第47話 不本意な人妻(仮)設定と、チクチクする異世界の朝
うう〜〜ん……。体が、痛い……
重い泥の中に沈んでいるかのような感覚のなか、バキバキに凝り固まった首を回しながら瞬きをする。
昨夜は、ユキホちゃんと『愛憎の離着陸』の衝撃の結末について語り明かし、さらには最近のネ○フリでおすすめの最新韓国ドラマの話なんかで大いに盛り上がった。
異世界にいることを忘れるほど楽しい時間だった。
……けれど、オタクトークがひと段落した後、ユキホちゃんは急に真面目な顔になって、この世界の状況を色々と説明してくれたのだ。
まず、いま私がいるこの場所は「納屋」で、あの男――平太が寝泊まりしていた場所らしい。
そして、すぐ隣にある「母屋」の住人にお世話になっていること。
その家族は「望月」さんといって、父親の源蔵さん、母親のサトさん、娘のカヨちゃんの三人家族だそうだ。
「それでね、タナカさん。明日の朝、家の皆にタナカさんを紹介するんだけど……その、タナカさんは私の『お母さん』ってことに、しておいてほしいの」
「えっ、お母さん!?」
「うん。私たちの苗字は『佐藤』。これは平太の苗字なんだけど……」
つまり、望月家に対するカモフラージュとして、私はユキホちゃんの母親であり、平太の妻ということになる。
ってことは私は何歳でユキホちゃんを産んだってことになるんだ?
うん。ギリギリ問題なさそうなのが悲しい……。
……平太と私が夫婦……なんか、それはすごく嫌だな。
そんな私の微妙な表情には気づかず、一通り説明を終えたユキホちゃんは「ふわぁ」と大きなあくびをした。
すっかり眠くなってしまったらしい。
「お家の人には明日紹介するから」と言い残し、彼女はトボトボと隣の母屋へ帰っていった。
そうして、異世界の納屋に一人ポツンと取り残された私だったのだが……。
「何これ……? ゴザ? 布団じゃなくて、ダイレクトにゴザなの!?」
用意されていた寝床は、信じられないほどワイルドなものだった。
仕方なくそこに横になってみたものの、編み込まれた藁の繊維が衣服を突き抜けて、チクチクと容赦なく肌を刺してくる。
痛いし痒いし、とてもじゃないけれど寝られたもんじゃない。
おかげさまで、私はほぼ一睡もできないまま、最悪のコンディションで異世界の朝を迎えることになったのだった。
(うう……なんか、めちゃくちゃ緊張してきたな……)
睡眠不足の頭で、これからの挨拶のシミュレーションを繰り返す。
サトウミチルです、サトウミチルです……。
その時だった。
――ガラララッ!
引き戸が勢いよく開き、容赦のない朝の太陽光が差し込んできた。
眩しさに目を細めると、逆光の中に三つのシルエットが立っている。
一人はユキホちゃん。
そして、その少し後ろに、素朴な着物姿の女性と、ユキホちゃんと同じくらいの年ごろの少女。
(ひえっ! いきなり……っ!)
心の準備もクソもない不意打ちだったが、ここで大人の対応を見せなければならない。
私はバッと勢いよく立ち上がり、腰を直角に折って丁寧に頭を下げた。
「あの、初めまして! タナ……いや、サトウ! サトウミチルといいます! この度は、うちの娘が大変お世話になり、本当に……あの……!」
ダメだ。
頭の中で何十回もシミュレーションしたはずなのに、いざ口を動かすとパニックになり、途中から自分が何を言っているのか分からなくなってしまった。
恐る恐る顔を上げると、サトさんとカヨちゃんは、むしろ私よりも硬い表情で深々と頭を下げていた。
「この度は……せっかく遠方から来ていただいたというのに。平太さん……ご主人は、その……」
サトさんは沈痛な面持ちで言葉を濁した。
……ん? ご主人?
平太がどうしたって?
「あの……?」
サトさんは一瞬だけ口を噤んだ。
そして、少しの間を置いてから、ぽつりぽつりと重い口調で説明してくれた。
数日前の大雨の日、平太は自分の仕事場である「開墾地」へと向かったきり、戻ってこなかった。
しかも、その日に開墾地へと続く唯一の橋が一部決壊してしまったらしい。
状況から見て、おそらくその決壊事故に巻き込まれてしまったのだろう……と。
「本当に、とても頼りになる、とても良い方でした。奥様……どうか、お気を落とさずに……」
サトさんはそこまで言うと、自分のことのように瞳を潤ませて涙ぐんだ。
(……は? あの男が、頼りになる良い人……!? 一体あいつ、この村で何をやらかしたのよ?)
先日、アパートの前で出会った平太の姿を思い出し、頭の中で猛烈なツッコミが暴れ狂う。
あ、そうだ。
そう言えば私は、その「頼りになる平太さん」の妻(仮)という設定だった。
夫が死んだということになっているのだ。
一応、ここは妻として、この世の終わりみたいに悲しんだり、涙を流したりする演技をすべき場面なのだろう。
……よし、泣くぞ、私。悲しむんだ。
……。
…………いや、全く悲しくないから無理。
引き攣りそうになる頬の筋肉を必死に抑え、私はできる限り「健気で、現実を受け止めようと必死に耐えている未亡人」のトーンを作って声を絞り出した。
「あの……そのお話は、昨日ユキホから聞きました。私の中では、すでに……覚悟を決めて、整理がついていますから。大丈夫です」
「まあ……お強いお方なんですね……」
サトさんが痛ましいものを見るような目で私を見つめる。
(ごめんなさいサトさん、これはただの、あの男に対する純度100パーセントの無関心です)
「いえいえ、そんな。私にはこの子がいますから。これからはユキホと一緒に、前を向いて生きていきますので」
私がユキホちゃんの肩をそっと抱き寄せると、サトさんは「これ以上、つらい話をほじくり返すのはよそう」と思ってくれたのか、パッと表情を明るくしてくれた。
「……そうですわね。お腹が空いているでしょう、さあ、朝御飯にしましょう。奥様、この家にはいつまでいてくださっても構いませんからね。それに、寝床もこんな納屋じゃなくて、今日からは母屋へ来て、ユキホちゃんと一緒に寝てくださいな」
(神様、サト様、仏様……!! 母屋で寝られるの、本当に助かるーーーっ!!)
心の中でガッツポーズをキメながら、私は「ありがとうございます」と淑やかに微笑んだ。
促されるまま、納屋の一歩外へと足を踏み出す。
その瞬間、私の視界いっぱいに、鮮やかな景色が飛び込んできた。
どこまでも高く、吸い込まれそうなほど青い空。
見渡す限りに広がる、瑞々しい緑の田畑と、のどかな茅葺き屋根の家々。
遠くには、雄大で険しい山々が連なっている。
それは、絵画で見るような農村風景……いや、それらよりも遥かに生々しく、圧倒的な「本物の農村」の景色だった。
(ああ……私、本当に異世界に来ちゃったんだな……)
バキバキの体を伸ばしながら、私はじわじわと湧き上がる実感を胸に、異世界の眩しい朝の風景を見つめた。




