第65話 アオイからの着信
ぴりりりり。
ぴりりりり。
地下空間に、着信音が響いていた。
一つは、仮面の男の首元。
皮膚に埋め込まれた、黒い端末。
そして、もう一つ。
アオイの胸元に淡い青い光が浮かび、その奥から同じ着信音が聞こえている。
『着信:アオイ』
男の端末に、白い文字が表示されていた。
「……わたし?」
アオイが自分の胸に手を当てる。
声が震えていた。
「取るな」
仮面の男が言った。
白い光に身体を半分沈めながら。
今までのような命令口調ではない。
明らかに。
怖がっていた。
「なんで」
アオイが聞く。
「それ、わたしの声?」
「違う」
「じゃあ、なに」
「過去の接続記録です」
「過去?」
男がアオイを見る。
「お前が……まだ、ここにいた頃の」
アオイの顔から血の気が引いた。
未選択領域。
白い霧の中。
一人で待ち続け。
自分の名前まで忘れた場所。
「取ったら、どうなる」
俺が聞いた。
仮面の男は答えない。
白い光が、また男の身体を引く。
「回収まで、残り十秒」
平らな声が地下へ響いた。
「アオイ」
俺は呼んだ。
「取るかどうかは、お前が決めていい」
アオイが俺を見る。
「でも、一人で決めるな」
霧の鈴木も、男の首元の端末を睨んだ。
『取るなら、俺たちも聞く』
六本目の青い道の向こうでは。
セナとユラが、不安そうにこちらを見ていた。
「アオイ!」
セナが呼ぶ。
「怖かったら、やめていい!」
ユラも頷く。
「うん。やめてもいい」
アオイは二人を見る。
俺を見る。
霧の鈴木を見る。
それから。
白い光に沈みかけている男を見た。
「……出る」
アオイが、胸元の青い光へ手を伸ばす。
指先が触れた。
ぴ。
着信音が止まった。
その瞬間。
地下空間から、すべての音が消えた。
白い光の唸りも。
回収を告げる声も。
仮面の男の荒い呼吸さえ。
何も聞こえない。
アオイだけが、目を閉じていた。
「……もしもし」
小さな声。
少しの沈黙。
そして。
『……おじさん?』
幼い女の子の声が聞こえた。
アオイの声だった。
でも。
今より、ずっと幼い。
「え……」
アオイが目を開ける。
『おじさん、まだそこにいる?』
仮面の男が、息をのんだ。
その声を聞いた瞬間。
顔から、すべての力が抜けたように見えた。
「その声……」
俺は男を見る。
「お前が残した記録なのか」
男は、ゆっくり頷いた。
「私は……戻れなかった」
「どうして」
「アオイが未選択領域へ落ちたあと、私は救出経路を探しました」
男の目が、アオイへ向く。
「何度も」
首元の端末が白く点滅する。
「ようやく未選択領域へ続く経路を見つけたとき――白い側に捕まりました」
「それで」
「門の制御へ組み込まれた」
霧の鈴木が言う。
『案内人にされたのか』
「……そう呼ばれるようになりました」
男は苦しそうに笑った。
「私は、ただの……失敗した救助者です」
その間にも。
端末の向こうから、幼いアオイの声が続いている。
『おじさん』
『ここ、こわい』
仮面の男の目から。
黒い涙が、一筋落ちた。
「あなたが未選択領域へ送られたとき」
男は言う。
「私は止められなかった」
霧の鈴木が、低い声で返す。
『送ったのは、お前じゃない』
男が見る。
『俺が門に切られた。アオイも残った』
「知っています」
「だったら」
俺は言った。
「全部、自分のせいみたいに言うな」
男は答えない。
「助けられなかったことと、捨てたことは違う」
アオイが、男を見る。
しばらく。
何も言わなかった。
その間にも、幼い声が続く。
『おじさん』
『ひとり?』
男の唇が震えた。
だが。
答えたのは、今のアオイだった。
「ちがう」
小さな声。
「いま、ひとりじゃない」
端末の向こうの幼い声が止まる。
『ほんと?』
「うん」
アオイが俺を見る。
「スズキがいる」
「いる」
俺は頷いた。
「ここにいる」
「もう一人のスズキも」
『いる』
霧の鈴木が答える。
「ユラとセナも」
六本目の道の向こうで。
セナが大きく手を振った。
「アオイ!」
ユラも両手を上げる。
「いるよ!」
「みんな、いる!」
幼いアオイの声が。
ほんの少しだけ笑った。
『よかった』
その声が。
少しずつ遠ざかる。
「待って!」
アオイが叫ぶ。
「どこにいるの!」
返事はない。
代わりに。
端末の向こうから。
ざああああ……。
白い霧が流れる音がした。
聞き覚えがある。
「未選択領域……」
俺はスマホを見る。
「AI」
『はい』
「今の声の位置を調べろ」
『解析します』
数秒後。
『未選択領域の深部から反応を検出』
「過去の記録じゃないのか」
『過去の音声記録と、現在の接続反応が重複しています』
「分かりやすく言え」
『過去のアオイ氏の記録が、現在も未選択領域内に残留し、反応を継続している可能性があります』
アオイの顔が強張る。
「わたしの……むかし?」
「分からない」
俺は正直に答えた。
「過去のお前そのものなのか」
胸元の青い光を見る。
「記憶だけなのか」
白い霧の音。
「それとも、別の何かなのか」
アオイを見る。
「まだ分からない」
「でも」
アオイが聞く。
「あの子、ひとり?」
答えに詰まる。
「……たぶん」
アオイが、ぎゅっと拳を握った。
「じゃあ、行く」
「待て」
仮面の男が首を横に振る。
「そこへ行ってはいけない」
「なんで」
「未選択領域の深部は、通常の経路ではありません」
「でも、わたしがいる」
「違う」
男の声が強くなる。
「あれは、お前であって、お前ではない」
「どういうこと」
「記憶が残り」
男は苦しそうに息を吸う。
「声が残り」
白い光が、また身体へ巻きつく。
「願いだけが残ったものです」
「それでも」
アオイは男を見る。
「こわいって言ってる」
男が黙る。
「ひとりって言ってる」
「……」
「だったら」
アオイは胸元の青い光を握る。
「行く」
その瞬間。
男の首元の黒い端末が。
白ではなく。
青く光った。
「……何だ」
俺は息をのむ。
アオイと同じ。
深い青。
男の身体を縛っていた白い線が。
わずかに緩んだ。
「接続制御……異常」
平らだった回収の声が、初めて乱れる。
「対象:制御者」
「再判定」
男が、苦しそうに顔を上げた。
「アオイ」
「なに」
「私は」
男は自分の首元を押さえる。
「お前を置いていった者ではない」
「うん」
「だが」
白い光が、再び身体を引く。
「お前を救えなかった者です」
アオイは。
少しだけ泣きそうな顔をした。
それでも。
一歩。
男へ近づく。
「じゃあ」
男を見る。
「いま、一緒に来て」
男の目が見開かれた。
「私は……行けません」
「なんで」
「私は制御者です」
男は首元の端末を握る。
「ここから外れれば、接続網が――」
「また、誰かがこわれる?」
男は答えない。
アオイが、もう一歩近づく。
「おじさん」
男の肩が震えた。
「もう」
アオイが手を伸ばす。
「ひとりで決めないで」
その言葉に。
男の首元の端末が、強く青く光った。
ぴりりりり。
いや。
着信音ではない。
低く、短い。
何かが起動するような音。
六本目の青い道の先。
仮面の男の背後で。
床の記号が。
青く反転した。
「AI!」
『新規経路を検出』
「七本目か」
『はい』
六本目は、未選択領域から東の山地下へつながった道。
そして今。
その東の山地下から。
さらに奥へ。
七本目の青い光が伸びていく。
「どこへつながってる」
『未選択領域』
「同じ場所?」
『いいえ』
画面に、新しい反応が浮かぶ。
『より深部です』
青い光の先。
白い霧。
今までより濃い霧の中から。
幼い声が響いた。
『おじさん』
仮面の男が、目を閉じる。
『まだ、そこにいる?』
アオイが。
男へ手を伸ばした。
「今度は」
男が、ゆっくり目を開ける。
「一緒に帰ろう」
男の目から。
黒い涙が、もう一筋落ちた。
そして。
七本目の道の向こうで。
小さなアオイの影が。
こちらへ向かって、初めて一歩を踏み出した。
原案・構想
無職のおっさん
物語構成・本文作成
Perplexity
校正・文体調整
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