3-13
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通信機という便利なものも、魔力のないダニアには使えないものとなってしまった。前世で電気の送信ができなくなってもスマホの充電ができるようにと、予備のバッテリーや手回し充電器を持ち歩いていたことを思い出す。どんな便利な道具であっても、使えなければ存在しないのと同じなのだということを、ダニアは痛切に理解させられていた。
ロンはアルテューマ騎士団の副団長として、人々の誘導や災害への備えに奔走するだろう。王都の中は既にスコルに制圧されているのと同じ。そして、いつ、王族やスコルの命令一つで殺されるか分からない状況なのだ。こんな状態の王都に入れば、ロンとて無傷というわけにはいかないだろう。
だから、さようならと言ったのだ。
ダニアはそっとイヤーカフに触れた。何とか魔術師たちと接触したいが、今日、この部屋に戻ることだって、見張り付きだから許されたのだ。
小声だったから外にいる見張りの騎士に聞こえていないといいのだけれど。
「おい、まだか」
見張りの騎士から声を掛けられる。
「直ぐに出ます」
ダニアは部屋の中にあった着替えとレシピノートと手持ちの香辛料を箱に詰め込むと、廊下に出た。
「お待たせしました。数日空けてしまいましたので、食材が傷んでいないか見ておりまして」
手に持ったローズマリーの挿し芽の鉢を見た騎士が、思わずといった様子でつぶやいた。
「ローズマリーか? 昔、母が料理に使っていた」
「お母様が? そうですか。お料理が好きな方だったんですね」
「そうだな。あのすっとする香りが好きだった」
「ええ、とってもいい香りですよね」
騎士に見張られるようにして騎士の前をダニアは歩いた。
「なあ、どうして自分はこんな所を歩いているのか、分かるか?」
突然後ろから困惑したような声が聞こえて、ダニアは怪訝に思って後ろを振り返った。
「私の見張りをなさっていたのでは?」
「君は誰だ?」
「ダニアですが」
「ダニア? 知らない……」
困惑しきった顔がそこにあった。
まさか、ローズマリーの香りで昔の記憶を思い出し、洗脳が解けたのだろうか?
ダニアは騎士の鼻先にローズマリーの鉢を突き出した。
「ローズマリーの香り、お好きなんですよね? しっかり嗅いでください!」
鼻先に突き付けられたローズマリーの葉。嗅ごうとしなくても、香りが強いこともあって強制的に香気を吸ってしまう。
「う……何なんだ?」
「騎士様、あなたはスコルの魔術師たちに洗脳されていたんです。王族も、近衛も中央の騎士団も、みんな洗脳されてしまいました。魔術師たちはそんなあなた方に閉じ込められています」
「何だって!」
「ですが、それに気づいている騎士は、騎士様だけです。ですから、どうか、何も知らなかったことにしてください。そして、魔術師たちを王都の外に出してください。このままでは王都ごと、火山の噴火に巻きこまれます」
「陛下たちはご存じなのか?」
「信用してくださらなかったようです。私は一人でも多くの人を助けたい。魔術師たちはその手伝いをしてくれます。ですから、どうか」
「君は確か、転生者だと判定された子ではなかったか?」
「はい。魔術師棟に行儀見習いで参りましたが、任期を終えたのに今は王族専用の厨房で無理矢理働かされています。私のことはいいから、お願いします」
「まだ君の言うことを信じたわけではない。2~3日調べさせてもらい、君にもう一度接触する。いいね」
「騎士様、どうかローズマリーをお持ちください」
ダニアは挿し芽の先端数センチを切って、ハンカチに包んだ。
「頭がボーッとすると思ったら、嗅いでください。きっと洗脳に打ち勝てるはずです。必要なら取りに来ていただければ」
「ああ、ありがとう」
「騎士様のお名前は?」
「ライだ」
「ライ様、どうかお願いします」
「確約はできないが、騎士として取るべき道を取ると約束しよう」
王族専用の使用人たちの寮に着くと、ダニアはお辞儀をした。
「おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
ライがうまく動いてくれれば、魔術師たちを解放できるかもしれない。
心臓がドキドキする。
夜空を見上げると、ちょうど月が雲に隠れてしまった。
ダニアはカーテンを閉めると、着替えもせずに毛布にくるまった。ロンに別れを告げた痛みと、何かが動き出した不安で、その夜、ダニアは一睡もできなかった。
「地方の騎士団が束になって王都に攻め込んでくる」
そんな噂が王都に入るや否や、王都の民や日和見の貴族たちは我先にと王都から逃げ出し始めた。ダニアの後見である宮中伯は王都にとどまろうとしたが、ダニアからの手紙で王都から脱出することにした。
「必ず逃げてください。そして、逃げる先は王都から徒歩で5日以上離れた所にしてください。アルテューマなら大丈夫だと思いますので、子爵家に逃れてはどうでしょうか。できるだけこの情報を他の人にも知らせてください。それから、大切なものは全て持ち出してください。この王都は、いずれ火山の噴火に巻きこまれてなくなるのですから」
ダニアからの手紙には、宮中伯が王宮で聞いたこともない情報が含まれていた。スコルの通信機のような得体の知れないものを拒否した者は、ダニアの後見の宮中伯の他には1人2人を数えるばかりである。部下たちがどんどんおかしくなっていくのを止める事もできず、かといって出仕をやめればさらにおかしな状況になると無理矢理出仕していたが、ダニアの手紙で覚悟ができた。
だが、ダニアはどうするのだ?
宮中伯は、契約期間が終わったのに戻されないダニアを何とか取り戻そうと考えた。魔術師棟の入り口に立つ騎士にダニアを出すよう命じたが、騎士はダニアは王族専用の厨房に異動になったからいないと言った。
やられた。
宮中伯は家に帰るのが怖くなった。ダニアを気に入った伯爵夫人が、ダニアを置いて王都から脱出するなどと聞けば、狂乱するに決まっているからだ。
だが、ライという騎士は、できるだけ早く逃げるようにと言っていた。彼は洗脳から逃れられた希有な騎士のようだった。ダニアへの手紙を託そうとしたが、ライは「自分が洗脳から解けたことを周りに気づかれるとまずいので」と言って、そのまま去ってしまった。確かにライは、部下たちのようなおかしな目をしていなかった。
「ダニア、できるだけ早くお前も逃げ出せ」
周りの人間に聞こえないほどの小さな声で王宮の尖塔に向かってつぶやくと、宮中伯は王宮を出た。そして、王都を脱出した。伯爵夫人がキイキイ言うと思ったが、黙って支度をして付いてきた。従僕一人に、ソフィアのいる子爵家に手紙を運ばせた。
まずは子爵家に落ち着き、そこから住む場所も探さねば。
宮中伯は王都を囲む山の峰から、もう一度だけ王都を振り返った。うっすらと白い靄がかかって見える。地熱で温められた水蒸気が立ちこめているということなど、宮中伯にはわからない。ただ、この先の見通しが王都では立たないのだと言うことを、無理矢理実感させられたような気がした。
ここに残ったらこの世と別れる日もそう遠くないということだけは覚悟した。
王都に残っているのは、洗脳されてしまった人々と王族、スコルの魔術師たちと『ハティ』の残党、そして魔術師棟に捕らわれたクラウデンの魔術師たちだけとなった。ライはまだ魔術師たちを解放できていない。王宮の使用人は、人質なのか、そもそも人として見られていないのか。
ダニアは継続して王族のための食事を作っている。気がつけば料理人はダニアを含めて3人しかいなくなっていた。他の人は逃げ出したのだろうか。
無事に逃げ出せていればいいのだけれど。
ダニアは数日とは言え、一緒に働いた料理人やメイドたちが無事かどうか、心配だ。魔術師棟のように騎士たちが見張っているわけではないので、逃げようと思えば逃げられるのだろう。それでも、ダニアは「お勤めが終わった」と認められるまでは勝手に王宮を出ることが許されない。宮中伯一家やソフィアの実家の子爵家に迷惑を掛けたくはなかった。
宮中伯様たちも、無事に王都から脱出なさったのかしら。
ここ数日、地震が増えた。スコルの魔術師たちが人工地震を起こそうとしているのか、自然発生の火山性地震が群発しているのかは、今のダニアには分からない。地方の騎士団が立ち上がったというのなら、王都が戦場になるだろう。王宮はまさに殺し合いの場となるはずだ。
災害死か、戦争に巻きこまれての死か。
その日の朝食は他の人が担当だったため、朝食の片付けを手伝おうと早めに厨房に入ったダニアは、ふわりとブイヨンが香るのに気づいた。
材料が揃わず昨日でブイヨンは切らしたはずなのに。
不審に思って大鍋を覗き込むと、確かにブイヨンの材料が入っており、ことことと弱火で煮込まれている。
誰がブイヨンを……?
外のゴミ箱に繋がる扉が開いた。
「え?」
「あ、久しぶりだな」
ベサール魔術師長が騎士たちに軟禁された日に逃がした、魔術師棟の料理長だ。
「ここの料理長は同期採用でな。最後までここにいようとしたんだが、小さい子どもが5人もいるんだ。奥さん一人で連れて逃げることもできずにどうしようって困っていたから、まだ王都にいた自分が交代したんだ。それにしても、ダニアがブイヨン切らすなんてと思ったが材料がなかったんだな。香味野菜とブーケガルニに使えるハーブを少し持ってきたから、それで勝手にブイヨンを作り始めていたよ」
「あ、あの、ありがとうございます」
「自分は独り身だし、母親は一人暮らしだがヴァストークにいるから問題ない。勝手に異動したって叱られるかもしれないが、料理長クラスの人間がいないと困るだろうと思ってな」
本当はダニアのことが心配だったからだ。頑張るダニアの姿を父親のような気持ちで見ていた魔術師棟の料理長は、なんとかダニアを逃がしてやりたいと考えていた。
「2、3日中に地方の騎士団が攻め込んでくるって噂が王都の民の間に広がって、みんな脱出している。アルテューマ騎士団はきっとダニアの救出に来るだろうから、そこまでやれることをやろう。魔術師棟の食事はどうなっているか分からないが、あいつらは寮に閉じこもっているようだし、魔術式を使えば王都の外へ行くくらいの転移はできるはずだから、食糧もどこかで調達していると信じたいが」
「え? 転移できるんですか?」
「ああ、スコルやハティの連中みたいに魔力で飛ぶわけじゃないから、高魔力の連中のようには遠くに行けないが、魔術式を何枚か使えば国も出られるって聞いたことがあるぞ」
「どうしてみんな逃げないのかしら」
「考えがあるんだろう。まあ、転移防止の魔法っていうのがあるのかどうか自分は知らないが、そういうものが掛けられていたら出られないだろうしなあ」
最初にあった時は怖いと思っていたクラウデンの魔術師たちは、数日一緒に過ごせば愛すべき変人たちだったと知った。彼ら・彼女らには無事でいてほしい。そして、この国でただ穏やかに毎日を過ごそうとするほとんどの民を守ってほしい。
ダニアはブイヨンの様子を見ながら、今日の朝食の用意を始めた。新しい食材が納入されなくなり、新鮮な野菜が使えなくなった。あるのは厨房の裏の、小さな菜園で育っているものだけだ。
ほうれん草などの葉物はたくさん納入された時に茹でてカットして冷凍保存してある。解凍したほうれん草とカッテージチーズにまだ作りかけのブイヨンを少しだけ入れてミキサーにかける。ジェルバとメルからフードプロセッサーを改良しておいたと、監視役の騎士経由で届いたものだ。
ほうれん草のソースの味を見て、塩と胡椒で味を調える。早く傷む魚を先に消費しようと冷蔵庫を覗く。メカジキのような魚の切り身があったので、手前により分けて置いた。ほうれん草のソースがあれば、バターソテーした白身魚を美味しく食べられるだろう。
山のように保管された食材に、ふと、王族は食糧が入らなくなることを知っていたのだろうかという思いが過った。これまではただ溜め込んだだけで、廃棄の多さに閉口していたが、もし何らかの備えなのだとしたら?
金の瞳持ちには、能力がある。ロンは「弱点を見抜く」という力だった。王族にも瞳持ちがいると聞いている。彼らの能力とは何なのか。スコルの企みさえ、実は王族が利用しようとしているのだとしたら?
だがダニアはそれ以上考えることをやめた。考えたところで自分がその答えを知ることはないからだ。
そんなことより、昼食の準備よね。
ダニアはバゲットの準備を始めた。コンロの炭火はほのかに赤く、そして時々バチッとはぜながら、ブイヨンを加熱し続けていた。
読んでくださってありがとうございました。
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