第92話 バベルの城
エデン帝国皇帝との謁見を終えたペッキア子爵は、急ぎギナンの街の宿へと戻ると従者に命じた。
「部屋の前で警護についてください。私が呼ぶまで部屋には誰も入れないように」
従者は頷くと、部屋の扉の横にすっと立った。
ペッキア子爵は部屋に入ると椅子に腰を降ろし目を閉じた。
わずかな沈黙の後、彼の口から重々しい音色の呪文が紡ぎ出され始めた。
いつまでも続くかと思われた長い呪文の詠唱は不意に止んだ。
(教皇様、ガルヴァーニ教皇様。私です。ペッキアです)
ペッキア子爵の脳裏に、優しそうな顔の白髪の老人の姿が浮かびあがった。
セントース聖王国の最高指導者である教皇ガルヴァーニである。
(おお、賢者ペッキア。念話で連絡とは緊急の用件かな?)
(ガルヴァーニ教皇様。つい先ほどエデン帝国の皇帝と謁見しました。親書を手渡し外交使節団の受け入れは承諾させたのですが……)
(あなたが言い淀むとは珍しい。いったい何がありました?)
(エデン帝国の皇帝タツヤ。彼は危険です。私の勘が正しければ、たぶん彼は……)
ペッキア子爵は皇帝から感じた恐ろしく強大な魔力について、ガルヴァーニ教皇に仔細に伝えた。
彼らが使っている念話は言葉だけでなく、強い感情をも相手に伝えてしまう特性がある。
そのためガルヴァーニ教皇にはペッキア子爵の抱いている恐怖がはっきりと伝わっていた。
(分かりました。枢機卿を招集してエデン帝国への対応を再検討する必要がありますね。賢者ペッキア、すぐに戻って来て下さい。あなたにも枢機卿会議に出席してもらいます)
(了解しました。直ちに帰還します。教皇様も慎重な対応をお願いします。私たちの懸念が帝国に漏れれば、どんな反応が返るか予想がつきません)
(まだ帝国を敵と決めつける訳にはいきません。外交使節団は予定通り派遣します。それで帝国と平和的な関係を構築できれば良し、駄目でも情報収集と時間稼ぎは出来るでしょう)
(了解しました)
ペッキア子爵は念話を切るとベッドに横になった。
国を跨ぐような長距離の念話は魔力を大量に消費する。
賢者と呼ばれ人一倍魔力量の多いペッキアと言えど、念話後の精神疲労は半端でない。
部屋の外で警護している従者に声を掛けた。
「すぐにセントース聖王国に戻ります。馬車の用意を」
「かしこまりました」
従者は馬車を用意するために出て行った。
ペッキア子爵はベッドに横になったまま思いを巡らせた。
(皇帝タツヤ。油断出来ない相手だ。本来はアルビナ王国とホルス王国に協力を求め三国で対処すべき事態だが、そのアルビナとホルスはエデン帝国に取り込まれてしまった。セントース聖王国が単独で奴に対抗…………は無理だな。無理だからこそ帝国と敵対しないよう、こうして友好関係を築きにやって来ている)
先ほど相まみえた皇帝の姿が蘇る。
暗い暗い果てしなく深い闇。思い出しただけで体が震えてくる。
(どうするペッキア? 賢者などと煽てられてはいても、私にはあの暗い闇を打ち破る力など無い。ここは大陸の他の国々に協力求めるべきか? いや、今の段階ではいくら帝国の脅威を訴えても相手にされないだろう。どうすればいい?)
賢者ペッキアの苦悩は続く。
◇◇◇
セントース聖王国。
全能神ルーンと十二の神々を崇めるルーン教を国教とした宗教国家である。
聖王国内は勿論、他国にも多数の教会を設立しルーン教の布教活動に力を入れている国だ。
セントースは聖王国を名乗ってはいるが、実際には聖王などという存在はいない。
国政は教会の最高権力者である教皇と十二人の枢機卿によって執り行われており、司祭や司教などの多数の聖職者が中央組織を支えている。
教会の聖職者は神により祝福を与えられし者、即ち回復魔法の使える者のみが就ける職であり、司祭や司教に昇格するには上位の回復魔法の習得が必須である。
医療技術の乏しいこの世界では教会は病院の役割も兼ねており、ルーン教の教会が大陸中に広まった大きな理由である。
そのセントース聖王国がエデン帝国に使者を派遣してきた。
膨大な魔力を秘めた使者、ペッキア子爵。彼はいったい何者なのか?
表向きは外交使節団の先触れの使者であるが、あれだけの魔力を隠し持つ男が只の使者などとは考え難い。
俺は子爵の帝都での行動を監視するよう配下の者に指示を出したのだが、子爵は謁見の後すぐに帝都を発ち帰国の途についてしまった。
偵察機を飛ばし子爵の馬車を上空から追尾させてはいるが、今のところ特に変わった動きは見せていない。
シャドウから俺のもとに、ペッキア子爵の調査結果の第一報が早々に届けられた。
レナート・ペッキア子爵。
セントース聖王国では司教を務める聖職者で、各国を飛び回る外交官としての役職を与えられている。
子爵を名乗っているが、セントース聖王国には本来貴族制度というものは無い。
だが外交官として他国に赴く聖職者は、相手国の貴族から軽んじられないよう大司教なら伯爵、司教なら子爵の身分を名乗る事を国に公認されている。
セントース聖王国で聖職者になるには、回復魔法の習得が必須である。
司教の聖職位を持つペッキアは中級までの回復魔法が使えるらしい。
さらには解毒や状態異常解除の魔法も習得済のようだ。
スキルの有無については不明である。
報告書には彼の持つ魔力量に関しては何も触れられていない。
あれだけの魔力量なら周囲の者が騒ぎ立てそうなものだが、誰もあの魔力量に気付いていないのか、それとも隠蔽工作でもしているのか、その辺りは判断が付かない。
これだけの材料では、ペッキア子爵が帝国の敵かどうかなど分からない。
更なる調査結果を待つ事にしよう。
◇◇◇
皇帝府の皇帝の執務室。俺はブラッド宰相から諸々の報告を受けていた。
「セントース聖王国の外交使節団の受け入れの件は、どういう話になっている?」
「帝国に来るのは二週間後です。使節団は随行員を含め四十名。帝都滞在中は旧ギナンの高級宿を借り上げ、そこを使節団の宿舎とする予定です。使節団の歓迎式典は皇帝府の大広間を改装して執り行います」
「それなんだがな、今後の事を見据えて謁見や外国使節の受け入れが出来る施設を作ろうと思うんだよ。こんなのどうかな」
俺はデスクの上を指し示した。
デスクの上に巨大な西洋風の城がホログラム投影された。
ブラッド宰相は初めて目にするホロ映像に、目を見開いて見ている。
「宰相には前に苦言を呈されたから、今回は見た目にもこだわって設計したんだ。外観は優雅な城だけど、中身はエデンの技術を詰め込んだハイテク城にする予定だ」
「陛下。ですからこういうのはもっと早くご相談下さいと申し上げたはずですが」
「だから今こうして相談してるじゃないか。前みたいに完成後にサプライズ披露したのは悪かったと反省してる。だから今回は素案段階での相談だ」
「城を作ろうと思った時点でご相談下さいと申し上げています」
うむむ、ブラッド宰相は随分おかんむりのようだ。
お怒りの原因は今俺たちがいるエデン皇帝府の建物にある。
帝都バベル内の整地された広大な土地の中央にポツリと建つエデン皇帝府。
この建物は機密上の理由から、建設作業員は一切使わずエデンの力だけで建設が進められた建物だ。
工事の開始と共に建設地の周囲を高い塀で覆い、バトルロイドの警備兵を巡回させ人を近付けさせないようにした。
その上で、カナン島から輸送機を使って大量の加工済資材や工作機を運び込み、昼夜を問わずに建設を進めたのだ。
その結果、極めて短期間で俺と大臣たちが執務を行うエデン皇帝府の建物が完成した。
皇帝府完成後にブラッド宰相や大臣たちを呼んでお披露目を行ったのだが、宰相たちは初めこそは立派な建物に驚いていたが、驚きが収まると徐々に渋い顔を見せ始めた。
「確かに大きく部屋数の多い使いやすそうな建物ですが、なぜこんな奇妙な形にしたのですか? 帝国を代表する建物としては格式に欠けます。こういった建物は使いやすければ良いという訳ではありません。見る者に帝国の力を知らしめるような威厳が必要なのです。作るなら作るで事前にご相談頂きたかったです」
自慢の作品をけなされ当初はムッとしたが、言われた事は確かに理にかなっており大いに反省させられた。
宰相に相談せず皇帝府の建設を進めたのには理由がある。
実はこの建物は某国の国防総省を模しており、上から見た時の形が五角形のリング状になっているのだ。この形には大きな意味があるのだが、その意味を悟られないようにするため、人を排除して建設したのだ。
だがブラッド宰相は、相談が無かったのは自分が信頼されていないためだと受け取ったようだ。
人が独りで出来る事には限界がある。人は独りでは生きて行けない。
それを知っているからこそ、俺はこうして人を大勢集めて組織作りに励んでいる。
そんな俺が組織の存在を無視し、独りで勝手に拠点作りを始めてしまった。
周囲の者が怒るのも無理はない。
俺はもう同じ過ちは繰り返さない。
だから今回はこうして城の素案が出来た時点で宰相に相談をしているのだ。
「まあ城の詳細は後で聞かせていただくとして、城を建てる事自体は賛成です。特に国庫に頼らず陛下がご自身の資産で建てるのであれば、反対する理由はありません。ですが外交使節団が来るのは二週間後ですよ。そんな短期間で本当に城が建つのですか?」
「準備期間は必要だけど実際の建設は一日あれば、……いや一晩だ。一晩あれば城は建つ!」
ブラッド宰相が奇妙な目付きで俺を見た。
その顔は雄弁に『何を言ってるんだこいつは?』と言っている。
「すまん、ちょっと見栄を張り過ぎた。さすがに完全な状態の城を建てるには日数が足りない。だけど城の外観と使節団に見せる部屋だけに注力すれば、準備に十日、建設は一晩で何とかなる」
「このエデン皇帝府の建物を一週間で建てた陛下のことですから、城も問題はないとは思いますが、絶対に十日以内でお願いしますよ。家具や装飾品を入れるにも日数が必要です。工期の遅れは厳禁ですよ」
こんなやり取りの末、バベル城建設計画は実行に移された。
そして計画開始から十日が過ぎた。
建設予定地は更地のままで、未だ建設機材も資材も置かれてはいない。
十日目の太陽が地平線の下へと沈み、やがて帝都は闇に包まれていった。
翌朝、俺と宰相は空がまだ暗いうちに、城の建設予定地にやって来た。
空がだんだんと明るさを増し、暗い闇が薄紫色に変わっていく。
俺たちの目の前に何かの巨大な影が浮かび上がってきた。
太陽が徐々に地平線から顔を出してきて周囲を照らす。
夜は明けた……。
「どうだ宰相。約束の城だ。……と言っても内部はまだ工事中の区画が多いけどな」
俺たちの目の前には巨大な城がそびえ立っていた。
エデン帝国の誇るバベル城だ。
ホルス王城や、今は無きアルビナ王城とは比較にならない程、荘厳な雰囲気の漂う立派な城である。
「昨日の夕刻には確かに何も無かったはずなのに……。本当に一晩で……。いえ、陛下を疑っていた訳ではないのですが……」
「構わんよ。俺以外の誰かが『一晩で城を建てて見せよう』なんて言ったら、俺はそいつを大法螺吹きだと思うよ。それが普通だ」
「素晴らしい。なんて素晴らしい城ですか。文句の付けようがありません。ですがどうやって建てたのですか? たった一晩で」
種を明かせば単純な話だ。バベルの城は海の向こうのカナン島で建設されたのだ。
カナン島でエデンの重機や工作機を総動員し二十四時間体制で建設を進め、城の構造体と最小限の内装が終わった時点で、浮遊石を使って空に浮かせたのだ。
後は空挺母艦アルバトロスを使って城を帝都バベルまで牽引し、夜のうちに建設予定地に降ろして固定しただけである。
エデンの辞書に不可能の文字など無いのである。
「城の中を見て回るといいよ。……まだ入れる区画は少ないがな」
城はまだ未完成で壁と屋根だけの区画も多い。工事中の区画は立ち入りが出来ないよう封鎖してあるから、外交使節団には未完成の城とは気付かれないだろう。もしばれたとしても特に問題がある訳でもない。
「後は謁見の間と大広間、それに宿泊区画と食堂に家具を入れて装飾を施こせば、外交使節団の受け入れは可能だ。厨房の調理器具はすぐに使えるようにしてあるから、料理長に使わせて慣れさせておいてくれ」
「かしこまりました」
俺はもう一度バベル城を見上げた。実に優雅で荘厳な城である。
この城はエデン皇帝府と同様、エデンの技術で作り上げたものだ。
そんな城や建物が単なる城や建物で終わるはずもなく、城にも皇帝府にも隠し機能が組み込まれている。
この隠し機能は帝都バベルに危機が迫った時に使うものである。
この機能が日の目を見る日が来ないことを祈るばかりだ。




