第25話 窓を割る手
「スズキ!」
マリの声が、家の中から響いた。
頭の中が、一瞬で真っ白になる。
サヨの家の裏手。
窓板に刃を差し込む男。
その横で周囲を見張る、もう一人の影。
「ハルキ、裏だ!」
「分かってる!」
俺たちは村の道を駆けた。
火事の方へ向かった村人たちの声が、遠くでまだ続いている。
でも、今はそっちじゃない。
マリがいる。
俺は家の正面へ回った。
扉は内側から閉められている。
「サヨ! 俺だ! 開けろ!」
「スズキ!?」
中から、サヨの声がした。
その直後、何かが激しくぶつかる音。
がんっ。
窓板が揺れる。
「開けるな!」
裏手からハルキが叫ぶ。
「こっちは押さえる! 中を守れ!」
「窓を狙ってる!」
「分かってる!」
俺は扉の前で拳を握った。
中に入りたい。
でも、扉を大きく開けた瞬間に相手が正面へ回れば、余計に危ない。
「AI」
「はい」
「家の中の音、拾えるか」
「周囲の怒号と衝撃音が大きいため不明瞭です。ただし、室内で家具を動かす音、サヨ氏の声、マリ氏の声を検出しています」
「マリは」
「泣き声に近い音声を検出。移動音もあります。倒れてはいないと推定されます」
少しだけ、息が戻る。
動ける。
まだ間に合う。
裏手で、木が割れる音がした。
ばきっ。
「窓板が外れかけてる!」
ハルキの声。
次の瞬間、男の怒鳴り声が聞こえた。
「子どもを出せ!」
「誰が出すか!」
サヨの声が飛ぶ。
「出せば怪我はさせねえ!」
「その言葉を信じると思う!?」
俺はもう待てなかった。
「サヨ! 少しだけ開けろ! 俺が入る!」
「でも!」
「扉はすぐ閉める! 正面には村の人を置く!」
一拍だけ、沈黙があった。
その間に、近くの若い村人が扉の横へ立つ。
「こっちは見ます!」
「頼む!」
かちゃり、と棒を外す音。
扉が、人ひとり通れるだけ細く開く。
「入れ!」
俺は隙間から滑り込んだ。
すぐ後ろで、サヨが扉を閉め直す。
家の中は、ひどい状態だった。
棚が入口側へ倒され、寝具や木箱が窓の前へ積まれている。
サヨは片手に火かき棒を持ち、もう片方の腕でマリをかばっていた。
マリは壁際に座り込んでいる。
顔が涙で濡れていた。
「スズキ!」
「いる!」
俺が近づくと、マリは立ち上がって駆け寄ってきた。
胸にぶつかるように抱きついてくる。
「こわい!」
「ああ」
俺は背中を押さえた。
「でも、もう来た。ここにいる」
「ほんと?」
「本当だ」
言い切った。
外から、男の手が窓の隙間へ入ってくる。
太い腕。
刃が、家具の隙間を探るように動く。
「魔道具を出せ!」
男が怒鳴った。
「しゃべる板を持ってるだろ!」
心臓が跳ねた。
やっぱり、目的はスマホだ。
「そんなもん知らない!」
サヨが言い返す。
「嘘つくな! 森で光ってた! 声も聞いた!」
男の腕が、さらに奥へ伸びる。
マリが小さく悲鳴を上げた。
「出せ!」
「スズキ」
スマホが、腰の内側から静かに言った。
「提案があります」
「何だ」
「最大音量で警報音を再生します。近隣への通知、および侵入者の行動阻害が期待できます」
「できるのか」
「可能です」
俺は一瞬だけ迷った。
スマホの存在を、さらに知らせることになる。
でも、今は隠している場合じゃない。
「やれ」
「実行します」
次の瞬間。
耳をつんざくような警報音が、家の中に鳴り響いた。
びいいいいいいいいっ!
「うわっ!?」
窓の外で、男が腕を引っ込める。
サヨが耳を押さえ、マリも驚いて俺へしがみつく。
だが、警報は家の外へも響いた。
「何だ、この音!」
「魔道具だ!」
男たちの声が乱れる。
「今だ!」
裏手からハルキの怒鳴り声。
どんっ、と壁に何かがぶつかる。
続けて、男のうめき声。
警報音が止まった。
「一人押さえた!」
ハルキの声がする。
「鈴木、出るな! マリを見てろ!」
「分かった!」
今度は、動かなかった。
出たい気持ちはあった。
捕まえた相手を見たい気持ちもあった。
でも、マリが俺の服を握っている。
ここを離れたら、また同じことになる。
「マリを頼む」
俺はサヨへ言った。
「頼まれなくても」
サヨは火かき棒を構えたまま、短く答える。
「でも、あなたもここにいなさい」
「分かってる」
「本当に?」
「今回は本当に」
「信用できないけど、今は信じる」
サヨはそう言って、マリを抱き寄せた。
しばらくして、ハルキたちが捕まえた男を家の前まで連れてきた。
扉は開けない。
俺は窓の隙間から様子を見る。
地面へ押さえつけられているのは、痩せた方ではない。
昨日、小屋の前で見た、肩の広い男だ。
「もう一人は」
「逃げた」
ハルキが短く答える。
「だが、こいつは取った」
男は泥だらけの顔を上げ、こちらを睨んだ。
「それが魔道具か」
視線が、俺の腰のあたりへ向く。
「うるさい」
ハルキが男の背中を押さえる力を強める。
「人を脅して、子どもをさらおうとして、道具が欲しいってか」
「何のためだ」
ゴウダが低く問う。
「……売れる」
男が吐き捨てるように言った。
「しゃべる魔道具なら、町の商人が買う。金になる」
「誰が言った」
「知らねえよ」
「嘘をつくな」
「本当に知らねえ!」
男は荒い息を吐いた。
「森の北にいる連中から聞いただけだ。光る板を持った男がいる。子どもと一緒にいる。先に見つけた方が取り分を得るってな」
「取り分?」
「買い手がいるんだよ」
その言葉に、ハルキの動きが止まった。
「商人か」
「知らねえ。顔も知らねえ。ただ、“目立つ物は町へ持ち込むな”って言われた」
「誰に」
「だから知らねえって!」
男は叫んだ。
「俺たちは、あの板を取って、森の北の連中に渡すだけだった!」
話を聞けば聞くほど、気持ちが悪くなる。
俺のスマホを欲しがる誰かがいる。
俺たちのことを知っている誰かがいる。
そしてその誰かは、村から遠くない場所で、人を使っている。
「マリをどうするつもりだった」
俺が聞いた。
男は黙った。
「答えろ」
「……餌だ」
その一言で、周囲の空気が凍った。
「子どもを捕まえれば、魔道具を持った男は出てくる。そう言われた」
俺の手が震えた。
怒鳴りたい。
殴りたい。
でも、俺は何もしなかった。
代わりに、ハルキが低い声で言った。
「もう一度言ってみろ」
「……」
「子どもを何だと言った」
男は答えない。
ハルキの目は、見たことがないほど冷たかった。
「ゴウダに渡す」
ハルキは立ち上がる。
「村の中で縛っておけ。逃がすな」
若い村人たちが、男を引きずるように連れていく。
抵抗する力は、もう残っていないようだった。
俺はその背中を見送ってから、ようやくマリの方を向いた。
「スズキ」
「ただいま」
マリは何も言わずに駆けてきた。
今度は泣かなかった。
でも、俺の服を握る手は強かった。
「……いなくならない?」
「ならない」
「さっき、こわかった」
「ああ」
「でも、スズキ、きた」
「来た」
「……よかった」
その小さな声に、胸が痛くなる。
俺はマリの頭を撫でた。
「よく頑張ったな」
「サヨも」
「うん。サヨも守ってくれた」
サヨは火かき棒を壁へ立てかけ、少し疲れた顔で笑う。
「大したことはしてない」
「家具を動かして、窓を塞いで、マリを守ってた」
「大したことを言われると、ちょっと困るわね」
そのとき、家の外から、また笛の音がした。
今度は火事の合図ではない。
長く一度だけ鳴る、村の人間を集める音。
ゴウダが、家の前に立っていた。
「捕まえた男の話を聞いた」
「買い手がいるらしいな」
俺が言うと、ゴウダは頷いた。
「ああ。森の北にいる連中のさらに向こうに、魔道具を欲しがる者がいる可能性がある」
「村の誰かが話を流した件は」
「まだ分からん」
ゴウダの表情は重い。
「だが、村の外だけを疑うこともできなくなった」
「どういうことだ」
「捕まえた男が、一つだけ余計なことを言った」
ゴウダは手の中の布切れを見せた。
見覚えがある。
村の薬草袋に使われている、細い染め糸だ。
「こいつは、薬草袋の印と、マリがサヨの家にいることを知っていた」
「それは、見張ってたからじゃないのか」
「村の外から一晩で全部を見るのは難しい」
ゴウダはゆっくり言った。
「誰かが教えた可能性が高い」
村の中に、情報を流している者がいる。
その言葉に、マリの手がまた強くなった。
「……ひと、こわい」
「そうだな」
俺は正直に答えた。
「怖い人もいる」
「でも、ハルキ、サヨ、ゴウダ」
「ああ」
「まもる、いる」
「いる」
マリは少しだけ頷いた。
その夜、サヨの家の窓は板で補強された。
村の見張りも増えた。
火事は小さな納屋の端を焼いただけで済んだらしい。
空き小屋は半分ほど燃えたが、火は村まで広がらなかった。
守れた。
少なくとも、今夜は。
だが、眠る前。
腰に隠していたスマホが、また震えた。
「スズキ」
「何だ」
「先ほど記録した侵入者の音声に、未解析部分がありました」
「今か」
「はい。周辺音と重なっており不明瞭ですが、追加の語句を確認しました」
俺は画面を見た。
そこには、短い解析結果が表示されている。
『板を取れなければ』
『男ごと』
『鍵』
「鍵?」
「文脈は不明です。ただし、『男ごと連れてこい』に近い発話も含まれている可能性があります」
息が止まった。
俺が鍵。
何の鍵だ。
どこへ続く鍵だ。
そして、どうしてあいつらは――。
俺のことを、ただの異世界の迷い人ではないものとして扱っている。
原案・構想
無職のおっさん
物語構成・本文作成
Perplexity
校正・文体調整
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