第44話 中身は同じなのに……。世界は手のひらを返す
「おい佐藤! お前、俺の説明ちゃんと聞いてたのかよ!?」
耳を突き刺すような怒号に、俺は反射的に首をすくめた。
また、怒られた……。
相手は、どう見ても俺より十五歳は年下だろうと思われるアルバイトの先輩だ。
俺的にはちゃんとやっているつもりだし、その先輩から事前に受けた説明の通りに動いているはずなのだが、どうにも俺の挙動が彼の癇に障るらしい。
ことあるごとに、こうして大声で怒鳴り散らされる。
最初の数日は軽く言い返したりもしていたが、反論は火に油を注ぐ結果にしかならないとすぐに学習した。
それ以降は、ただ無心になり、嵐が過ぎ去るのを待つように黙ってその怒号を受け入れている。
この日雇い軽作業の時給は、1,230円。
いわゆる東京都の最低基準のラインだ。
はるか昔、俺が高校時代にやっていたアルバイトの時給は、確か千円を大きく下回っていた記憶がある。
それに比べればずいぶん高いな、などと場違いな感心をしてみるものの、当然この生活が長く続けられるわけがない。
貯金も底をつきかけている以上、近いうちにちゃんとした定職(再就職先)を見つける必要があるのは明らかだ。
(だけど、急に就職先って言われてもな……)
そんな現実逃避の思考を強制遮断するように、再び鋭い怒号が倉庫内に響き渡った。
「おい佐藤! さっさとこれ運べよ! いつまでもチンタラやってんじゃねえ!!」
「……っ、すんません! 今やります!」
ペコペコと頭を下げながら、俺はクソ重い段ボールに手をかけた。
◇
休憩時間。
俺は倉庫の裏口に設置された、申し訳程度の喫煙スペース――というか、ただ灰皿がぽつんと置いてあるだけの場所で、タバコに火をつけた。
元の世界に戻ってきた翌日に吸ってからというもの、どうにもタバコがやめられなくなってしまった。
ただでさえ節約生活が求められているというのに、我ながら愚かな出費だ。
煙を細く、長く、現在の状況への不満を吐き出すように流していく。
(……それにしても、なんだってこんなことになってるんだろうな)
ふと、おかしな笑いが込み上げてくる。
俺はあっちの世界では、それなりに名の知られた存在にまでなっていたはずだ。
宿場町の名主と直接交渉し、村を脅かしていた山の野盗たちを更生させ、さらに救ってみせた。
それどころか、地域の長のようなポジションにまで上り詰めたのだ。
ところが、今の俺のザマはどうだ。
現代に戻ってきた途端、十五歳以上も年下の若造に呼び捨てで怒鳴られ、無能扱いされ、徹底的に貶されている。
あの戦国世界にいた時の俺も、今の日雇い労働に追われる俺も、中身は何も変わっていないはずなのに。
この劇的な違いを生み出していた要因はただ一つしかない。
ユキホと俺の能力共有、すなわちユキホがもたらしてくれていた能力補正――【魅力:A】の力だ。
人間関係において、【魅力:A】というステータスがどれほど規格外のチートだったのかを、その恩恵を失った今になって骨の髄まで思い知らされている。
あの一つの能力があるかないかだけで、世界はこうも手のひらを返して冷酷になるものなのか。
ポケットからスマートフォンを取り出し、なんとなく『インスタグラム』のアプリを開く。
そこには、相変わらず「これ、別に自慢のつもりじゃないですよ」という、薄っぺらい建前で包装された自慢の投稿がウンザリするほど並んでいた。
『たまま入ったお店の限定ランチ、ちょっと贅沢すぎたかな〜(高級時計が写り込んだ写真)』
『今日も終電まで激務! でもチームの皆と最高のプロジェクトに関われてマジで感謝(スタバの新作カップ)』
『うちの子、最近英語の塾が楽しいみたいで自発的に勉強してて天才かもしれない(幼児のノート)』
画面を眺めながら、ふと思う。
こういう、現世の人間たちが必死に行っている自己顕示の行為もまた、自身の【魅力】のパラメータを上げるための、涙ぐましい手段なのだ。
他人に凄いと思ってもらいたい、自分を魅力的に感じてもらいたいからこそ、日々ハッタリを投稿し続けている。
俺は昔から、こういう「自分を魅力的に見せようとする行為」に対して、吐き気を覚えるほどの激しい嫌悪感を感じていた。
その嫌悪感こそが、これまでの俺の三十八年間の人生を形作ってきたといっても過言ではない。
しかし、嫌悪感を感じて斜に構えるだけで、俺は他に何かをやってきたのだろうか?
俺自身のパラメータ値が、低い【魅力】のままでいるのを許容したとして、他の能力値――【知略】や【技術力】を上げるような努力を、これまでの人生でしてきただろうか?
――答えは、はっきりとNOだ。
俺が二十年以上の歳月をかけてやってきたことといえば、ただ一つ。
他人に冷たい目を向けられないように、自分だけの狭い世界に閉じこもり、その中だけで自己を育むこと。
それは常に「自分」が中心。
他人と深く関わらない、面倒な人間関係を寄せ付けないことで、そのお気楽な世界を必死に守り続けてきた。
いわば「自分が良ければそれでいい」という、究極に利己的な価値観に振り切った生き方だ。
その生き方にとって、スマホゲーム『戦国乙女☆プリンセス』というコンテンツは、あまりにも都合がよかった。
画面の向こうの幼い少女を無責任に愛で、聖地巡礼と称して一人で道なき道を彷徨う。
そうやって誰の邪魔も入らない自分だけの世界を充実させ、手軽な満足感を得るには、これ以上ない最高のおもちゃだった。
さらに、その、他人と深く関わらない生き方を二十年以上も続けてしまった末、俺は心のどこかで気づいていたのだ。
――この趣味を失ってしまったら、俺の人生には本当に何も残らない。
それが恐怖として分かっているからこそ、失うわけにはいかず、より深く、盲目的にのめり込んでいっていただけなのではないか?
結局、この現代日本という世界において、俺は誰にも必要とされていない。
俺自身が「誰かに必要とされること」を徹底的に拒んで生きてきたのだから、今のこの孤独な現状は、あまりにも当然の帰結だ。
スマートフォンをポケットへとしまい、最後の煙を深く吐き出す。
……そもそも、俺は本当に「ロリコン」なのか?
その問いに対する明確な答えはわからないが、ただ一つだけ、心の底から確信を持って言えることがある。
あの生意気で、大食らいで、高カロリーフードによって少しふっくら丸くなって戻ってきた、あのモチモチした美少女。
――ユキホだけは、俺にとって、絶対に特別な存在だ。




