第61話 五人で帰るために・後編
「だから来い!」
俺は叫んだ。
白い霧が、青い服の少女の身体を包んでいく。
出口は大きく開いていた。
ユラ。
セナ。
霧の鈴木。
俺。
全員を通せるだけの光の道。
その代わりに――
少女だけが、この場所の固定点になろうとしている。
『実行者:未選択対象』
黒いスマホに、冷たい文字が浮かぶ。
『領域封鎖まで、残り四十秒』
「解除しろ!」
俺は叫んだ。
少女は首を横に振る。
「やだ」
「なんで!」
「今度は、ちゃんと自分で決めたから」
「そんな決め方をするな!」
白い仮面たちが近づいてくる。
霧の奥で、杖の先に白い光が集まる。
「固定点の確保を確認」
「回収対象以外は通過を許可します」
「うるさい!」
俺は足元に絡む白い線をつかんだ。
冷たい。
握った指先から、感覚が薄れていく。
それでも離さない。
「AI!」
『はい』
「少女の固定を、俺へ移せるか!」
『現時点では困難です』
「無理かどうかじゃない。条件を言え!」
返事がない。
一秒。
二秒。
こんなときの数秒は、やけに長い。
『固定点の移行には、現在の実行者の同意と、同一基底情報を持つ代替接続対象が必要です』
「同一基底情報?」
霧の鈴木が顔を上げた。
『……俺か』
「だめだ」
『まだ何も言ってない』
「言うな」
青い服の少女も首を横に振る。
「だめ」
霧の鈴木は、足元から伸びていた白い腕を蹴った。
ぱきんっ。
腕の一本が砕ける。
『俺ならできるかもしれない』
「“かもしれない”だろ」
『今さらそこを突っ込むな』
「お前の得意技だったからな」
『お前のAIのせいだ』
笑っている場合じゃない。
でも――
霧の鈴木は、初めて少しだけ、生きている人間みたいに笑っていた。
『俺は、ここに残った』
「残されたんだ」
『どっちでもいい』
「よくない」
『今度は違う』
霧の鈴木が、青い服の少女を見る。
『この子は、自分で残ろうとしてる』
「だから止める」
『俺も止めたい』
声が低くなる。
『でも、この子一人だけを残すくらいなら――』
「お前も残るって言うのか」
『違う』
霧の鈴木は、俺のスマホを見る。
『固定点を二つにする』
俺はすぐに黒い画面へ視線を落とした。
「AI」
『解析します』
細かな文字が流れる。
『二重固定点による領域封鎖の遅延――可能性あり』
「遅延?」
『二名が固定点となることで、封鎖速度を低下させられる可能性があります』
「どれくらい時間を稼げる」
『算出不能です』
「役に立たないな」
『現在の接続状態が複雑化しています』
「それは見れば分かる」
霧の鈴木が俺を見る。
『つまり、時間を作れるかもしれない』
「その間に全員を通す」
『違う』
霧の鈴木は、はっきり言った。
『その間に、固定点そのものをなくす方法を探す』
俺は息を止めた。
青い服の少女が震える声で聞く。
「できるの?」
『分からない』
「またそれ」
『でも』
霧の鈴木は少女を見る。
『俺はもう、何もしないまま誰かを置いていくのは嫌だ』
白い仮面たちが、一斉に杖を上げた。
「未選択領域の封鎖を強制します」
地面が揺れる。
ごおおおん――。
霧の中から、白い手が何本も伸びてきた。
「来るぞ!」
ユラが叫ぶ。
セナが青い服の少女を抱きしめる。
「鈴木、早く!」
「分かってる!」
俺はスマホを掲げた。
「AI! 二重固定点にする!」
『実行には、未選択対象および霧の鈴木反応、双方の同意が必要です』
「分かった!」
俺は少女を見る。
「聞いてくれ」
少女の身体は、もう半分ほど白い霧に包まれている。
「お前一人は残さない」
「でも……」
「俺たちが一緒に残るなら?」
少女の目が揺れる。
「ひとりじゃない?」
「ああ」
「でも、帰れないかもしれない」
「それは俺たちだって同じだ」
「鈴木……」
「何だ」
「また、いなくならない?」
胸が痛んだ。
俺は手を伸ばす。
白い霧の中で、少女の小さな手をつかんだ。
「勝手にはいなくならない」
「ほんと?」
「今度は、一緒に考える」
少女の指が、少しだけ俺の手を握り返す。
「……うん」
俺は霧の鈴木を見る。
「お前もいいな」
『嫌だと言ってもやる顔だろ』
「やらない」
『本当か?』
「……話し合う」
『進歩したな』
「うるさい」
霧の鈴木が、白い仮面たちへ向き直る。
『俺はいい』
「だめだ」
『今のは少女に言ったんじゃない』
霧の鈴木は一歩前へ出た。
白い手が、その足元へ伸びる。
『俺は――戻りたい』
その声は震えていた。
『帰る場所がなくても。誰かと一緒に、帰る方法を探したい』
黒いスマホの画面が光る。
『同意を確認』
続いて、青い服の少女の前にも文字が浮かんだ。
『未選択対象:固定点共有を承認しますか』
少女は俺を見る。
俺は首を横に振った。
「無理に押さなくていい」
「でも、みんなで考えるんでしょ」
「ああ」
「じゃあ……」
少女は震える指を伸ばした。
画面へ触れる寸前で、もう一度止まる。
「わたしも、帰りたい」
「うん」
「名前、思い出したい」
「うん」
「おじさんと」
俺を見る。
「もう一人の鈴木と」
霧の鈴木を見る。
「ユラと、セナと」
小さく息を吸う。
「みんなで」
ぴ。
少女の指が画面へ触れた。
『固定点共有を確認』
白かった霧が、一瞬だけ青く染まった。
少女の身体を包んでいた光が二つに分かれる。
一方は少女の足元へ。
もう一方は――霧の鈴木へ。
「よし!」
俺は叫んだ。
「AI、封鎖は!」
『領域封鎖速度、低下』
「どれくらい時間ができた!」
『算出不能です』
「言い方!」
『少なくとも、即時封鎖は回避しました』
「最初からそう言え!」
だが。
白い仮面たちは止まらなかった。
「不正な固定点共有を検出」
「処理を訂正します」
杖の先から、白い光が走る。
「伏せろ!」
霧の鈴木が前へ出た。
白い光が、その肩を貫いた。
『っ……!』
「鈴木!」
霧の鈴木の身体が大きく揺れる。
輪郭に黒いノイズが走った。
「大丈夫か!」
『大丈夫じゃない』
「だろうな!」
『でも――まだ消えてない』
霧の鈴木が、無理に笑おうとする。
その足元へ黒い線が広がっていく。
固定点が、彼を霧の底へ沈めようとしている。
『急げ』
「何を」
『出口へ行け』
「行かない」
『またそれか』
「今度は本当に行かない」
俺は霧の鈴木へ近づこうとする。
だが。
出口の光が突然、大きく揺れた。
太かった白い線が、急速に細くなる。
『警告』
AIの表示が赤く変わる。
『東の山地下との接続が消失しかけています』
「なんで!」
『外部から接続制御を受けています』
仮面の男。
東の山の地下に残った、あいつだ。
俺たちが未選択領域へ落ちたあとも。
向こう側から出口を閉じようとしている。
「くそ!」
ユラが、割れた首元の石を押さえた。
「鈴木」
「何だ」
「わたし、分かる」
「何が」
「出口、ひとつじゃない」
俺はユラを見る。
「別の出口があるのか」
ユラは、白い仮面たちの向こうを指した。
霧の奥。
何もなかったはずの場所に。
細い青い線が一本、伸びている。
「……マリの光?」
ユラは首を横に振った。
「違う」
「じゃあ誰だ」
青い服の少女が、息をのんだ。
「あれ……」
青い線の向こう。
小さな人影が立っていた。
最初は、霧のせいで顔が見えない。
青い服の少女と同じくらいの背丈。
白い服ではない。
仮面もない。
人影が、一歩こちらへ近づく。
霧が薄れる。
「……え」
セナの声が漏れた。
俺も言葉を失った。
そこにいたのは。
青い服の少女ではない。
ユラでもない。
日本側にいるはずの――
「ミナ……?」
ミナだった。
俺が知っているミナ。
コンビニ前へ飛ばされ。
スマホを持った男と警察に守られ。
日本側にいるはずの少女。
そのミナが。
未選択領域の霧の中に立っている。
「どうして……」
俺が呟く。
ミナは、何も答えなかった。
ただ。
両手で何かを抱えている。
黒いスマホだった。
俺のものでも。
霧の鈴木のものでもない。
三台目。
その画面から、青い光が伸びている。
「AI」
『新規接続反応を確認』
「日本側からか」
『違います』
「じゃあ、どこからだ」
一瞬。
AIの表示が止まった。
『対象識別:ミナ』
『現在位置――』
文字が乱れる。
『日本側』
次の行。
『未選択領域』
さらに。
『別接続先』
「……三か所?」
『同一対象反応を、三地点で同時に確認しています』
背中が冷たくなる。
日本側にミナがいる。
未選択領域にもミナがいる。
そして。
もう一人。
別の場所にもいる。
霧の中のミナが、ゆっくり顔を上げた。
「スズキ」
声は。
確かにミナだった。
「いる」
俺は答えた。
「ここにいる」
ミナは、胸に抱えた黒いスマホをこちらへ向ける。
画面には。
一行だけ、文字が表示されていた。
『帰る場所を、一つにしないで』
その瞬間。
霧の奥に、青い光の道が何本も走った。
一本。
二本。
三本。
さらに増える。
日本。
異世界。
北の森。
岩と倒木の拠点。
東の山。
そして。
まだ俺たちが知らない場所へ。
白い仮面たちが、初めて後ずさった。
「あり得ない」
一人が呟く。
「未選択対象が、経路を作っている」
「違う」
ミナが言った。
小さな声だった。
でも。
白い霧の中へ、はっきり響いた。
「帰る道」
ミナは俺を見る。
「いっぱい、あっていい」
俺の手の中で。
黒いスマホが、久しぶりに強く震えた。
『経路上限:再定義要求』
『選択方式:単一』
その文字に、一本の線が入る。
消える。
代わりに。
『選択方式:複数』
新しい文字が浮かんだ。
俺は、思わず笑った。
「そういうことか」
霧の鈴木が、肩を押さえながら俺を見る。
『何が分かった』
「分からん」
『おい』
「でも」
俺はミナを見る。
「一つだけは分かった」
もう。
一人だけを選ぶ必要はない。
帰る場所だって。
一つである必要はない。
俺たちはずっと。
門が用意した選択肢の中から、答えを選ばされていた。
なら。
その選択肢そのものを増やせばいい。
ミナの持つ三台目のスマホが青く光る。
青い服の少女の足元にも。
霧の鈴木の足元にも。
ユラとセナの足元にも。
そして俺の足元にも。
新しい光の輪が浮かび始めた。
白い仮面たちが、一斉に杖を構える。
「接続を停止しろ!」
俺は黒いスマホを握った。
「AI」
『はい』
「今度こそ」
目の前にいる全員を見る。
誰も置いていかない。
誰か一人に残る役を押しつけない。
「五人で帰るぞ」
AIは一瞬だけ沈黙した。
そして。
『了解しました』
白い霧を切り裂くように。
五本の青い道が、一斉に開いた。
原案・構想
無職のおっさん
物語構成・本文作成
Perplexity
校正・文体調整
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