第40話 土砂降りの開墾地と、背後からの衝撃
翌朝。
俺は納屋の天井を叩く、バラバラバラという激しい雨音で目を覚ました。
板壁の隙間から外を覗くまでもなく、完全に「土砂降り」の域に達している大雨だ。
寝ぼけ眼をこすりながら母屋へと向かい、まずはサトさんが用意してくれた温かい朝食を済ませることにする。
囲炉裏を囲み、カヨやユキホと並んで朝食の温かい粥を口に運ぶ。
「平太さん、外はすごい雨ですね。今日はお仕事、お休みですか?」
心配そうに尋ねてくるカヨの純真な瞳に、二日酔い気味の脳が一瞬で癒やされていく。
「平太さん、こんな雨なんだから無理しちゃだめよ。今日は家でおとなしくしていたら?」
サトさんからも温かいお言葉をもらったが、一応、仮にも開墾地を「任されて」しまった身だ。
「こんな日の仕事はどうするべきか」と、親方に聞いてみようと思ったが、ほぼ朝まで権左衛門たちと祝杯を上げていたらしく、まだ奥の部屋で大いびきをかいて寝ている。
「ちょっと様子だけ見てきますよ」
サトさんたちに笑顔で手を振り、意を決して家を出て開墾地へと向かった。
現代社会なら、スマートフォンでちょいちょいと「今日の作業は雨天中止で!」とLINEグループに一斉送信すれば済む話だ。
だが、この世界には携帯はおろか、家電話すら存在しない。
これだけ凄まじい雨が降ってしまっては、おそらくできる作業など何一つない。
ましてや、あの広大な開墾地には雨を凌げる建物や屋根付きの休憩所なんてないのだ。
現代の常識的に考えればお休みにするべきなのだが、いかんせん「連絡手段」がない。
現地に行ってみんなに直接「今日はお休みです」と伝えるしか、この状況を収拾する方法がないのだ。
そういえば、親方の大工仕事を手伝わされていた時は、雨が降っている日でも「仕事に影響はねえ!」と平気な顔で酷使されていたっけ。
もしかすると、この時代に生きる人々にとって、お天気ごときで仕事が中止(お休み)になるという概念そのものが存在しないのかもしれない。
そんな一抹の不安を抱えながら、開墾地へと続くあの木製の橋に差し掛かった時。
雨で霞む対岸に一人の人影が見えた。
「……なんだ。一人しかいないじゃん」
やっぱりそうだ。
これだけバカみたいに雨が降っていれば、自動的に「今日は休みだな」と判断して家に引きこもるに決まっている。
まぁ、今日は俺の到着がかなり早めだったこともある。
もしかすると、この後に他の連中がぞろぞろと集まってくるのかもしれない。
来ないにしても、ひとまず今いるその一人に対して「今日はお休みにしましょう」と伝えるべきだろう。
俺は濡れた橋の上を、滑らないよう慎重に進んだ。
それにしても――川の水量がとんでもないことになっている。
「ゴーゴー」という、まるで巨大な怪物が地底で唸っているかのような凄まじい濁流の音が、雨の音をかき消すほどだ。
いつもの透き通った穏やかな流れはどこへやら、泥や引きちぎれた木の枝を大量に巻き込んだ、褐色の濁流が荒れ狂っている。
そんな状況のなか、親方たちが、かなりの突貫工事で架け直したこの木製の橋だが……。
(本当に大丈夫なんだろうな? バキッと真ん中から折れて流されたりしないよな、これ……)
あまりの水の勢いに、本気で生きた心地がしない。
橋の中間に差し掛かったその時、対岸にいた「その一人」が、こちらに気づいて勢いよく走り寄ってきた。
(うわ、ちょっと待って! とりあえず俺を向こう岸まで渡り切らせて……!)
近づいてきたのは、下宿チームの(元)リーダー・岩松だ。
揺れる橋を何とか渡り切り、対岸の入り口あたりで、俺は岩松と合流した。
「おーう、平太! じゃなくて……『村長』だな。おはよう」
「おはようございます。……って、えっ? 村長?」
「うーん。まぁ、まだ正式に『村』として認められたわけじゃねえが……朝秀たちの定住も決まったし、お前が責任者なんだから、似たようなもんだろ」
岩松は白い歯を見せて、ガハハと気楽そうに笑った。
似たようなもんって……「村長」といったら、もう立派な地域の政治家じゃないか。
昨日、ユキホと話し合って、今後のための覚悟を決めたつもりではあった。
あったのだが、いざこうして生々しい権力者の役職で呼ばれると、やはり違和感と拒絶感がすごい。
「あはは……。岩松さん、それより、こういった酷い天気の日の作業って、普段はどうしてます?」
「うーん。まぁ、その日によるって感じかな。できそうならやるし、無理そうならやらない。いずれにしてもさ、今は平太がここの責任者なんだから、そこらへんの判断は平太次第なんじゃないか?」
(よし、決まりだ。今日はお休みにしよう。解散! 今すぐ布団に潜って二度寝すべし!)
俺が「じゃあ今日は休みで――」と口を開きかけた、その時だった。
岩松が、少し怪訝そうな顔で橋の方を見た。
「そういや平太。この橋を渡ってきた時、何かおかしくなかったか?」
「えっ? いや……ただ単純に、川の音が凄くてちょっと怖いなってだけで、特に何も……」
「そうか? なんか軋み方が妙にひどいっていうか……。とにかく、なんだか様子がおかしいんで、責任者の平太にちょいと確認して欲しいんだが」
そんなことを言われても、俺が見たところで何かできるわけがない。
大工仕事の見習い以下の作業しかしてこなかった俺に、不具合の理由なんて分かりもしないだろう。
だが、岩松に促されるまま、俺は再び、あの不気味に揺れる橋の中間あたりまで戻った。
雨は相変わらず容赦なく降り注ぎ、眼下の水の勢いも相当なものだ。
これだけの凄まじい水量にぶつかられていれば、多少は軋みもするだろう。
やっぱり問題ないんじゃないか、そう思って振り返ろうとした時、岩松が身を乗りだし、橋桁のとある部分を指差した。
「あの辺りが怪しいんだよ。ほら、あの結合部分。なんか、今にも外れそうっていうか、浮いてるように見えねえか?」
「え、どこですか?」
俺は岩松が指を差した方向を確かめるため、恐る恐る橋の端へと歩み寄り、下を覗き込んだ。
この橋は手すりなどの安全装置が全くない。
高所恐怖症の気がある俺としては、端に近づくだけで膝のあたりに冷たいものが駆け抜ける。
「ふーん……」
(ていうか、マジで怖いな……吸い込まれそうだ……)
生唾を飲み込み、視線を凝らした――その瞬間だった。
――ドンッ!!!
背中に、何かとてつもない質量のものがぶつかってきた。
「え――」
重力から解放される、嫌な浮遊感。
世界が不自然な角度で回転し、雨を降らせる灰色の空が視界の彼方へと遠ざかっていく。
俺はなす術もなく、咆哮を上げる褐色の濁流に向かって、真っ逆さまに落下した。
ドブォォォンッ!!!
あわわわわわわ!!!
息ができない。
死ぬ、死ぬ、マジで死ぬ!!
強烈な水の圧力に手足の自由を奪われ、身動きすることすらできない。
息を吸おうにも、口を開ければ容赦なく泥水が肺へと流れ込んでくる。
やがて濁流に飲み込まれ、上下左右の感覚が完全に消失した。
(嘘だろ……。なんで――)
ぐるぐると回転する意識の中、ただただ死への恐怖だけが脳内を支配する。
そして。
ガツンッ!!!
何かに全身を強く打ち付けられたような、凄まじい衝撃と激痛が走り――
俺の意識は、真っ暗な奈落の底へと沈んでいった。




