第66話 深部に残る声
七本目の青い道の奥で。
小さなアオイの影が、一歩を踏み出した。
白い霧の中。
幼い姿。
今のアオイより、ずっと小さい。
『おじさん』
幼い声が響く。
『まだ、そこにいる?』
仮面の男は、動けなかった。
首元の黒い端末が青く光っている。
身体を縛っていた白い線は、少しだけ緩んでいた。
だが、男の足元には、まだ床の記号が絡みついている。
「いる」
男が答えた。
声は震えていた。
「私は、まだここにいる」
幼いアオイの影が、少しだけ近づく。
『ほんと?』
「ああ」
「じゃあ」
今のアオイが、男の横へ立った。
「今度は、一緒に行こう」
男はアオイを見る。
何かを言おうとした。
だが、言葉にならない。
アオイの胸元の青い光と、男の首元の端末が共鳴する。
七本目の道が、さらに太くなった。
そのとき。
白い空間のどこかから、冷たい声が響いた。
「未選択領域深部への接続を検出」
「不要経路を遮断します」
青い道が大きく揺れる。
「またかよ」
俺はスマホを握った。
「AI、七本目は持つか」
『現在の出力では、長時間の維持は困難です』
「どれくらい」
『算出不能です』
「だから、それを先に――」
『最低限の必要情報を優先しました』
「……言い返せるくらいなら大丈夫か」
『大丈夫ではありません』
「そうかよ」
霧の鈴木が、青い道の奥を見る。
『行くのか』
「行く」
俺は答えた。
「でも、アオイ一人では行かせない」
「わたしも行く」
アオイがすぐに言った。
「分かってる」
「おじさんも」
アオイが男を見る。
男は首を横に振った。
「私は行けません」
「なんで」
「私がここを離れれば、東の山の制御が崩れる」
「白い側の制御だろ」
「それでもです」
男は首元の端末を押さえた。
「ここが崩れれば、接続している複数の経路へ影響が出る」
「だから、また一人で残るのか」
俺が言う。
男の目が揺れた。
「違います」
「何が」
「私は……残るべきです」
「それを一人で決めないで」
アオイが言った。
小さな声だった。
でも、強かった。
「もう、ひとりで決めないで」
男は目を閉じた。
長い間。
ずっと何かを我慢してきた人間みたいに。
そして。
「名前を」
男が言った。
「私の名前を、聞かないでください」
「なんで」
「制御者は、名前を記録されます」
男は首元の端末を押さえる。
「名を呼ばれるたび、白い側との接続が強くなる」
「じゃあ、俺たちはずっと“仮面の男”って呼んでるけど」
「それでいい」
「よくない」
アオイが即座に言った。
男を見る。
「名前、あるんでしょ」
「あります」
「でも、言わない?」
「言えないのです」
男の声が低くなる。
「名前を取り戻せば、白い側はそれを使う」
「何に」
「私を、また制御者へ戻すために」
地下空間が静かになった。
俺は男を見る。
今まで。
こいつは白い側の人間だと思っていた。
子どもを管理し。
門を制御し。
俺たちを邪魔する側。
でも。
こいつ自身も、名前を呼ばれることさえ恐れていた。
「分かった」
俺は言った。
「今は聞かない」
男が、わずかに俺を見る。
「でも」
俺は続けた。
「いつか自分で言いたくなったら、そのとき聞く」
男は何も答えなかった。
霧の鈴木が、七本目の道を見る。
『鈴木。行くなら急げ』
「ああ」
『白い側が来る』
七本目の道の向こう。
白い霧の中で、いくつもの光が揺れた。
小さなアオイの影が、一歩後ろへ下がる。
『おじさん』
「いる!」
男が叫んだ。
今度は、迷わなかった。
「行く!」
青い光が強くなる。
「今度は、行く!」
男の首元の端末が青く光る。
床の記号が震えた。
白い線が、再び男の身体を引く。
「制御者の離脱を確認」
「回収を優先します」
「AI!」
『はい』
「男の端末と七本目をつなげろ!」
『危険です』
「知ってる!」
『端末の制御構造が完全には解析できていません』
「でも、今アオイとつながってる」
俺は言う。
「そのつながりだけは切るな」
AIの表示が流れる。
『同期条件を確認』
『対象:アオイ』
『対象:制御者』
『外部補助対象:鈴木』
「俺もかよ」
『経路維持に必要です』
「まあ、そうなるよな」
『接続同期を開始します』
青い光が、三人を結んだ。
アオイ。
仮面の男。
そして俺。
男の身体が、床から少しだけ浮く。
「行けるか!」
「分かりません」
「またか!」
「ですが」
男は七本目の道を見る。
その先。
幼いアオイが待っている。
「行きます」
アオイが手を伸ばす。
男は迷った。
ほんの一瞬だけ。
そして。
その小さな手を掴んだ。
青い光が、七本目の道へ流れ込む。
「走れ!」
俺たちは道へ踏み込んだ。
アオイ。
仮面の男。
俺。
背後から、白い光が追ってくる。
「鈴木!」
霧の鈴木は入口側に残っていた。
『俺が道を守る!』
「一人で残るな!」
『残らない! すぐ後から行く!』
「本当か!」
『……努力する!』
「お前!」
『お前にだけは言われたくない!』
白い光が迫る。
今は。
信じるしかない。
七本目の先は。
これまでの白い霧よりも暗かった。
音がない。
光もない。
空も。
地面も。
どこまで続いているのか分からない。
ただ。
俺たちをつなぐ青い光だけが、足元を照らしていた。
「アオイ」
少し先。
小さな影が立っている。
幼いアオイ。
今のアオイが、一歩前へ出る。
「行こう」
手を伸ばす。
だが。
幼いアオイは首を横に振った。
『だめ』
「なんで」
『わたし、帰りたい』
「うん」
『おじさんと帰りたい』
仮面の男の肩が震える。
「なら」
男が一歩前へ出る。
「一緒に帰ろう」
だが。
幼いアオイは、また首を横に振った。
『でも』
幼いアオイが、今のアオイを見る。
『あなたは残って』
「……わたし?」
『うん』
「どうして」
幼いアオイの身体が。
白く透け始める。
『わたしが帰ったら』
小さな声。
『あなたが、消える』
今のアオイが息をのんだ。
「違う」
すぐに言った。
『違わない』
幼いアオイが、自分と同じ顔を見る。
『あなたは、わたしの後にできた』
「違う」
『わたしが、ここに残ったから』
幼いアオイは、今のアオイの胸元を指す。
『あなたは、帰るためにできたアオイ』
「AI」
俺はスマホを見る。
「どういう意味だ」
『解析中です』
「早く」
『警告』
文字が赤く染まる。
『アオイ氏の接続情報に、複数の時間層を確認』
「時間層?」
『現在のアオイ氏と、幼いアオイの反応は、単純な記憶と現在個体という関係ではありません』
「もっと分かりやすく」
表示が一度止まる。
『同一人物に由来する情報が、異なる時点で別々の接続状態として固定されています』
「つまり」
『どちらか一方が帰還経路へ固定された場合、もう一方が未選択領域へ残される構造である可能性があります』
「……またか」
また。
一人だけ。
一人を帰せ。
一人を残せ。
形を変えただけ。
何度も何度も。
同じことを要求してくる。
「違う」
声がした。
俺じゃない。
今のアオイだった。
「帰るのは、一人じゃない」
アオイが。
幼い自分へ手を伸ばす。
「わたしも帰る」
『でも、消える』
「消えない」
『どうして』
アオイが。
俺を見る。
「スズキが、道を作るから」
……重い。
ものすごく重い。
「おい」
俺は思わず言った。
「簡単に任せるな」
「だめ?」
「駄目じゃないけど」
アオイは、じっと俺を見る。
「作れる?」
俺は息を吐いた。
できるかどうかなんて。
分からない。
でも。
「作る」
俺は言った。
「二人とも帰れる道を作る」
幼いアオイが。
恐る恐る。
小さな手を伸ばす。
今のアオイの指先へ。
もう少しで触れる。
その瞬間。
ぱち。
白い霧の奥で。
誰かが拍手した。
ぱち。
ぱち、ぱち。
幼いアオイの手が止まった。
「誰だ」
仮面の男が、俺たちの前へ出る。
青い光が揺れる。
暗い霧の奥。
小さな影が。
ゆっくりと歩いてきた。
薄い青の服。
アオイと同じ顔。
だが。
幼いアオイではない。
今のアオイでもない。
少しだけ年上に見える。
少女は。
笑っていた。
『帰るの?』
俺は言葉を失った。
今のアオイ。
幼いアオイ。
そして。
三人目。
「AI」
『はい』
「まさか」
『新たなアオイ氏由来の反応を確認』
「三人いるのか」
『正確には――』
「今はいい」
聞くのが怖い。
三人目のアオイは。
ゆっくり首を傾げた。
そして。
仮面の男を見た。
『おじさん』
男の身体が硬直する。
三人目のアオイは笑ったまま。
静かに言った。
『今度は、どのわたしを連れて帰るの?』
その言葉と同時に。
暗い霧の奥で。
さらにいくつもの青い光が、ひとつずつ灯り始めた。
原案・構想
無職のおっさん
物語構成・本文作成
Perplexity
校正・文体調整
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