第11話 村への道
朝の空気は、少しだけ乾いていた。
焚き火の火は、昨日の夜に比べると落ち着いている。
その周りには、昨日ハルキから教わった薬草が、葉の上に広げられていた。
風の通る場所に置いていたおかげで、表面の湿り気はだいぶ引いている。
「……これ、もういい?」
マリがしゃがみこんだまま、小さく聞いた。
「まだだな。乾いたように見えるけど、中までは分からん」
「……うん」
返事は素直だ。
最近のマリは、何かを確かめるたびに、以前より少しだけ言葉が増えるようになっている。
俺は薬草を一枚手に取って、葉脈の形を確認した。
昨日スマホで記録した画像と比べても、今のところ問題はなさそうだ。
ハルキが教えてくれたものだけでも、こうして見比べると少しずつ違いが分かってくる。
「今日は、村の近くまで行く」
「……むら」
マリはその言葉を、少し慎重に繰り返した。
「ああ。ハルキが言ってた村だ。薬草を見せるだけでも、少しは話ができるかもしれない」
「こわい?」
「少しはな。けど、何も知らないままよりはいい」
マリはしばらく黙って、それから小さく頷いた。
怖いものに対して、完全に固まるだけではなくなっている。
その変化は、かなり大きい。
村へ向かう支度は、思ったより簡単だった。
乾きかけの薬草をいくつかまとめて、草を編んだ袋へ入れる。
火は完全には消さず、石で囲った焚き火の中に小さな火種だけを残す。
周囲の乾いた葉を少し遠ざけ、戻ってきたときにすぐ火を戻せるようにしておいた。
「……これでよし」
「ひ、のこす?」
「少しだけな。大きく燃えたまま出るのは怖いから、火種だけだ」
マリは焚き火の跡をじっと見てから、小さく頷いた。
拠点の周囲を軽く整えてから、俺たちは森の道を歩き出した。
「道、覚えてるか」
「……たぶん」
「たぶんか」
「でも、ここ」
マリは周囲を見回してから、足元を指した。
森の匂いも、木の間の光も、昨日よりは自分のものとして掴めているらしい。
川沿いの道をしばらく進むと、木々の間が少し開けた。
先に進むにつれて、人の気配が濃くなる。
畑の土の匂い。
焚き火の煙。
削った木の匂い。
森とは違う、生活の気配だった。
やがて、木柵が見えた。
高さはそれほどない。
だが、外から勝手に入り込めないようにはしてある。
その向こうに、いくつかの家の屋根がのぞいていた。
「ここが村か」
「……うん」
マリは俺の袖を少しだけつまんだ。
完全に隠れるほどではないが、いつでも逃げられるようにしている距離だ。
柵の近くにいた男が、こちらを見つけて声をかけてきた。
畑道に立つ、年配の男だった。
ハルキより少し歳上に見える。
「見慣れない顔だな。何の用だ」
俺は薬草の入った袋を軽く持ち上げた。
「ハルキに薬草を教わった。試しに乾かしてきたんだ」
「ハルキの知り合いか」
「昨日、森で会った」
男は俺と袋を交互に見て、それからマリを見た。
目つきがわずかにやわらぐ。
「子どももいるのか」
「一緒に暮らしてる」
「……そうか」
男はすぐには中へ入れなかった。
だが、完全に追い返す感じでもない。
「薬草なら、見てやろう。ここで待て」
そう言って、男はしばらくしてから別の人を呼んだ。
出てきたのは、ハルキだった。
「来たか」
「来た」
「ちゃんと乾かしたか」
「一応な。まだ完全かは分からん」
「その方が正直でいい」
ハルキは袋を受け取り、中身を一枚ずつ確認した。
薬草の葉を指で軽く折り、匂いを確かめる。
乾き具合を見てから、小さくうなずいた。
「悪くない。ただ、まだ乾ききってはいないな」
「やっぱりか」
「一晩ならこんなもんだ。だが、見分けは大きく外してない。最初にしては上出来だ」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
「交換できるのか」
「正式に薬草として使うには、もう少し乾かす必要がある。ただ、試しにここまで持ってきた分としてなら、少しは見返りを出せる」
その言葉に、マリが少しだけ目を丸くした。
自分たちで集めたものが、何か別のものに変わる。
その仕組みは、今のこの子にとってかなり新鮮だったらしい。
「村の者にも見せていいか?」
「少しなら」
ハルキはそう言って、俺たちを村の入口近くまで案内した。
中へ入る前に、いくつか確認するような視線が飛んでくる。
それでも、ハルキが一緒なら話は通りやすいようだった。
村の中は、森の静けさとはまるで違っていた。
木を削る音。
鍋のふたが鳴る音。
子どもの声。
家々の間を、人が行き来している。
そのあいだに、少しだけ煙の匂いが混ざっていた。
「ここが、人の暮らしなんだな」
俺がそう言うと、ハルキは鼻を鳴らした。
「森の中のほうが変だと思うがな」
「そりゃそうだ」
村人のひとりが、こちらをちらちら見ていた。
見慣れない服装の男と、セーターを着た子ども。
不審に思われるのは当然だ。
それでも、ハルキが「薬草を乾かして持ってきた」と言うと、少しずつ周囲の空気が変わっていった。
村の人間は、まず中身を見る。
そして、使えそうなものなら話を聞く。
必要なものが少ない暮らしでは、それだけでも大きい。
「昨日教えたやつだ」
ハルキは、袋の中から一枚を取り出して、見せた。
「葉の縁をよく見ろ。乾かしても形は残る。こっちが傷に使う方だ」
俺はスマホを取り出して、その草をもう一度撮った。
ハルキはすぐ気づく。
「また記録か」
「ああ。あとで見返せる」
「便利だな、本当に」
スマホの声が、画面の向こうで淡々と言った。
「乾燥状態と採取位置を記録しています。後で比較可能です」
村人のひとりが、少し驚いた顔をした。
「しゃべるのか、それ」
「しゃべる。こいつが一番詳しいこともある」
「妙な魔道具だな」
「俺もそう思う」
そう答えると、少しだけ空気がゆるんだ。
ハルキは村の端にある作業小屋へ案内してくれた。
そこには、乾かした薬草を束ねる台や、簡単な秤のようなものがあった。
薬草を扱う場所らしい。
「ここで分ける」
「覚えることは多そうだな」
「最初はな」
ハルキはそう言いながら、昨日の薬草と似た草をいくつか並べた。
「これが乾かした後でも見分けやすいものだ。こっちは似てるが、少し扱いが違う。似た草を一緒に束ねるな」
「分かった」
「分かった、で済ませるな。間違えると、村の方で使えなくなる」
俺は真面目に頷いた。
今はまだ、教わる側だ。
そのことを忘れると、すぐに足元をすくわれる。
マリは作業小屋の隅で、乾いた草をじっと見ていた。
村の人間が何人か通り過ぎるたびに、少しだけ肩が動く。
だが、逃げ出すほどではない。
「マリ」
「……なに」
「これ、触ってみるか」
俺が差し出したのは、乾かしかけの薬草の束だった。
マリは少し迷ってから、そっと指で触れる。
「……かるい」
「乾くと軽くなる」
「……おもしろい」
その感想に、ハルキが小さく笑った。
「子どもは正直だな」
「そうだな」
俺は薬草の束を見ながら、ふと思った。
これなら、食料と交換できるかもしれない。
もしかすると、布や道具にもつながる。
森で生きるための手段が、少しずつ現実になりつつある。
「次は、これを少し多めに持ってきてもいい」
ハルキが言った。
「ただし、ちゃんと乾かしたものだけだ。生のままじゃだめだ」
「分かった」
「それと、村の近くで採るなら、勝手に奥へ入るな。採取場は決まってる」
「そこも覚える」
「覚えるだけじゃなく、守れ」
その言い方は厳しかったが、拒絶ではない。
村のルールを教えようとしている声だった。
少しして、最初に声をかけてきた年配の男が戻ってきた。
手には、細い木片と乾いた草をまとめた小さな包みがある。
「これを持っていけ」
「何だ?」
「火を起こすときに使う。乾いた場所ならよく燃える」
「交換か」
「試しの分だ。薬草がきちんと乾いていたら、次はもう少しましなものになる」
俺は受け取った。
軽いが、今の俺たちには十分ありがたい。
男はマリをちらりと見て、少しだけ声を落とした。
「森の中は危ない。子どもを連れて歩くなら、気をつけろ」
「分かってる」
「分かってる顔には見えんがな」
「言われ慣れてる」
そのやり取りに、マリが少しだけ俺の袖をつかむ力を強めた。
不安はまだある。
でも、村人に完全な敵意があるわけではないことも、少しは分かったらしい。
村を出る前に、ハルキがもう一度こちらへ来た。
「次に来るときは、薬草をいくつか束にして持ってこい。乾かすときは、日差しが強すぎない場所でな」
「分かった」
「それと」
ハルキはマリを見て、それから俺を見る。
「この子にも、少しは村を見せてやってもいい。いきなりは無理だろうが、怖がるだけじゃないなら、覚えられる」
「……考えておく」
「それでいい」
村の外へ出ると、森の空気がまた戻ってきた。
だが、来たときと同じではない。
俺たちは村への道を知った。
何を持っていけばいいかも、少しだけ分かった。
「スズキ」
「なんだ」
「また、いける?」
「行けるようにする」
マリは少しだけ間を置いて、それから頷いた。
「……わたしも、わかる」
「何がだ」
「ここ、ひと」
それは、たぶん村のことだった。
人がいて、音がして、食べ物が動く場所。
森とは違う「生活の塊」を、マリなりに掴み始めているのかもしれない。
拠点へ戻るころには、薬草の袋は軽くなり、手元には火起こし用の小包が増えていた。
たったそれだけでも、昨日より世界は広がっている。
火のそばで薬草を広げ直しながら、俺は思った。
森で生きるための知識だけでは、これからは足りない。
村と行き来できるなら、食べ物も道具も、少しずつ増やせる。
そして、それはマリの暮らしを守ることにもつながる。
「スズキ」
「ん?」
「つぎ、わたしも、もってく」
マリは乾いた草を見つめたまま言った。
「そうか」
「……おぼえる」
「それがいい」
火は小さいままだったが、昨日より少しだけ頼もしく見えた。
村への道ができたことで、この小さな生活は、ただ森の中に閉じるものではなくなった。
名前のある朝も、薬草も、村の人の手も。
全部が少しずつ、これからの土台になっていく。
原案・構想
無職のおっさん
物語構成・本文作成
Perplexity
校正・文体調整
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