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ダニアが目覚めたのは、窓のない病室のような部屋だった。
なぜ、私はここにいるの?ここはどこ?
体が重く、怠くてならない。腕を伸ばすのも一苦労だ。まるで重力が二倍三倍になったかのような重みに、ダニアはベッドの中で少し動いただけでも疲れ果ててしまった。
風が入ってくるということは、どこかに通気口があるのだろう。記憶を辿って、どうやらレックスに連れて来られたということだけは理解できた。
それと同時に、レックスに料理で人を幸せにすることを否定され、国と騎士団を弱体化させるためにその能力を使えと言われたことも思い出した。涙が出てきた。枕に顔を押し付けて、声が漏れぬように泣いた。自分を全否定された。お互いの気持ちを確かめ合っただけではあるが、大好きなロンを危険にさらした。ダニアの頭の中に、お前は偽善者だ、いや犯罪者だ、そういう声がさざ波のように引いては返して行く。止まることを知らぬその声に、ダニアの心が消耗していく。ダニアは諦めた。そのままダニアは再び眠りに落ちていった。
粗末な朝食を運んできたレックスは、眠っているダニアを見て起こそうか迷い、そっとダニアの頬に触れた。こんな荒っぽいやり方でダニアを連れてくるのは嫌だったが、指示の通りに動かねば計画が狂う。寸分の狂いなく緻密に計画された反乱計画は、どこかでほころびが生じれば瓦解しかねない。
頬を撫でる手が止まった。
「ダニア?」
レックスの手がダニアの両頬を慌てたように包む。冷たすぎる。いくら強めに換気を掛けた部屋だとは言え、これはおかしい。レックスの手が震えた。首筋、手首に触れるが、ぞっとするほどのその冷たさに、レックスは恐れおののいた。薬師であるレックスには医術の心得もある。脈を取ると、微弱な脈はかろうじて感じられたが、その間隔があまりにも長い。仮死状態と言ってもいいほどだ。レックスはダニアの枕がしとどに濡れているのに気づいた。目の周りも赤くなっている。
泣いたのか。
レックスは、ダニアのことが嫌いではない。むしろ、ダニアの明るさと優しさと料理の美味しさに、日々心を揺さぶられていた。だから、なんとかダニアを助けたい、あの笑顔をもう一度自分に向けてほしい、とレックスは心の底から思った。
人は極限状態にまで自分を責めると、興奮作用のある物質が体内で過剰供給される。そして、その過剰供給された物質を押さえるための別の物質を過剰供給してしまい、自律神経の働きまで止めてしまうというケースがごく稀に報告されている。いわゆる「死者と特別に仲が良かった人が連れて行かれる」というものだ。
ダニアがレックスの語ったどの話に反応してこうなってしまったのかは分からない。だが、ダニアが死んだらロンへの人質にはならないし、そもそもレックスはダニアに危害を加えるつもりはなかった・・・アルコ-ルに異常に弱くなる薬と睡眠薬は使ったが。そして、レックスはダニアがこのまま死んだら、自分が耐えられないということに気づいた。ロンを忌々しいと思う気持ちは、自分がダニアに好意を抱いていたから起こったものなのだと、今更ながら認めたのだ。
自分は何と言うことをしてしまったのか。好きな女性を泣かせて、仮死状態に・・・いや、このままでは死なせてしまう。だが、こんなシナリオは計画にはない。計画にないことをすれば、あの方は烈火のごとくに怒るだろう。下っ端のレックスなど、どうなるか分からない。レックスはダニアをそのままにはできなかった。
「ごめんね、本当にごめんね。」
レックスはベッドに乗り上がって、冷えていくダニアの上半身を抱き上げた。薬師として薬草や薬、医学の知識があるレックスだが、『ハティ』の血を受け継いだ結果、魔術師としての力も持っている。『ハティ』の血統検査とは、魔力の有無を調べるもの。魔力があるのは『ハティ』の血を持つものだけなのだ。自分と離れられない形でダニアの魂を肉体に結びつけることもできる。その方が、レックスに都合がいい。だが、レックスはその考えを振り払った。
「いつかあんたが僕を選んでくれる日が来ることを願っている。」
ダニアの前髪を払いのけると、レックスはそっとその額の中心にキスをした。ふわっとダニアの額に徴が現れ、光ながら体内に沈み込んでいく。体内の異常箇所を調整し、本来の体の働きに戻す。「調整」と呼ばれるその魔術は、今や『ハティ』でもできる人が少ない医療魔術の一つだ。やがてダニアの体から、ほんのりとした熱を感じられるようになってきた。ああよかった、これでダニアは死なずに済む。呼吸と脈が落ち着いてきたのを確認すると、レックスは食事をそのままテーブルの上に置き、持ってきていた布をかぶせた。
「お休み、ダニア。目が覚めたら働かされるから、今だけでもゆっくり眠っていて。」
もう一度、そっと額にキスをしてから、レックスは静かに部屋を出た。そのレックスの後ろ姿を監視する者がいたことを、レックスは知らない。
・・・・・・・・・・
アルテューマ騎士団近くの民家で発生した火事は、延焼せずに無事に鎮火した。けが人も死者もいなくて良かったね、という民の声に反して、騎士団の面々は厳しい顔をしていた。
人が最近まで・・・いや、直前まで住んでいた形跡がある。だが、ここは空き家だったはずだ。それに、とりあえず寝泊まりしていたというだけで、きちんとした生活感があるわけでもない。妙に片付けられている。そして、リビングのテーブルの上には、何かの燃えかすが残っていた。質の良い紙が使われていたようで、庶民が気安く購入するようなものではない。それは厚みなどからも判断できる。更に、鍵が掛けられた火の気がない室内なのに出火したことも、騎士団員たちは不審に思っていた。
紙は・・・燃やされたのか?誰に?どうやって?
納得いかないことはとことん調べるのがエヴァンのやり方だ。調査班に回されたエヴァンは違和感を全て紙にメモしていった。そして、それを頭の中で組み立てていく。
なかなかパズルのピースがはまっていかないことにイライラし、一度外の空気を吸いに外に出た。家の周りを一周して、外の様子を見た。屋根に何か光るものを見つけて、するすると屋根に登ると、その光るものに近づいた。曇り空には月は出ていない。それなのに光っている。何だろうとそれを手に取ろうとして、エヴァンはビリビリと強いしびれに襲われた。思わずそれを落としたエヴァンは、慌てて地面におりてその小さなものをハンカチでつまんだ。今度はビリビリしない。室内に戻り、ランプの下でそれを見たエヴァンは、嘘だろ、とつぶやいた。周りの騎士たちがエヴァンの様子がおかしいのに気づき、声を掛ける。そして、エヴァンが青い顔をして見ているものを見て、同様に青くなった。
「急いで騎士団に戻り、団長に報告しろ!」
エヴァンが見つけた小さなバッジには、月狼の紋章が描かれていた。バッジを握りしめて団長室に飛び込んだエヴァンは、青い顔をしたアレクサンダー団長を見つけた。
「ダニアがいなくなった。体調不良で、医務部のレックスを送りに付けたそうなんだが、2人が使っていたと思われるランプが寮への道の途中に落ちていた。犬に先を追わせたが、全く追えない。」
「団長、もしかしたら、火事はダニアを誘拐するための陽動だったかもしれません。」
「どういうことだ?」
「レックスは最近アルテューマ騎士団に入団しましたが、それ以前は隣国にいました。入団後しばらくしてから行う追跡調査中に、レックスの戸籍が作られたのは最近だということが分かったんです。また、どうしてかは分かりませんが、副団長のことを妙に知りたがっていたと医務部から報告が上がっています。それから、火事の現場からこれが見つかりました。」
アレクサンダー団長は、ハンカチに包まれたバッジを見た。
「レックスは被害者ではなく、スパイであったと考えるのが適当かと。」
「そういうことか・・・。」
「副団長にも関係がありそうです。知らせましょう。」
「いや、あいつも今、命がけで戦っているはずだ。知らせるのは・・・。」
「ならば俺が行きます。副団長に頼まれていたのに、ダニアを守れなかった。このままでは俺は副団長にどんな目に遭わされるか分かりません。ダニアの護衛をすると約束したのは俺ですから。」
「・・・分かった。行け。」
「はい。」
触れれば拒絶を示す月狼のバッジ。それは、ここ最近怪しい動きを見せていた隣国の地下組織のものだ。その組織の実態は明らかになっていないが、1000年前にこの国の始祖によって滅ぼされた魔術師国家「ハティ」に関係するものであることが分かっている。『ハティ』の血を受け継ぐ者は、魔力を持っている。その魔力で魔力を持たない人々を虐げ、搾取してきたのが「ハティ」という国だった。始祖シグルズは魔力を持たない普通の人間であった。だが、シグルズはあらゆる武芸を治め、軍師としても活躍できるだけの武人として力を身につけた。そして現れたファフニールを神剣グラムで服従させると、ファフニールを使役して魔術師たちを次々に襲い、魔法を持たない人々を解放したのだった。それが、1000年前に起きたことである。
魔法を持たない人々にとっては解放の英雄とされるシグルズだが、『ハティ』たちからすれば自分たちを攻め滅ぼした憎き敵だ。彼らは「金の瞳」のことを知り、その殲滅に動いている可能性があった。王族と同等に「瞳持ち」が狙われるとすれば、ロンは殲滅対象だろう。ロンはこの国一番の剣の遣い手である。その姿は始祖シグルズを彷彿とさせ、王族よりも王族らしいと言われるほどである。アレクサンダー団長は、エヴァンにロンが「瞳持ち」であることを知らせてはいない。エヴァンの知らせを聞けば、ダニアのことに怒ると共に、自分の身にも危険が迫っていることに気づくはずだ。
アレクサンダー団長は、決裁済みの書類を手に取った。申請者の名前をそっとなぞる。
ダニア、無事でいてくれ。
アレクサンダー団長の願いは、冬の深夜の白い息に溶けていった。
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