第69話 消してはいけない名前
白い杖が、振り下ろされた。
狙いは、仮面の男の首元。
そこに埋め込まれた黒い端末には、四十七件のアオイ由来反応へつながる索引がある。
壊されれば。
霧の中に残る声を、二度と見つけられないかもしれない。
「伏せろ!」
俺は男へ飛びついた。
二人で霧の地面を転がる。
白い光が、さっきまで男の首があった場所を貫いた。
どんっ!
音のないはずの深部に、鈍い衝撃が響く。
「鈴木!」
今のアオイが叫んだ。
「大丈夫だ!」
嘘じゃない。
腕は痛い。
でも、まだ動く。
男の首元の端末も、まだ光っている。
白い仮面たちが、杖を構え直した。
「制御者の記録を初期化します」
「本人が嫌だって言ってるだろ!」
「同意は不要です」
「だろうな!」
俺は男の腕を引いた。
「立てるか」
「……立てます」
「だったら走る」
「索引を持ったまま、深部の出口を通過できるとは限りません」
「今、試す」
男が俺を見る。
「あなたは、いつもそうなのですか」
「何が」
「分からないまま動く」
「確認してから動くようにはしてる」
「今は?」
「確認した」
俺は男の腕を引き上げた。
「お前は助けを求めた」
男は一瞬、言葉を失った。
その隙に、白い仮面の杖が光る。
俺はスマホを掲げた。
「AI! 索引を複製できるか!」
『現在の端末には、全件を保存できません』
「一件もか」
『全四十七件の識別情報を複製するには、容量が不足しています』
「古いスマホは!」
三人目のアオイが、ひび割れた端末を持ち上げる。
『十二件分なら入るんでしょ?』
「でも、勝手には移せない」
『分かってる』
三人目のアオイは、俺ではなく霧の奥へ向き直った。
『聞こえる?』
青い光が揺れる。
『白い人たちが、わたしたちを見つける道を消そうとしてる』
いくつもの光が、わずかに明滅した。
『この端末へ、一時的に道しるべを移したい』
三人目のアオイは続ける。
『嫌な子は、来なくていい』
一つの光が近づいた。
泣いている声。
『暗いの、いや』
俺のスマホにAIの文字が浮かぶ。
『退避するのは、反応へ再接続するための情報です。反応そのものではありません』
「今の、聞こえたか」
俺は青い光へ言った。
「お前を小さな機械に閉じ込めるんじゃない」
光が揺れる。
「あとで見失わないための目印を、別の場所にも残すだけだ」
少し長い沈黙。
やがて。
『……いい』
『同意を確認。一件目の索引を複製します』
古いスマホの画面に、青い点が灯った。
続けて、二つ目。
三つ目。
そのとき。
白い仮面が杖を地面へ突き立てた。
「退避処理を停止します」
霧が白く跳ねた。
古いスマホの画面に、細いひびが増える。
「まずい!」
仮面の男が、俺の前へ出た。
首元の端末から青い線が伸びる。
白い光を受け止めた途端。
男の膝が折れた。
「一人で受けるな!」
「あなたは、索引を守ってください」
「それ、お前についてるんだよ!」
俺は男の肩を支えた。
逃げ道は、第七経路を戻った先にある。
だが。
男を抱えて走りながら、一件ずつアオイたちの同意を取ることはできない。
身体が一つじゃ足りない。
「鈴木!」
入口から声がした。
霧の鈴木だ。
七本目の道を駆けてくる。
『お前が二人いるだろ!』
「都合のいいときだけ数えるな!」
『俺が男を運ぶ! お前はアオイたちと話せ!』
「肩は?」
『痛い! でも動く!』
もう一人の俺が、男の反対側へ回る。
男は、俺たち二人を見比べた。
「同じ顔が二人で、こうも騒がしいとは」
『後悔したか?』
「少し」
「あとで聞く!」
俺たちは男を支え、第七経路へ向かった。
今のアオイが、幼いアオイの手を取る。
三人目のアオイは古いスマホを持ち、青い光へ声をかけ続けている。
『来たい子だけ』
青い光が揺れる。
『急いで。でも、嫌なら嫌って言って』
『四件目の索引を複製』
白い仮面たちが追ってくる。
出口まで。
あと十歩。
七歩。
男の首元が、赤く点滅した。
『警告』
AIの文字が乱れる。
『索引の遠隔初期化を検出』
「杖が届かなくても消せるのか!」
「白い側は、私の端末を管理しています」
男が苦しそうに答えた。
「止める方法は!」
「制御者としての権限を、白い側から切り離すしかありません」
「切り離したら、索引は?」
「……分かりません」
六本目の道へ戻れば、ユラとセナがいる。
その先には、拠点も、日本側もつながっている。
だが。
今ここで端末を失えば。
道がいくつ残っていても、霧の中の声へ戻れない。
「AI! 外部の三つの応答は、まだあるか!」
『応答は継続しています。ただし、保存への同意は未確認です』
「通信をつなげ!」
『三地点すべてですか』
「ああ」
俺は走りながら答えた。
「勝手には使わない。まず、何を頼むのか説明する!」
『了解しました』
スマホに、三つの小さな画面が開いた。
岩と倒木の拠点。
北の森。
日本側。
拠点には、マリとサヨ。
北の森には、壊れかけた石人形。
日本側には、スマホを持った男。
「聞こえるか!」
俺は三つの画面へ叫んだ。
「ここに残る子たちへの道しるべが、消されそうなんだ!」
三つの映像が揺れる。
「そっちに一件ずつ、控えを置けるか確認したい!」
俺は続ける。
「子ども本人を送るんじゃない! あとから見つけるための接続情報だけだ!」
男の首元で、赤い数字が進む。
『初期化進行率:六十二パーセント』
「危険があるなら断ってくれ!」
拠点の映像。
サヨがマリの肩を抱き、画面へ近づいた。
日本側の男も、警察車両から少し離れてスマホを見る。
北の森の石人形だけは、動かない。
返事を待つ間にも。
数字は増えていく。
六十五。
六十八。
七十。
最初に返事をしたのは、日本側だった。
『何を保存する』
「子ども本人じゃない。あとから探すための接続情報だ」
『危険は』
「お前のスマホが、門に狙われる可能性がある」
短い間。
『警察にも伝える。端末は俺が持つ』
「引き受けるのか」
『一件だけだな』
「ああ。危なくなったら切れ」
『分かった』
画面に青い点が灯る。
『外部保存先:日本側。同意を確認』
続いて。
拠点のサヨが、マリの石を見る。
そして首を横に振った。
『マリには負わせない』
文字が出る。
『私が石を預かる。危険ならやめる』
「それでいい」
『外部保存先:拠点。条件付き同意を確認』
最後に。
北の森の画面が揺れた。
石人形の首元が、かすかに光る。
『案内された者が、道を覚える』
「……引き受けるのか」
『一つだけ』
『外部保存先:北の森。同意を確認』
三つ。
古いスマホでは。
同意を得た索引の複製が、六件まで進んでいる。
合わせて九件。
四十七件のうち。
まだ九件。
それでも。
男の首元だけが、唯一の道しるべではなくなった。
「AI!」
『はい』
「索引の控えがある分だけでも、初期化を止める手がかりになるか!」
『解析します』
表示が流れる。
赤い数字が。
七十を超える。
八十。
八十五。
男が、俺と霧の鈴木の肩へ体重を預けた。
「鈴木」
「何だ」
「私の名前を、記録しないでください」
「言わなくていい」
「ですが」
男は顔を上げた。
「私を、ここにいた人間として覚えていてください」
「自分で覚えてろ」
俺は男の腕を強く掴んだ。
「外へ出てから、自分の口で話せ」
男の目が、わずかに揺れた。
俺たちは第七経路へ飛び込む。
青い光が、身体を包んだ。
その瞬間。
スマホに文字が出る。
『解析結果:遠隔初期化の停止条件を検出』
「何だ!」
『制御者端末に保存された索引は、外部へ複製されるたび、白い側の管理権限が低下しています』
「なら、もっと複製すれば!」
『ただし』
「何だよ!」
『初期化完了までに、残りの索引を移す時間はありません』
赤い数字。
九十一。
九十四。
九十七。
道の向こう。
ユラとセナが手を伸ばしている。
「スズキ!」
「こっち!」
「男を先に!」
俺たちは、仮面の男を押し出す。
ユラとセナが、その身体を受け止める。
霧の鈴木も続く。
俺が最後に道を渡ろうとした。
そのとき。
男の首元の表示が――
百に変わった。
音が消える。
青い線も。
一瞬だけ、止まった。
「……間に合わなかった?」
ユラの声。
仮面の男は、倒れなかった。
ただ。
ゆっくりと、自分の首元を見る。
端末の画面に。
新しい文字が浮かんでいた。
『初期化完了』
俺の手が冷たくなる。
「AI……」
だが。
次の行を見て。
息が止まった。
『対象:白い側の管理権限』
『接続索引:保持』
「……何だ?」
霧の鈴木が、俺の肩越しに画面を見る。
『誰が対象を変えた?』
仮面の男も、自分の端末を見下ろしている。
知らない。
その顔には、はっきりそう書いてあった。
画面に。
もう一行。
『処理実行者:アオイ』
「アオイ……?」
今のアオイ。
幼いアオイ。
三人目のアオイ。
誰も端末には触れていない。
それなのに。
第七経路の奥。
未選択領域に残る青い光が。
一つ。
また一つ。
次々に明滅していく。
まるで。
四十七の声が、同じ答えを出したように。
そして。
霧の向こうから。
いくつもの声が重なった。
『今度は――』
幼い声。
泣いていた声。
怒っていた声。
帰りたくないと言った声。
帰りたいと言えなかった声。
全部が重なって。
それでも。
一つの言葉として届いた。
『わたしたちが選んだ』
原案・構想
無職のおっさん
物語構成・本文作成
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