第9話 歴史ドラマのテンプレ到来。村(俺)の宝を守るため、お兄さんは立ち上がる
一時間、いや二時間近くは歩いただろうか。
ようやく辿り着いた現場は、俺が拠点にしているあの「サバイバル感満載の村」とは、まるで別世界だった。
「……うわ、本当に『江戸村』だ」
そこは「下宿」と呼ばれる、この辺りでは比較的大きめな街だそう。
立ち並ぶ商店、軒先に吊るされた看板、何より歩いている人の数と華やかさが違う。
泥にまみれた麻の服ではなく、小綺麗な、中には色鮮やかな柄の入った着物を着て歩く人もいる。
観光地ではない、生活の匂いと活気に満ちた「本物の過去」がそこにはあった。
源蔵さんの最近の仕事は、こうした大きな集落での家の修理――いわゆるリフォームが大半らしい。
今回のクライアントは、この街の名主であるという「権左衛門」。
門をくぐった先にあるその邸宅の佇まいは、まさに地方の権力者の家そのものだった。
高くそびえる長屋門、手入れの行き届いた広い庭、それから重厚な瓦屋根。
現代で言えば、地方都市の地主が建てる豪邸といったところか。
俺はその威容を見上げながら、隣の源蔵さんに疑問を投げかけてみる。
「源蔵さん、いや親方。この街にも大工くらいいるでしょうに、なんでわざわざ親方に頼むんですか?」
何気なく聞くと、源蔵さんはフンと鼻を鳴らした。
ちなみに、このタイミングから「源蔵さん」ではなく「親方」と呼ぶことに決めた。
そっちの方が呼びやすいし。
「当たり前だ、この界隈で俺ほどの腕を持った大工は他にいねえからな。名主の野郎、性格は腐ってるが、見る目だけは確かだ」
職人としてのプライドを覗かせつつも、その後には「だが、あいつは大嫌いだ」と吐き捨てるように付け加えた。
プロの矜持と個人的な嫌悪の板挟み。
なるほど、どこの時代のビジネスも人間関係は複雑らしい。
予想に反して、俺に与えられた仕事は驚くほど単調なものだった。
「おい、鉋だ。次は墨壺」
「はいはい、これっすね」
親方の横で指示された用具を手渡すだけの、いわば「見習い以下」の作業。
間近で見る親方の手捌きは、とてもじゃないが素人が真似できるレベルではない。
木の表面を薄紙のように削り取り、複雑な継ぎ目を寸分の狂いなく嵌め込んでいく。
その圧倒的な「職人技」を前にして、俺は早々に自分が戦力外であることを悟った。
おかげで肉体的な疲労が蓄積されることなく日中の仕事は進行したが、その代わりに襲ってきたのが「退屈」という名の地獄だ。
しばらくはこんなサイクルが続く。
【早朝】
日の出前に起こされ、重い荷車を引いて下宿へ向かう。
サスペンションのない木の車輪が、俺の筋繊維を情け容赦なく破壊していく。(激しく疲れる)
【日中】
親方の横で、指示された道具を手渡すだけの「見習い以下」の作業。
会話なし、エンタメなし、スマホなし。ただ時間が過ぎるのを待つ。(気が狂うほど暇)
【夕暮れ】
再び荷車を引き、元の村へ帰る。
なぜか朝の数倍重く感じる。(死ぬほど疲れる)
【夜】
風呂上がりのカヨちゃんをバレないように愛でる。
あるいは夕食の時に彼女がよそってくれた粗食を噛み締めながら、その無垢な笑顔に浄化される。(生命力の補給)
そんな、極端な振り子のような生活に慣れ始めた頃のことだ。
いつの間にか気温はすっかり高くなり、夕暮れでも肌をなでる空気は、真夏の熱を帯びはじめている。
帰り道の途中、親方が夕日に赤く染まった川面を見つめながら、ぽろっと弱音を漏らした。
「……平太。お前がいてくれるおかげで、仕事は随分と捗るよ。だがな、この仕事も、そろそろ潮時かもしれねえな」
「えっ、どういうことですか? 名主にクビにされそうなんですか?」
俺が聞き返すと、親方は視線の先を指差した。
そこには、川の対岸へと渡るための橋が、無惨に真ん中から折れ曲がって崩落していた。
「あれだ。あそこの橋を、次の満月までに直さなきゃならねえんだよ」
「……あんなデカい橋を。そりゃまた、随分な突貫工事っすね。何か問題でもあるんですか?」
そう言って空を見上げると、ちょうど月が丸く浮かんでいた。
親方の口ぶりからすると、「次の満月まで」というのは、そう悠長な話でもないのだろう。
「資材だよ。資材がねえんだ。あの規模の橋を組むにゃあ、それなりの太さと長さの木材がいる。腕自慢の俺でも、木がなきゃどうにもならねえ」
親方は、いつになく寂しそうな目で、遠くの稜線を眺めていた。
「資材って……あそこに山ほど木が生えてるじゃないですか。ああいうのを適当に切り倒して使うんじゃダメなんですか?」
「バカ言え。あそこは代官様の『留山』だ。一本でも勝手に切ってみろ、村中の男の首が飛ぶぞ」
「じゃあ、あっちの山は?」
俺が反対側の山を指すと、親方は忌々しそうに顔をしかめた。
「あっちなら可能性はある。だがな、あの山は下宿の野郎どもと境界線を争ってる最中なんだ。名主の権左衛門の強欲は有名だからな。こっちが木を一本切ろうもんなら、村総出で鉈を持って殴り込んでくるぞ。……山論は、この辺りじゃ戦争と同じだ」
親方の声が、さらに一段と低くなった。
「それに、役人はこう言いやがった。『次の満月までに再建できねば、遅延の罰として、人別帳から若い娘を三名、奉公に出せ』だとよ」
「……!」
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳内に、夕食の席で微笑むカヨちゃんの姿が浮かんだ。
(それって……期限までに橋が直らなかったら、カヨちゃんが身売りさせられるってことか!? カヨちゃんは村の、いや、俺の『宝』だぞ! そんなこと、絶対に、一ミリだって許せるわけがない!)
親方の話を整理すれば、資材さえ確保できればなんとかなる。
そしてそのキーマンは、あの嫌味な名主「権左衛門」。
アイツはちょいちょい現場に現れては、親方にちょっかいを出してくる嫌な奴だ。
普段なら、あんな脂ぎったオッサンなんて視界の隅にも入れないが、幸いなことに俺はアイツのことを既に「チェック済み」だった。
なんてったって、アイツは現場に来るとき、いつも傍に愛娘らしい少女を連れてきてたからな。
娘の名前は「お蘭」。
歳はカヨちゃんと同じくらいか。
見た目は……可愛い(少女は全て尊いのだ)。
「……親方。資材さえ確保できれば、なんとかなるってことですね?」
「ああ。資材さえあれば、死ぬ気で組み上げてやるさ」
俺は、沈みゆく夕日に向かって、「胡散臭い、けれど自信に満ちた」笑みを浮かべた。
まさに歴史ドラマのテンプレのような展開だが、カヨちゃんがいなくなったら、俺がこのクソ重い荷車を引いて生きている意味そのものが消失してしまう。
これまでは「無駄飯ぐらいの居候」として甘んじてきたが、いよいよ俺の本当のスキルを解禁する時が来たようだ。
令和の社畜生活で培ったのは、適当に乗り切るための「サボり」の技術と、どんな難癖もかわし、相手の懐に潜り込むための「口先」の技術。
サボりはともかく、この「口先パワー」を、この時代の田舎者にぶつけてみるのも悪くない。
待ってろよ、カヨちゃん。
お兄さんが、文明で熟成された営業トークで、あの親子をまとめて攻略してやるからな。
決して、お蘭にもお近づきになりたいとか、そういったモチベーションからじゃないぞ……。




