第39話 愛らしい笑顔と至高の重みを守るために
泥まみれの桃源郷と筋肉の狂宴が幕を閉じ、怒涛の一日がようやく終わった。
俺は権左衛門から言い渡された「任せたぞ」というワードを、頭の中でグルグルと回しながら、我が愛しのマイルーム(隙間風が容赦なく吹き抜けるボロ納屋)へと戻ってきた。
引き戸を開けると、そこには先客がいた。
薄暗い納屋の莚の上にちょこんと鎮座し、至福の表情を浮かべているのは、我が相棒にして俺をこの世界に引っ張り込んだ張本人――ユキホだ。
しかも、彼女の前には「至高の苺ショート」の空きトレイが一つ。
さらに「バニラアイス」の空きカップが二つ。
その上、手には「翼を授けてくれる」でお馴染みのエナジードリンクの缶がしっかりと握られている。
……いや、ちょっと待て。
今朝、あれほど「炭酸を飲みたくない気分」だの「糖分の摂りすぎは毒」だの、殊勝な『ふっくら脱却』の言い訳を並べ立てていたのは一体どこのどなただっただろうか。
現代のジャンクフードフルコースを一人でコンプリートしてやがる。
「あのさ、ユキホ……。流石に糖分を過剰摂取しすぎじゃないか? 君の健康が、色々な意味(ふっくらも含む)でリアルに心配になってきたんだけど」
俺がジト目を向けると、ユキホはエナドリの缶を口から離し、フンと可愛らしく鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「なによ。今日はたくさん頭も体も使ったんだから、これくらいのご褒美は当然でしょ。それに、これは明日への活力よ、活力!」
相変わらずの堂々たる開き直りである。
しかし、不満げに尖らせた唇や、ジャンクフードの贅沢なカロリーによって程よくモチモチ感を増した彼女の白い頬を眺めていると、
(まぁ、可愛いからオールオッケーか……)
と、脳内の紳士協定が秒で結ばれてしまうのが、俺の本当に弱いところだ。
俺は諦めてあぐらをかき、彼女と向き合うと、本題を切り出すことにした。
「それはそうとさ、ユキホ。ちょっと真面目な相談があるんだ」
「相談? なぁに?」
ユキホはシステム内のインベントリから、事もなげに追加のコンビニケーキを取り出しながら小首をかしげた。
……おいおい、まだ食うのか。
「川向こうの開墾地について、権左衛門さんから『お前がやつらをまとめる責任者だ』的なことを言われちゃったんだけど、どう思う?」
「なによ、そんなこと。もともと平太があのエリアの責任者として動いてたじゃない。今までと何が違うのよ?」
ユキホは手慣れた手つきでパッケージを剥がしながら、不思議そうに聞いてくる。
「いやあ……単に土地を開墾するってだけならなんだけどさ。これからは本格的な農業をしていかなきゃならないじゃん。しかも、そこに朝秀さんたちが作る『自警団』の運営まで絡んでくると思うと、流石に荷が重いというか……」
「いいじゃない、別に。もう『人手が足りない』って訳じゃないんでしょ? 朝秀さんが山ほど仲間を連れてきてくれるんだから」
「まあ、そうなんだけどさ……」
俺は肩をすくめてため息をついた。
俺は現代社会でも、責任あるポジションや出世競争から全力で逃げ回ってきた、自他ともに認めるサボりのプロなのだ。
そんな俺が、一組織のリーダーとして君臨するなど、分不相応も甚だしい。
そもそも、俺は人の上に立つようなガラじゃないのだ。
「そもそもさ、俺たちの最終目的って『信濃国を救うこと』じゃん。いい加減それに向けて、目先のタスクにある『駿河国との友好関係を築け』をクリアする方法を模索すべきだと思うんだけど。こんなところで村おこしをやってる場合なのかなって」
俺がそう投げかけると、ユキホはケーキを口に運ぼうとしていた手をピタリと止めた。
そして、ゆっくりと顔を上げ、冷ややかな――それこそゴミ捨て場の不用品を見るかのような冷徹な瞳で俺をジッと睨みつけてきた。
「あなた、本当にバカね」
(ぐふっ! バカはやめて……)
「何言ってるのよ。国を救うって、平太と私、たった二人でやるつもり? 攻めてくる敵を、二人だけで追い払えるとでも思っているの?」
「あ……」
「人が必要になるに決まっているじゃない。国を守るためには、戦える『軍勢』が必要なのよ。それも、一朝一夕では作れない、強い絆で結ばれた強固な軍勢がね」
有無を言わせぬユキホの正論に、俺は言葉を完全に詰まらせた。
確かにそうだ。
俺が愛し、狂ったようにフォトスナップを買い漁っていたゲーム『戦国乙女☆プリンセス』でも、主人公は数々の戦国戦士たちを率い、大軍勢を組織して合戦に挑んでいた。
生身の俺が一人で戦場に飛び出したところで、一瞬で首を跳ねられて終わりである。
「ところで、朝秀さんのステータスは見たの?」
「え? いや、見てないけど……。ここ数日、そんな場合じゃなかったってのもあるし、なんか人のプライバシーを勝手に覗き見してる感じがしてさ。人間関係的に、ほら、フェアじゃないっていうか……」
俺がもごもごと現代人としてのコンプライアンス意識を言い訳にすると、ユキホは盛大に、本日二度目のため息をついた。
「何言ってるのよ……。この能力は、私たちが目的を達成するために、神様から与えられた『特別な力』なのよ。使用することに躊躇するだなんて、本当に意味がわからないわ。そんな甘いこと言ってる場合?」
「……言われてみれば、ごもっともだね。返す言葉もございません」
完全に相棒の言い分が正しすぎて、俺は素真面目に首をうなだれるしかなかった。
「いい? よく聞きなさい。朝秀さんの武力は『S』よ」
「……ぶっ、武力『S』!?」
あまりの衝撃に、俺は莚の上でひっくり返りそうになった。
どうりで下宿の力自慢である岩松たちを圧倒するわけだ。
元武士だし、動きからしてタダ者じゃないなとは薄々思ってたけど、まさかそこまでだったとは……。
『戦プリ』のシステムにおいて、【武力:S】といえば、合戦になれば敵陣を一人で縦横無尽に蹴散らし、文字通り一騎当千の活躍を見せる。
相当な課金を経ないと、めったなことでは獲得できない超激レアかつ最高峰キャラクターだ。
それが、今や俺のことを「主!」と呼び、一生仕える家臣になると涙ながらに誓ってくれている。
「平太が今までやってきたこと。私がこの世界に来る前も、来てからも、無駄なことなんて一つもなかったと思うわ。あなたはちゃんとやっているどころか、私の期待以上に動いてくれている。――私はね、平太のことを、すごく評価しているのよ」
ユキホはそう言うと、手に持っていたケーキのトレイを床に置き、トコトコとこちらへ歩み寄ってきた。
そして、あろうことか、あぐらをかいている俺の膝の上へと、ちょこんと腰を下ろしてきたのだ。
(なぬぅぅぅぅうううううっっ!? ご褒美!? これが巷で噂の、物理的デレ報酬なのかっ!?)
ズシッと膝に響く、現代ジャンクフードによって程よく増量された、ふっくらモチモチとした「至高の質量」。
さらに、少女特有の、胸がキュンと締め付けられるような甘い香りが鼻腔をダイレクトに突き抜け、ピンク色の桃源郷が一面に広がった。
「……ユキホさん、そのままで。いや、むしろ一生そこにいてください。お父さん、もう動けません」
「調子に乗るんじゃないわよ、バカ平太」
ジト目を向けられ軽く小突かれたが、そんなの痛くも痒くもない。
むしろそれもご褒美である。
しかし、ユキホの言う通りだ。
この国を、そして信濃国を救うためには、俺たちの戦いに賛同し、命を預けてくれる仲間を集めなければならない。
「駿河国との友好関係」を築くのだって、今の俺が一人で乗り込んだところで、怪しまれて門前払いを食らうのがオチだろう。
今後発生するだろうタスクを次々とクリアしていくためには、俺とユキホを担いでくれる、強固なコミュニティ――すなわち、戦国システムにおける「国」の土台を大きくしていくことが絶対に必要なのだ。
元の世界では人との深い関わりを避け、集団を率いることに強い拒否感を抱いて生きてきた。
さらに、自分が目立つこと、目立ちたいと思うことにすら、嫌悪感があった。
だけど――。
この膝の上で、少し照れくさそうにしながらも、俺を信じてくれている少女のためなら。
彼女の愛らしい笑顔と、このふっくらとした至高の重みを守るためなら。
俺は変わらないといけない。




