第30話 刀の柄に手をかける男と、チキる自称・京都の元医師
「父上! ユキホとカヨは私の友達よ! 怪しくなんかないわ!」
静まり返った小屋の中に、ツムギちゃんの叫び声が響き渡った。
その言葉が効いたのか、少しだけ冷静さを取り戻したように、男は刀の柄からゆっくりと手を外した。
そして、改めて訝しげな視線で俺たちを見回す。
「お前ら……この国の人間ではないな?」
男はボソリと呟くと、警戒は解かないものの、ひとまず志乃さんの横へと腰を下ろした。
そんな張り詰めた空気を察して、志乃さんが慌てて男の袖を引いた。
「あなた、おやめなさい。この方はお医者さんよ。今、織之助を診ていただいていたの」
「医師、だと……?」
男は驚いたように目を見張り、志乃さんに抱きかえられている織之助くんの顔を覗き込んだ。
さっきまで青白かった少年の顔には、明らかに血色が戻り、今は穏やかな寝息を立てて眠っている。
その劇的な変化を目にした瞬間――男は、床の土に勢いよく両手と額を擦りつけた。
「た、大変申し訳ないっ……!!」
あまりの急変振りに、今度は俺のほうが目を丸くする番だった。
「下の村の人間が、仕返しにきたのかと勘違いしてしまった……。 私、『大井朝秀』と申す。この家の家長だ。無礼の段、どうかお許しいただきたい!」
「いやいやいや! 頭を上げてください!」
俺は慌てて手を振った。
「私たちもいきなりで不躾でしたから……。私は『佐藤平太』と申します」
朝秀さんはゆっくりと顔を上げ、もう一度、愛息の安らかな寝顔を見つめた。
「それにしても、随分と顔色が良くなった……。佐藤殿、一体どのような治療を施されたのだ?」
「あー……まあ、ちょっとした特別な栄養剤を投与した、と言いますか……」
まさか「冷たくて甘いバニラアイスを食わせました」とは言えず、俺はなんとも曖昧な笑みで誤魔化す。
すると、朝秀さんは急に申し訳なさそうな、ひどく恐縮した表情を浮かべた。
「あの……その、お代はいかほどに……。大変お恥ずかしい話だが、今の我が家には持ち合わせがほとんどなく……」
「いやいや! お代なんて結構ですよ! こちらとしても、特に元手(お金)がかかっているわけじゃありませんから」
「いや、しかし、そのようなわけには……」
「父上ー!」
押し問答になりかけたその時、ツムギちゃんが小さな腕で茶色いモコモコをぎゅっと抱きしめながら嬉しそうに駆け寄ってきた。
「これ、ユキホとカヨにもらったの! すっごく可愛いでしょー!」
「な……ツムギ、お前、そんなものまで……」
朝秀さんは息を呑み、志乃さんと顔を見合わせる。
この時代には存在しない、極上の手触りのぬいぐるみを前に、二人は完全に硬直してしまっている。
「あはは、いいんですよ。まあ、なんと言いますか――『在庫一掃セール』みたいなものですから。お気になさらず」
俺が苦笑いしながら言うと、朝秀さんと志乃さんは、言葉もないといった様子で、改めて深々と頭を下げた。
◇
「――して、佐藤殿。失礼ながら、一体このような山奥に何の御用で?」
朝秀さんはさっきまでの恐縮しきった顔から一転、真剣な、どこか値踏みするような目を俺に向けてきた。
「まあ、その……あの子たちとちょっと『宝探し』をしていたら、いつの間にか道に迷って、ここに辿り着いてしまったというか……」
嘘は言っていない。
ただ、自分の特殊な状況をありのまま説明したとしても、納得してもらえはしないだろう。
俺は話を逸らすように、逆に質問を投げかけてみた。
「あの、朝秀さんたちこそ――どうしてこんな山奥で暮らしているんですか?」
俺の問いに、朝秀さんは少し痛ましげに目を伏せ、ぽつりぽつりと身の上を語り始めた。
彼ら家族は、もともとここよりもかなり東の地域に住んでいたという。
しかしある時、かねてより折り合いの悪かった隣の集落から突如として夜襲を受け、村の大半を焼き払われてしまった。
彼らは命からがらその地を抜け出し、各地を転々とした挙句、たまたま見つけたこの小屋に身を寄せたらしい。
そして、この山中には自分たちと同じように、行き場を失った境遇の人間が何人か潜んでいるのだと。
(なるほどな……。焼き討ちってリアルにあるんだな……)
って、よく考えたら、俺自身も「村を焼かれて流れ着いた」っていう建前で上宿に置いてもらっているんだった。他人事じゃない。
ふと、俺はさっき朝秀さんが口にした、一つの不穏な言葉を思い出した。
「あの……。さっき言っていた『仕返し』って、どういう意味ですか?」
俺が尋ねると、朝秀さんは、酷く言いづらそうに視線を彷徨わせた。
「……俺たちは流れ者だ。耕せる畑もなければ、生計を立てる仕事もない。そんな中で、飢えた家族を生かしていくためには、どうしても……」
「あっ。いいです、それ以上は言わなくても大丈夫です」
そこまで聞けば、すべてを察することができた。
先日の宴の席での話を思い出す。
『最近、山から野盗が降りてきて小競り合いが多発してるんだ。お前なんて、もし奴らが来たら一発で身ぐるみ剥がされるぞ! ガハハ!』
その野盗は、山を越えようとする旅人や行商人を襲うこともあるらしい、とも言っていた。
今のところ死者などの重大な被害は出ていないが、近いうちに退治しに行かなければならない。
橋の復旧が終わって村に体力が戻れば、一気に山狩りだ――そんな話をしていたのだ。
なるほど。目の前にいるこの男こそが、村人たちの言う「野盗」の正体だったわけだ。
「俺たちだって……好き好んでこんな真似をしているわけではないんだ。ここには、守るべき家族を抱えている者が多い。生きていくためには、こうするしか……」
苦渋に満ちた朝秀さんの言葉に、俺は小さく息を吐いた。
「仕方ないですよね。……実は俺も、村を焼かれて流れ着いてきた身なんです。だから、追い詰められた時の気持ちは、よく分かります」
あ、また調子のいい嘘を重ねてしまった。
その時、俺の背後から、一切の淀みのない明るい声が響いた。
「だったら、私たちで助けてあげましょうよ!」




