第2話 圏外なのに動くスマホ
とりあえず、座れる場所が欲しい。
森をうろついて最初に思ったのは、それだった。
五十代の膝と腰には、立ちっぱなしの探検なんて向いていない。
「安全な拠点を作りましょう、か……」
スマホの画面に目を落とす。
中心で淡い円が揺れている。圏外表示のままなのに、さっきと同じ声でAIが提案を続けていた。
「現在位置周辺には、急な崖や大きな水流は検出されていません。倒木と岩を組み合わせることで、簡易の雨よけを作れる可能性があります」
「便利なこと言うな。……筋肉と道具は自分持ちだけどな」
ぶつぶつ言い返しながら、周囲を見渡す。
湿った土に残っているのは、自分の足跡だけ。人の気配はない。
見知らぬ森で独りぼっち。
誰にも邪魔されないかわりに、誰にも助けられない場所だ。
「拠点を作るなら、まずは雨と夜だな」
空を見上げる。
雲は薄いが、ここがどんな天気の世界なのかは知らない。夜に何が出てくるのかも、想像したくない。
スマホのライトを点けると、白い光が木肌と落ち葉を淡く照らした。
バッテリー残量は「100%」からまったく動かない。
「……ほんとに減らないんだな」
これが、今のところ俺の生命線だ。
この光と地図とAIがなかったら、パニックになって走り回り、どこかで転んでそのまま終わっていたかもしれない。
「AIさんよ。雨よけに向いてそうな場所、どっちだ?」
「現在地から北東に約二十メートル先に、岩と倒木が重なっている地点があります。そこなら、少ない労力で屋根を追加できます」
「北東ね……」
方位表示を確認しながら、指定された方向へ足を向ける。
十数歩進むごとに、地図アプリの灰色がじわじわ削れていき、線が森の形を描いていく。
やがて、AIが言ったとおりの場所に出た。
大きめの岩の脇に、風で倒れたらしい木が斜めに寄りかかっている。枝は折れているが、幹はまだしっかりしている。
「確かに、ここなら屋根にできそうだな」
岩の背後は少しへこんでいて、押し込めば人一人くらい雨をしのげそうだった。
問題は、そこに落ち葉と枝をどう重ねるかだ。
「この倒木の下に、枝と葉を追加してみてください。隙間を埋めることで、簡易の屋根になります」
「言うのは簡単だな、お前」
とはいえ、他に選択肢もない。
俺は近くの低い枝を折り、倒木に挟み込む作業を始めた。
腰を曲げて、腕を伸ばす。枝を差し込み、落ち葉をかき集めて上からかぶせる。
土の匂いと木のささくれが、指先を刺すように痛い。
何度か繰り返すうちに、息が上がってきた。
膝が笑い、背中がじんじん痛む。
「……五十代に優しくないな、この世界」
「作業負荷が高い場合、適度な休憩を挟むことをおすすめします。転倒や筋損傷のリスクが高まります」
「分かってる。座る場所作るために動いてるんだよ」
投げやりに返しつつ、岩陰に腰を下ろす。
仮設の屋根から葉と小枝がぱらぱら落ちてくるが、頭上が空そのものだったさっきよりはずっとマシだ。
深く息を吐く。
アパートのボロい椅子とは違う、硬い地面と岩の感触。それでも、立ちっぱなしよりはずっと楽だった。
「ここを拠点にするんだとして、次は何だ?」
「水の確保と、火の確保です」
AIの声はぶれない。
淡々とした調子なのに、その内容がどんどん現実を押し寄せさせてくる。
「水ね……この辺に川とかあるか?」
「音声解析の結果、現在地点から南に約四十メートル付近で、水音が検出されています。ただし、水質は不明です」
「聞こえてるのか、お前」
耳を澄ませると、たしかにかすかなせせらぎの音がする。
葉のざわめきに混じって、石を叩くような水の音が遠くから届いていた。
「了解。少し休んだら、そっちも見に行くか」
スマホを胸ポケットに戻し、しばらく手作りの屋根を眺める。
歪んだ枝と葉の塊。隙間だらけで、完璧とはほど遠い。
それでも、さっきまでの「どこにも属していない」感覚に比べれば、ここは少しだけ「自分の場所」に近かった。
「まさか異世界来て、最初にやるのが日曜大工とはな」
「生活基盤の構築は、どの世界でも最優先事項です」
「正論だな。……腹減った」
現実的な問題が顔を出す。
ポケットをまさぐっても、出てくるのはスマホとくしゃくしゃのレシートだけだ。コンビニのおにぎりも、カップ麺もない。
「食べ物、どうするかだよな」
「周囲の植物についての知識は不足しています。カメラで撮影し、形状や色、匂いを記録することで推論は可能ですが、初期段階では『食用』と断定しない方針を推奨します」
「つまり、腹が減ってもすぐには草を食うなってことか」
「はい。現時点では、『見た目が似ている現代の植物』との類推しかできません」
腹はきゅうと鳴った。
だが、ここで適当に葉っぱをかじるほど、俺は命知らずでも若くもない。
「水と火だけ、今日はなんとかするか。食べ物は……明日生きてたら考える」
自分に言い聞かせて立ち上がる。膝がぎしりと鳴った。
ライトを再点灯すると、森の薄暗がりが少しだけ後退する。
拠点から一歩外に出ると、さっきまでの歪な屋根が、やけに頼もしく見えた。
人が一人、座って雨をしのげるだけの、ささやかな安心。
「じゃ、水場見に行くか。倒れない程度に」
「了解しました。足場が不安定な場所では、歩幅を狭めることを推奨します」
「転ぶ前から警告してくれると助かるんだけどな」
軽く愚痴をこぼしつつ、南の水音へ向かって歩き出す。
落ち葉を踏む音と、自分の息づかいが耳に近い。
木の間を抜けて、視界が少し開けた。
そこには、幅の細い川が流れていた。石の間をぬう透明な水が、森の薄闇の中で静かに揺れている。
スマホを取り出し、カメラを向ける。
水面、川岸の草、足元の石。数枚撮影すると、AIがすぐに解析結果を返してきた。
「現時点の推論では、この水は飲用可能性が高いです。ただし、煮沸処理を行うことで安全性を向上できます」
「火がいるってことだな。焚き火のやり方なんて、キャンプ動画でしか見たことないぞ」
「枯れ枝と乾いた葉を集めることで、着火しやすい状態を作れます。火起こしについては、手持ちの道具を確認してから、複数の方法を提案します」
「手持ちの道具なんて、スマホと服だけだがな」
川岸にしゃがみこみ、水面を見つめる。
手を伸ばせば届く距離に、「生き延びるための条件」が一つ揃っている。
喉の奥がきゅっと鳴った。
触れたいような、怖いような気持ちが入り混じる。
「……まあ、火はあとだ。今日は場所だけ覚えておこう」
そう言って立ち上がり、スマホの地図を見る。
さっきまで灰色だった部分に、細い青い線が追加されていた。川は、拠点から短い距離でまっすぐ流れている。
そのとき、ふっと背筋が冷えた。
風が止んだわけでも、森が静まり返ったわけでもない。
ただ、川の対岸――少し離れた木の影のあたりに、何か「動いた気がした」。
目を凝らす。
揺れる枝か、獣か、人影か。暗がりの中で、輪郭はよく分からない。
「……気のせいか?」
自分に向けてつぶやく。
スマホの画面越しに、AIの円がほんの少しだけ脈打った。
「今、視線の先に動きがあったようですが、詳細は不明です。音声からは、人間と獣のどちらとも断定できません」
「見えてたか、お前」
「カメラには、低解像度の影が一瞬だけ記録されています。現時点では、『何かがこちらを見ていた可能性』があります」
川の向こうの暗がりは、何事もなかったように静かだ。
風が葉を揺らし、水が石を打つ。さっきまでと同じ風景の中に、さっきまでなかった「誰かいるかもしれない」という情報だけが混じる。
「……今日は、これ以上追いかけるのはやめておこう」
膝と腰はすでに悲鳴を上げている。
得体の知れない影を追いかえる元気はない。
「拠点に戻る。倒木の屋根が崩れないうちに、寝床を作らないとな」
「了解しました。戻り道の足場情報は記録済みです。転倒リスクの高い地点では、警告を表示します」
「頼んだ。……変なのに絡まれる前に帰ろう」
川から離れ、森の奥へと向き直る。
背中に視線のようなものを感じながらも、振り返らずに歩き続けた。
五十代無職のおっさんの異世界AI生活は、座る場所と水を確保したところで、早くも「何かの気配」とすれ違ったらしい。
それが、獣なのか、人なのか。
それとも、この世界で最初に出会う“何か”なのか。
今はまだ、何も分からないまま――拠点へ続く道だけが、地図の上で静かに光っていた。
原案・構想
無職のおっさん
物語構成・本文作成
Perplexity
校正・文体調整
ChatGPT




