第17話 乾かす場所
雨のあとは、村の匂いが少し濃くなる。
土が水を含んだ匂い。
木材が湿った匂い。
火を起こそうとする煙の匂い。
空き小屋へ向かう道は、昨日よりずっと柔らかくなっていた。
「スズキ」
横を歩くマリが、草履の先を見ながら声を出した。
「なんだ」
「……ぬかるむ」
「ああ。昨日よりひどいな」
「いや」
「いやなのか」
「すべる」
「それは俺も同じだ」
そう言うと、マリは少しだけむっとした顔をした。
だが、完全に機嫌を悪くしたわけではない。
こういう軽いやり取りも、最近は増えてきた。
空き小屋に着くと、入口の前にすでにハルキがいた。
今日は一人ではなく、木の板を抱えた若い村人も一緒だ。
「来たか」
「来た」
「昨日の雨で、床が少し湿った。板を足しておく」
「助かる」
小屋の中は、昨日より明るく見えた。
壁際に詰めた古布が乾き始め、床の藁も少し落ち着いている。
だが、雨の湿気はまだ残っていた。
「ここに薬草を置くなら、もっと風を通した方がいい」
サヨが小屋の中へ入ってきて、すぐに言った。
「入口の布を、もう少し短くしてもいい。閉め切ると湿気がたまる」
「分かった」
「あと、置き場を高くする。床から離せば傷みにくい」
彼女は慣れた手つきで、木板を壁に立てかけた。
若い村人が、それを受けて藁を運ぶ。
村の人間は、こういう小さな補修をすぐにやる。
俺はその様子を見ながら、薬草束を小屋の中央へ置いた。
乾かしたものと、これから乾かすものを分けて並べる。
マリはその横で、ひとつずつ形を確認していた。
「これは、傷のやつ」
「ああ」
「こっちは、あついやつ」
「熱のやつな」
「……うん」
前よりも少しだけ言い方が整理されている。
彼女なりに、覚えたことを自分の中で分類しているのだろう。
ハルキが小屋の隅を見て、ふと俺に言った。
「昨日の雨で、外の道が少し崩れた。村の入口までは問題ないが、川側はぬかるみがひどい」
「なら、しばらく川回りは避けるか」
「そうしたほうがいい」
「薬草採りにも影響するな」
「あるな」
ハルキは腕を組み、少し考えるようにした。
「でも、逆に言えば、雨のあとにしか見つけやすくならない草もある。今度、見せる」
「雨上がりに?」
「ああ。乾いた日と違う場所に出る」
その言葉に、俺は少しだけ引っかかった。
そういう草は、今の俺にはまだ見分けられない。
けれど、学べばできることが増える。
「記録しておけば、次に探しやすいな」
「あの道具、便利だな」
サヨがそう言って、俺のスマホを見た。
「ただ、雨の日に使うなら気をつけて。濡れた手で持つと落とすだろ」
「それはありそうだ」
「念のため、布で包んでおくといい。大事な道具ならなおさら」
「覚えておく」
そう言われて、俺は胸ポケットからスマホを出し、乾いた布で軽く包み直した。
このスマホが普通の道具じゃないことは分かっている。
だが、だからといって雑に扱っていいわけでもない。
午前のうちに、村の人間が何人かやってきた。
薬草の受け渡しは今日もある。
だが、今日は少しだけ様子が違う。
村の中で使う分だけでなく、雨のあとに増える需要があるらしい。
「この時期は、傷みやすいからな」
年配の男が、束を見ながら言う。
「湿った場所で足を滑らせるやつもいる。薬草はいつもより少し多めに欲しい」
「なるほど」
「だから、乾かす場所が大事なんだ」
「この小屋があれば、少しは増やせる」
「そうだな」
男はそう言って、小屋の梁を見上げた。
「ここなら、外の風も入る。雨の日のすぐ後でも、少しずつ干せるだろう」
その言い方は、かなり実務的だった。
俺たちが持っていくものも、ただの草ではなくなってきている。
量と質を保てれば、村側の必要に応えられる。
サヨは作業台で、昨日より丁寧に薬草を分けていた。
その横で、マリが拾ってきた小石をそっと並べている。
薬草の種類を分ける目印にでもしているらしい。
「スズキ」
「ん?」
「これ、どこ」
マリが指したのは、薬草を置くために積んだ木板の上だった。
「そこは乾かす場所だな」
「ここ、だいじ」
「ああ。水が残ると傷むからな」
「……じゃあ、まもる」
彼女は小さくうなずいた。
その一言に、サヨが少しだけ目を細める。
「頼もしいね」
「まだ覚えたてだ」
「覚えたてでも十分。見ている子は、覚えるのが早い」
その返事に、マリは少しだけ照れたように視線を外した。
昼前、雨はようやく上がった。
空はまだ薄く曇っているが、少なくとも降り続ける心配はなさそうだ。
「今日はここまででいい」
ハルキが言った。
「乾くまで置いておく分は、次に来るとき見てやる」
「助かる」
「それと、雨上がりの草を見に行くなら、明日だ」
「明日か」
「ああ。今日じゃまだ足場が悪い」
年配の男も、同じように頷いた。
「無理に動くな。焦ると転ぶ」
「分かってる」
「分かってる顔じゃないな」
「最近そればっかりだな」
村の人たちは軽く笑った。
その笑いは、前より少し自然だった。
俺も完全に村の一員ではない。
だが、少なくとも「顔の知らないよそ者」ではなくなってきている。
空き小屋を出ると、湿った空気の中に、ほんの少しだけ日差しが混じっていた。
川側のぬかるみはまだ深いが、それでも昨日よりは歩きやすい。
「スズキ」
「なんだ」
「……ここ、つかう」
「ああ」
「つぎも?」
「もちろん」
マリは小さく頷いた。
空き小屋という場所が、彼女にとっても「ただの建物」ではなくなってきているのだろう。
拠点へ戻る道で、俺は小屋に置いてきた木板のことを思い返した。
小屋の補修が進み、乾かす場所も少し整った。
これなら雨のあとでも、薬草の質を落としにくい。
つまり、村へ持っていく物の価値も保ちやすい。
「雨のあとでも、何かできるようになったな」
「……うん」
「前より、だいぶだ」
拠点に戻ると、マリは火のそばに座り、セーターの裾を軽く握った。
濡れた草履が乾くまでのあいだ、静かに焚き火を見ている。
「スズキ」
「ん?」
「つぎ、雨でも、いく?」
「行く。けど、無理はしない」
「……だいじょうぶ?」
「たぶん、前よりな」
その答えに、マリは少しだけ笑った。
ほんの短い笑みだったが、雨のあとにしては十分あたたかい。
村の外れにできた空き小屋は、まだ小さい。
だが、そこはもう、雨の日に困るだけの場所ではなかった。
乾かす場所。
置いておく場所。
村と森をつなぐ、静かな仕事場。
その小さな役割が、これから少しずつ大きくなっていく。
原案・構想
無職のおっさん
物語構成・本文作成
Perplexity
校正・文体調整
ChatGPT




