第30話 白い場所の記憶
村へ戻る道は、来たときよりずっと長かった。
ナギは、ハルキの背中で眠っている。
顔色は悪いが、息はある。
手首には縄の跡が残っていた。
レオが先を見て、ハルキがナギを支え、俺は少し後ろを歩く。
追手の足音は、今のところ聞こえない。
でも、追ってこないから安全とは限らない。
「AI」
「はい」
久しぶりに聞く声だった。
石の門の前で一度途切れたときは、正直、かなり焦った。
スマホを握る手に、少しだけ力が入る。
「戻ったのか」
「外部干渉が低下したため、音声応答機能を復旧しました」
「門は」
「現在地からの反応は微弱です。ただし、完全に消失したわけではありません」
「まだつながってるのか」
「接続候補の記録を保持しています」
画面には、見慣れない印がいくつか並んでいた。
地図のようにも見える。
でも、俺にはどれが何を示しているのか分からない。
「今はいい」
「了解しました」
今は、ナギを村へ連れ帰る方が先だ。
森を抜け、村の柵が見えたとき。
見張りの男が、こちらへ駆けてきた。
「ハルキ!」
「戻った!」
ハルキが声を上げる。
「子どもを保護した。ゴウダを呼べ!」
村の中が一気に騒がしくなった。
ナギの姿を見た人たちが、驚いたように足を止める。
「子ども?」
「北の森にいたのか」
「怪我は」
「大きいのはない。寝かせる場所を頼む」
サヨが、すぐに家の前へ出てきた。
「こっちへ!」
その後ろに、マリがいた。
最初は、誰がハルキの背中にいるのか分からなかったらしい。
でも、ナギの顔が見えた瞬間、マリの動きが止まった。
「……ナギ」
小さな声だった。
ナギの瞼が、わずかに動く。
「マリ?」
かすれた声。
マリは、ゆっくり近づいた。
走ることはしない。
怖がらせないように、確かめるように。
「マリ」
「……マリ」
ナギが、もう一度言う。
その途端、マリの目から涙が落ちた。
「いた」
マリは、ナギの手を握った。
「いた。ナギ、いた」
「……マリも、いた」
その会話だけで、胸がいっぱいになる。
ナギは、マリのことを覚えている。
マリも、ナギを知っている。
白い場所。
あの門。
記憶のない二人。
ばらばらだったものが、少しだけつながった。
「中へ入れて」
サヨが静かに言った。
「再会はあとで。今は休ませる」
ナギはサヨの家の寝具へ運ばれた。
マリは最初、離れようとしなかった。
「マリ」
俺が呼ぶ。
「ナギは寝てる。起きたら、また話せる」
「……いなくならない?」
「今度は村にいる」
「ほんと?」
「本当だ」
マリは、ナギの手をもう一度見てから、ゆっくり離れた。
その仕草を見て、俺は思った。
マリはずっと、誰かがいなくなることを怖がっている。
記憶がない。
元いた場所も知らない。
だから、一度つながった相手を失うことが、普通の子どもよりずっと怖いのかもしれない。
「スズキ」
「なんだ」
「ナギ、ここにいる」
「ああ」
「……よかった」
「よかったな」
マリは、小さく頷いた。
夕方、ゴウダ、ハルキ、サヨ、レオ、それから俺は、サヨの家の奥で話をした。
ナギは眠っている。
マリも、隣の部屋でサヨと一緒だ。
「北の連中は」
ゴウダが尋ねる。
「門の光が乱れたあと、追ってきた」
ハルキが答える。
「ただ、倒木と光のせいで道が分かれた。村まで追ってきてはいない」
「今夜、来る可能性は」
「ある」
ハルキは即答した。
「向こうは鍵を逃した。子どもも取られた。黙って引くとは思えない」
「門は閉じたのか」
ゴウダの視線が俺へ向く。
「完全には分からない」
俺はスマホを取り出した。
机の上に置くと、全員が少し身構える。
この道具が狙われていると分かった今、前のようには扱えない。
「帰還の候補は消えた」
「候補?」
ゴウダが聞く。
「元の世界へ戻れるかもしれない道が、一度だけ出た」
誰も口を挟まなかった。
「でも、同伴者は一人だけだった。俺は拒否した」
ハルキが俺を見る。
「……そうか」
「そのあと、門は閉じかけた。だけど、スマホには“接続先は複数”って残った」
「つまり、他にも同じような場所があるのか」
「たぶん」
画面には、いくつかの印が残っている。
ひとつは、北の森の石の門。
残りは、どこか分からない。
「その門が、村の近くにあるとは限らん」
レオが言った。
「でも、北の森の連中は知ってる」
「そうだ」
ゴウダは腕を組んだ。
「そして、鈴木を鍵と呼んでいた」
「俺が門を開けられる理由は、まだ分からない」
「その“案内人”という男なら分かるかもしれん」
ハルキが言った。
「でも、あいつは逃げた」
「捕まえた男は」
「村の倉に入れてある」
ゴウダが答える。
「見張りは二人。今度は逃がさない」
そのとき、奥の部屋から小さな声がした。
「……しろい」
ナギの声だった。
全員が立ち上がる。
サヨの家の寝具で、ナギが目を開けていた。
まだ顔色は悪い。
でも、意識は戻っている。
「ナギ」
マリがすぐに近づく。
「だいじょうぶ?」
「……うん」
ナギはゆっくり身体を起こした。
サヨが背中に布を当てて支える。
「無理に話さなくていい」
俺は言った。
「水を飲んで、落ち着いてからでいい」
ナギは、差し出された器を両手で持った。
少し飲んでから、俺を見る。
「スズキ」
「ここにいる」
「マリも」
「いる」
ナギは、それを確かめるように二人を見比べた。
「……しろいところ」
「覚えてるのか」
ナギは、ゆっくり頷いた。
「しろくて、まどがない」
「窓がない?」
「ひかる、かべ」
俺とマリが、同時に息を止めた。
光る壁。
窓のない白い場所。
病院みたいな建物なのか。
どこかの施設なのか。
「そこに、マリがいた?」
俺が尋ねる。
「いた」
ナギはマリを見る。
「マリ、ねてた」
「わたし?」
「うん。いっぱい、ねてた」
マリの顔が強張る。
「……おぼえてない」
「ナギも、ねてた」
「誰かいたか」
ハルキが聞く。
ナギは、少し考えた。
「しろい、ふく」
「白い服?」
「うん。かお、みえない」
「何人だ」
「いっぱい」
ゴウダの表情が硬くなる。
「案内人か」
「分からない」
ナギは首を横に振った。
「でも、こわいひと、いた」
「どんなやつだ」
「……しゃべらない」
「喋らない?」
「うん。しろい、かめん」
部屋の空気が、少し冷えた。
白い服。
白い壁。
白い仮面。
北の森の石の門。
案内人。
俺を鍵と呼んだ男。
全部が、同じものへ続いている気がする。
「ナギ」
マリが小さく聞いた。
「わたし、なにしてた?」
ナギは答えなかった。
答えられないのかもしれない。
代わりに、両手を胸の前で握った。
「マリ、ないてた」
マリの肩が揺れた。
「ずっと、スズキ、よんでた」
部屋の中が静かになる。
まだ鈴木と会っていないはずの場所で。
マリは俺の名前を呼んでいた。
「……なんで」
俺の声が、かすれた。
ナギは俺を見る。
「しろいひと、いってた」
「何を」
「“スズキなら、ひらける”って」
その言葉に、全員の視線が俺へ集まった。
俺がこの世界へ来る前から。
マリが俺の名前を知る前から。
誰かは、俺が来ることを知っていた。
「ナギ」
俺は、できるだけ声を落ち着かせた。
「その白い場所に、何か印はあったか。壁とか、床とか、服とか」
ナギは少し考えた。
「……まる」
「丸?」
「まるの、なかに、せん」
「描けるか」
ナギはこくりと頷いた。
サヨが、薄い木片と炭を持ってくる。
ナギは震える手で、ゆっくり線を描いた。
丸。
その中を横切る線。
端に、小さな割れたような印。
子どもの手なので、形は歪んでいる。
それでも、見覚えがあった。
俺はスマホに残っていた北の森の石の門の模様を表示する。
「AI」
「はい」
「これと似てるか」
「形状は不完全ですが、円形構造内の線配置、および端部の欠けた印が一致する可能性があります」
「同じものか」
「断定はできません。ただし、関連する記号である可能性が高いです」
俺は画面を見つめた。
門は、偶然見つかった遺跡じゃない。
誰かが管理している。
マリとナギは、その「白い場所」にいた。
そして、俺は鍵として呼ばれた。
「石の門と、ナギ氏がいた白い施設は、同一の管理体系に属する可能性があります」
AIが静かに言った。
「管理体系?」
「門、施設、記録装置に共通する記号が確認されています」
ゴウダが低く呟いた。
「つまり、森の遺跡と、子どもたちがいた場所はつながっている」
「たぶん」
俺は答えた。
「そして、そのどこかに、案内人がいる」
そのとき。
村の入口から、見張りの笛が鳴った。
短く二回。
誰かが来た合図。
ゴウダがすぐ立ち上がる。
「こんな時間に誰だ」
外から、村人の声が飛んでくる。
「ゴウダさん! 森の北から、子どもが一人来ています!」
マリが、息をのんだ。
ナギも、寝具の上で固まった。
見張りの村人の声が続く。
「でも、様子がおかしい! 同じ言葉しか言わない!」
「何て言ってる」
返事が届くまで、一瞬の間があった。
「……『鍵を返して』です!」
腰の内側に戻したスマホが、静かに震えた。
まるで、その言葉を聞いていたかのように。
原案・構想
無職のおっさん
物語構成・本文作成
Perplexity
校正・文体調整
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