第19話 小屋を守る夜
「小屋」「次」――その断片だけで、胸の奥が一気に冷えた。
スマホから流れた録音は、焚き火の音に混じった、ぼやけた人声だった。
はっきり聞き取れたわけじゃない。
だが、意味は十分だった。
森の連中は、薬草だけじゃなく「場所」も狙っている。
村の外れの空き小屋か。
それとも、俺たちの拠点か。
「スズキ」
火のそばで、マリが不安そうに見上げた。
「……こや、ねらう?」
「可能性はある」
「やだ」
「俺も嫌だ」
嫌だで済むなら、どれだけ楽か。
でも、森の中では「嫌だ」の先を考えなきゃいけない。
「ハルキに知らせる」
「……いく?」
「ああ。今日のうちに」
俺は火を弱め、草袋とスマホを持って立ち上がった。
マリは何も言わずに草履の紐を結び直す。
行くのが怖いのは分かる。
でも、「行かないほうがもっと怖い」ことも、もう知っている。
村へ向かう道は、いつもより長く感じた。
木々の影が妙に濃い。
枝が折れる音ひとつに、耳が敏感になる。
村の入口には、たまたまハルキがいた。
棒を持って、森側の道を見ている。
見張り役を手伝っているらしい。
「早いな。今日は薬草の日じゃないだろ」
「話がある」
俺はポケットからスマホを取り出した。
「さっき、録音を確認した。あの連中らしい声が入ってた」
「何て言ってた」
「はっきりとは分からない。でも、『場所』『小屋』『次』に近い音が残ってる」
ハルキの目が、一瞬で変わった。
「……小屋、か」
その言葉を聞いた途端、年配の男も近づいてきた。
「本当か」
「録音が残ってる」
「聞かせろ」
スマホから、あの断片的な声が再生された。
焚き火のはぜる音。
風の音。
その奥に、ぼやけた人声。
はっきりした言葉ではない。
だが、何度か聞くと、「小屋」に近い音が混じっているのは分かった。
村人たちの顔色が、じわりと重くなる。
「空き小屋だろうな」
ハルキが低く言う。
「だが、村の中の物置の可能性もある」
「どちらにせよ、放っておけん」
年配の男は顎に手を当てた。
「森側に、ひと晩見張りを置くべきだな」
「外から来るなら、小屋の方が先に狙われる」
「そうだ」
話はすぐ決まった。
今日の夜、村の外れの空き小屋で見張りを立てる。
村の人間だけじゃなく、森側の通路も見ておく。
「鈴木、お前も来るか」
ハルキが尋ねる。
「行く」
「マリは」
ハルキが視線を向ける。
マリは一瞬ためらい、それから小さく頷いた。
「……いく」
「本気か」
「こや、だいじ」
その一言で、ハルキは少しだけ笑った。
「分かった。だが、危なくなったらすぐ下がれ」
「うん」
夕方、俺たちは空き小屋に集まった。
ハルキ。
サヨ。
年配の男。
若い村人が一人。
そして、俺とマリ。
いつもなら静かな小屋が、今日は妙に窮屈に感じる。
「暗くなる前に配置を決める」
サヨが言う。
「小屋の中に二人、外に二人。外は森側を見る」
「中は薬草と荷を見る」
ハルキが頷いた。
「鈴木、お前は中だ。外に出るなよ」
「了解」
「マリも中だ」
「……うん」
空き小屋の中は、薄い藁と古布のおかげで前よりましになっている。
薬草の束も、高い位置へ置いてある。
それでも、壁一枚向こうに森の影があると思うと、背中がそわそわした。
日が落ちると、空気が一気に冷える。
小屋の入口から外を見ると、村の灯りが遠くに揺れていた。
森側は黒い。
月もまだ出ていない。
「スズキ」
マリが袖をつかんだ。
「こわい?」
「少しはな」
「……わたしも」
「それでいい」
ハルキが外の見張りに立ち、若い村人が少し離れた位置で森を見ている。
サヨと年配の男は、薬草の束を確認しながら、時々入口を振り返っていた。
「何も起きないのが一番だが」
サヨが小さく言う。
「何も起きないなら起きないで、明日からの備えが変わる」
「どっちにしても、今日の夜は必要だ」
年配の男が頷いた。
そのとき、スマホが静かに震えた。
「何だ」
「周辺音声に変化があります。森側から、複数の足音に近い音を検出しました」
俺の喉が一瞬で乾いた。
「ハルキ」
「聞こえてる」
外から、低い声が返る。
しばらくして、森の方からかすかな人声が聞こえた。
昨日の連中と同じかどうかは分からない。
だが、少なくとも「物音を隠す気がない」歩き方だった。
「こっちだろうな」
外からハルキの声。
「小屋を見に来る」
「何人だ」
若い村人が低く聞く。
「音の数から推定すると、少なくとも二人です」
AIの声は落ち着いていた。
その冷静さが、逆に怖い。
足音は、空き小屋の少し手前で止まった。
暗闇から、聞き覚えのある男の声がした。
「ここか」
「小屋だな」
昨日の連中だ。
確信に近い声だった。
「村のやつが使ってるのか」
「中に何か置いてるなら、使える場所だろ」
その会話だけで十分だった。
こいつらは、村が作った「橋」を見つけた。
薬草だけじゃない。
場所そのものを、利用しようとしている。
「鈴木」
サヨが俺を見る。
「出るな」
「分かってる」
マリは俺の服をしっかりと握っていた。
震えてはいない。
けれど、目は大きく開いている。
外で、ハルキが一歩前に出たような音がした。
「ここは村の小屋だ」
その声は、いつもより低かった。
「勝手に近づくな」
「村の小屋だろうが森の小屋だろうが、場所に名前はねえだろ」
男が笑う。
「使えるやつが使えばいい」
「違う」
ハルキの返事は短い。
「森で何か取るなら、場所を守ることも含めてだ」
「説教かよ」
「説教じゃない。決まりだ」
空気が一気に張りつめた。
小屋の中で、俺は思わず息を止める。
「……スズキ」
「なんだ」
「くる?」
「まだ分からない」
その瞬間、外で何かが投げられる音がした。
小石か、木片か。
少なくとも、ただの冗談ではない。
「やめろ」
若い村人の声。
続けて、ハルキの棒が何かを弾く音。
小屋の中で、サヨが入口の布を押さえた。
「出ないで」
「分かってる」
年配の男は、薬草の束を壁から少し離した。
火の気が移らないようにするためだ。
戦うかどうかは分からない。
だが、燃えるものを入口の近くに置いておくのは危ない。
外の足音が一瞬だけ近づき、すぐに散った。
何かを試すような動きだ。
「小屋を燃やす気か」
ハルキの声が、怒りを含み始める。
「さあな」
男が笑った。
「今日は場所を見るだけだ」
「それが一番面倒だ」
年配の男が、小屋の中で低く呟いた。
「何もせずに場所だけ覚えていくやつが、一番厄介だ」
足音は、小屋の周囲を一周するように動き、やがて森の奥へ引いていった。
今回、何も壊されなかった。
燃やされもしなかった。
それなのに、緊張は全然解けない。
静けさが戻るまで、少し時間がかかった。
小屋の中では、誰もすぐに動かない。
耳だけが森の音を追っている。
やがて、ハルキが入口から顔を出した。
「行った」
「完全にか」
「ああ。少なくとも今は離れた」
俺は思わず肩の力を抜いた。
マリは俺の服をつかんだまま、ようやく小さく息を吐く。
「こわかった?」
「……うん」
「それでいい」
サヨもほっとしたように壁にもたれた。
「何も燃やされてないのは、今日のところは勝ちね」
「勝ちとは言わん」
年配の男が首を振る。
「だが、守れたのは事実だ」
ハルキは棒を下ろし、俺たちを見た。
「お前ら、よく出てこなかったな」
「言われたからな」
「珍しく守ったな」
「おい」
そんな軽い会話に、マリが少し笑った。
ほんの一瞬だったが、その笑みは、この夜のあたたかさだった。
空き小屋は、何も壊されなかった。
薬草も無事だ。
村との橋も、まだ折れていない。
だが――。
「小屋」という言葉は、消えない。
今日の夜は、「見られた」だけかもしれない。
次がある。
たぶん、近いうちに。
村へ戻る前、ハルキが静かに言った。
「鈴木」
「なんだ」
「明日、森の外れで話をする。村の方でも、どう守るか決めないといけない」
「……だろうな」
「小屋だけじゃ済まないかもしれん。村の中か、森の奥か、どっちを先に守るか考える必要がある」
その言葉に、喉がひりついた。
守るものは増えた。
マリの暮らし。
拠点。
薬草。
空き小屋。
村の人間とのつながり。
そして、森へ入ってくる、名前のない連中。
拠点へ戻る道で、マリがぽつりと言った。
「スズキ」
「なんだ」
「つぎ、どうする?」
「それを考えないといけない」
「……わたしも?」
「もちろん」
火を起こしたあと、スマホの画面に記録が並ぶ。
声の断片。
足音のタイミング。
小屋の周りの導線。
これから何を守るか。
どこまで近づかせないか。
そんな選択が、もうすぐそばまで来ている気がした。
村が動く。
森も動いた。
次に「動く番」が、こっちに回ってくるのは、たぶん明日だった。
原案・構想
無職のおっさん
物語構成・本文作成
Perplexity
校正・文体調整
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