第6話 話せばわかる? 俺はただの三十八歳のロリコンだ!
目が覚めてから数分。
俺は、自身の置かれた状況を冷静に、かつ極めて論理的に分析しようと試みていた。
「……なるほど。これは、あれか。新手の美人局か」
それしか考えられない。
38歳の、それもロリコン趣味という致命的な弱みを握られた独身サラリーマンを陥れる罠。
……いや、待て。握られたのか?
あの少女に声をかけた時点で確定ですってこと?
いや、あれは純然たる、人道的な人助けだったはずだ。
少なくとも俺の主観では。
あ。でも、最終的に家に連れ込んだな。
客観的に見ればアウトだ。
いくら言い訳しても聞く耳持ってもらえないやつだ……。
なんとなく自問自答してみたが、正直思いつく節はそれくらいだ。
被害届なんて出せば、俺の部屋に少女を連れ込んだ事実が公になる。
それをわかってのロリコン狙いなら、奴らは相当なプロだ。
「……待て。俺の部屋は? もぬけの殻か? ユキナちゃんの限定グッズ……無事なのか!?」
背筋に冷たいものが走る。
命の心配より先に、資産価値(主に精神的な)の心配が口をついて出た。
だが、今ここで叫んでも、返ってくるのは鳥のさえずりと風の音だけだ。
「……クソ。ひとまず、今は生き延びて、家に帰るのが先決だ」
幸い、今日は土曜日。
明後日の月曜の早朝までにアパートに戻れれば、社会的な死は免れる(多分)。
俺は立ち上がり、パンパンとジャケットの土を払った。
「……ん、靴はちゃんと履いてるな。最悪の状況で、これだけは救いだ」
昨晩、あの少女を部屋に招き入れたときに靴は脱いだはずだが、今はしっかり足元をガードしている。
少女の加護か……。
まあ、あの子も共犯だろうけどな。可愛かっただけに、キツい裏切りだぜ。
ちなみに、靴以外はあの時の格好そのまま。
スーツのズボンにワイシャツ、擬態用の「くたびれた安物のジャケット」だ。
「とにかくここはどこなのか? 現在地を把握するのが先決だな」
俺は斜面を這い上がり、なるべく視界の開けた場所を探して歩き始めた。
仕事で培った能力なんて一つもないが、俺の聖地巡礼は道なき道をいく。
幾多の藪漕ぎと城跡巡りの果てに得た自信が、パニック寸前の脳をどうにか駆動させている。
数十分ほど藪を漕いで進むと、ようやく視界が開けた。
「……うわ、マジで山しかねえ。……ん? 待て、あの山」
遥か遠く、左手の方角に山頂が白く輝く連峰が見えた。
「山頂に雪……。あれは北アルプスか? いや、南か? 中央か? もしあれがなんちゃらアルプスなら、俺のいる場所は長野、山梨、あるいは静岡……。俺、意外と冴えてるな」
以前、『戦プリ』の武田信玄担当・ハルナちゃん(十四歳)縁の地を巡った際の知識が、パズルのピースを埋めるように浮上してくる。
ちなみにハルナちゃんはみんなの頼れるお姉さんだ。
「太陽の位置が今あそこなら、あっちは東だ。確か、どのアルプスであっても東側に下っていけば、大きな川があって鉄道が走っているはず……」
道なき道を進むのは過酷だった。
スーツの裾はボロボロになり、自慢の「擬態」用ジャケットは枝に引っかかって無惨な有様だ。
数時間のアップダウンを繰り返し、ようやく東側に視界が開けた場所に出た。
「川だ! しかもそこそこ立派だ」
眼下には、雄大な川が蛇行しながら南へと流れていた。
「……しかし、おかしいな。これだけ大きい川なら、そこそこの道が並走しててもよいはずなんだけど」
違和感はそれだけではなかった。
見える範囲に、建物はおろか、電柱の一本すら見当たらない。
ひとまず川まで降りることにした。
川沿いを下れば必ず街に出る……はず?
◇
ようやく川岸付近まで辿り着いた。
そこには舗装されていないが、そこそこ立派な「道」と呼べるものがある。
「こんな場所、日本にあったっけ……? 秘境すぎだろ」
川の流れは南、だとすると太平洋側だ。
この道が太平洋へ向かっていると信じて、俺は下流へと歩き始めた。
そこから数時間ほど歩き続けたか。
足の痛みと空腹が限界に達しそうになった頃、ようやく家影が見えた。
道沿いに数軒の民家が寄り添うように建っている。
「……や、やっと着いた。助かった……」
道沿いに並ぶその建物は、どれもこれもが「古めかしい」という言葉では片付けられないほど、歴史を感じさせる造りだった。
「……え、これ何? 観光地か? 本格的すぎないか」
ボロっちいというより、ちゃちい?
とにかく歴史を感じる木造建築だ。
「……映画のセットか何かか? 最近流行りの、限界集落を丸ごと江戸村にするような村おこしとか……?」
辺りには誰もおらず、シーンと静まり返っている。
だが、確実に「視線」を感じた。
ふと横の家の格子窓に目を向けると、暗がりの奥から、誰かがこちらをじっと見つめていた。
明らかに好奇心からの視線ではない。
「……こわっ。宗教団体か何かの村か?」
関わらない方がいい。
俺は擬態のプロとして、視線を合わせずに通り過ぎようとした。
その時だった。
「――お前! どこの者だッ!」
背後から、鼓膜を震わせるような怒鳴り声が響いた。
振り返ると、数人の男たちが立っている。
「何これ!? 江戸村のサプライズイベント?」
服装は……冗談だろ。
麻のような素材の着物、野良着。
そして彼らが手にしているのは、農具というよりは、鋭く研がれた「獲物」だ。
「……あ、いや、怪しい者ではありません。ちょっと道に迷ってしまいまして……」
俺は営業スマイルを浮かべ、両手を上げて敵意がないことを示そうとした。
だが、男たちの形相は変わらない。
むしろ、俺の姿を正面から確認したことで、さらに殺気を強めた。
「は!? こいつ、見たこともない奇天烈な格好を!」
「いや待て、話を聞いて――」
俺の言葉が終わる前に、男たちは怒号と共に駆け出してきた。
「え、嘘だろ!? これって襲われてる? ガチのやつ!?」
俺は反射的に、男たちとは逆方向に全速力で逃げ出した。
38歳の、それも運動不足のサラリーマンが、土の上をスーツで走る。
全速力のつもりだが、足が空回りして思うように前に進まない。
「やばいやばいやばい! 話せばわかるだろ! 俺、ただの38歳のロリコンだよ!」
背後から迫る足音。
死に物狂いで村を抜け、川沿いの生い茂る藪の中に、俺は頭から飛び込んだ。
しばらく藪の中を這い進み、泥にまみれながら、息を殺して潜む。
遠くで男たちの罵声が聞こえたが、やがてそれも遠ざかっていった。
「…………助かった、のか?」
心臓が口から飛び出しそうだ。
辺りは急速に暗闇に包まれ始めている。
真っ暗になりつつある藪の中。
逃走で使い果たしたエネルギーが、猛烈な飢えとなって襲い始めた。




