第8話 風呂場のミリ単位チェック。これは防犯上の確認であって、決してやましくはない
まだ日も昇らないうちに源蔵さんに叩き起こされ、俺は薄闇の中で荷車を引いている。
大きな木製の車輪が二つ。荷台も全部木製。
当然サスペンションなんてあるはずもなく、ちょっとした石を踏むだけで全身に衝撃が来る。
重い……。
「今日は資材積んでねえから、いつもより全然軽いぞ! 頑張れ!」
全然軽くねえ。
都会暮らしのロリコンには度を超えた労働、もはや拷問だ。
だが、俺の足は止まらない。
なぜなら、昨晩の「至福の光景」が脳内で無限リピートされているからだ。
源蔵さんの家には風呂があった。
この規模の集落では珍しいらしい。
昨日は俺が来たからと特別に沸かしてくれたのだが、極限まで疲れ果てていた俺は、サトさんの勧めに抗えず一番風呂をいただいてしまった。
(カヨちゃんの後だったら……。この湯船は、彼女の成分が溶け出した『聖なる湯』になっていたはずなのに……)
湯船に浸かりながら、俺は激しい後悔の念に駆られたが、嘆いてばかりはいられない。
俺は営業マンだ。常に次の一手を考える。
この家の風呂は驚くほどオープンな作りだ。
板壁の隙間、外からの視線、脱衣所との距離感。
俺は「来るべきとき」に備え、風呂場の構造をミリ単位でくまなくチェックした。
いや、別にやましい意味ではなく防犯上の確認というか、生活環境の把握というか……。
うん。たぶんそういうやつだ。
――しばらくして。
風呂から戻ってきたカヨちゃんの姿を見た瞬間、俺の視界はホワイトアウトした。
(……後光だ。後光がさしている……)
上気した頬。
少し湿って束になった髪が、細い首筋に張り付いている。
さっきまで着ていた麻の着物から、白くて薄い綿の着物に着替えている。
湿り気を帯びていつもよりほんの少しだけ体に寄り添い、彼女のまだ幼い、けれど確かな生命力を象徴するような柔らかなラインを強調していた。
石鹸なんて置いてなかったのに、彼女からは洗い立ての陽だまりのような、甘く清らかな香りが漂ってくる(気がする)。
「……あ、あの……平太さん? 顔が真っ赤ですけど、のぼせちゃいましたか?」
カヨちゃんが心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
その無垢な破壊力に、俺のセンサーは計測不能の数値を叩き出した。
(耐えろ……耐えるんだ平太。ここで擬態が解けたら、このパラダイスから追放される……!)
しかし、現実は非情である。
……カヨちゃんの寝顔。
あわよくば、隣の布団で彼女の寝息を聞きながら、その無防備な姿を網膜に焼き付ける……。
そんな「至福」が待っていると信じて疑わなかった俺に待っていたのは、冷たい宣告だった。
「平太さん、寝床はこっちよ。古いけど、雨風はしのげるから」
サトさんに案内されたのは、母屋の隣にある「納屋」だった。
土の匂いと乾燥した藁の匂い、それに使い古された農具の鉄臭さが混じった、お世辞にも清潔とは言えない空間。
そこに申し訳程度の莚が敷かれている。
……納屋。
どこの馬の骨ともしれない流れ者を、娘と同じ母屋に寝かせるわけがないよな……。
うん、知ってた。
壁の隙間から差し込む月光を浴びながら、
「いつか必ず、この納屋から脱出してやる。実力で、あの母屋への切符を勝ち取ってやるんだ」
と、場違いな野心を燃やして眠りについたのだが、そんな成り上がりへの野心も、莚の上に横たわった瞬間に霧散した。
目を閉じれば、そこに映るのは暗い天井ではなく、先ほど拝んだ「湯上がりの女神」の残像だったからだ。
そして現在。
全身筋肉痛のまま、荷車を引かされている。
今すぐ座り込みたい衝動を「カヨちゃん成分」というドーピングで強引にねじ伏せながら、俺は朝の冷気の中を歩いている。




