求者本人の同意があれば可能です。ただし、安全な退出先は未確認です』
「時間は」
『隔離まで、推定三十秒』
「短いな!」
霧の鈴木が、俺の肩を叩く。
『退路を探せ。俺はアオイたちに話す』
「頼む!」
もう一人の俺が、青い道を駆けていく。
俺は男へ向き直った。
「扉は開けない」
「はい」
「まず相手に、別の場所へ出る気があるか聞く」
「分かりました」
少女も頷く。
「わたしは、この街で安全に使える場所を探す」
「白い側の街だろ」
「だから、確かめる」
男の端末から、短い文字を送った。
『未選択領域には、そこにいる人たちの同意が必要です。別の退出先を選べますか』
十秒。
返事はない。
壁の青い点が。
また一つ消える。
少女の足元まで、暗闇が迫っていた。
「届いてないのか!」
『受信は確認しました』
「なら、待つ」
『隔離まで、推定八秒』
「分かってる!」
扉の向こうから。
音がした。
こん。
こん。
二回。
別の場所へは行きたくない。
そう答えたようにも聞こえる。
だが。
俺はまだ決めつけない。
次の瞬間。
男の端末に文字が出た。
『退出先:未選択領域』
その下に。
もう一行。
『指定理由:あそこに、わたしがいる』
今のアオイが。
俺を見た。
幼いアオイも。
三人目のアオイも。
誰も声を出さない。
少女が、画面の向こうから扉へ叫ぶ。
「あなたは誰!」
隔離まで。
三秒。
二秒。
そのとき。
扉の内側から。
初めて。
はっきりした声が返ってきた。
「まだ、分けられていないアオイ」
男の端末が。
一斉に青く光った。
原案・構想
無職のおっさん
物語構成・本文作成
Perplexity
校正・文体調整
ChatGPT




