第76話 グレース平原
「国王陛下、大変です! ホルス軍の旗を掲げた軍勢がグレース平原を王都に向かって進軍中です。その数およそ五千!」
やはり国境の軍勢は囮だったようだ。ホルス軍の本隊はこいつに違いない。
伝令の報告にギルベルト王の参謀や側近たちが騒ぎ出した。
「グレース平原だと! 確かか?! グレース平原はホルス国境とは逆方向だ! 何でそんなところにホルス軍がいる!?」
ホルス王国はアルビナ王国の北に位置している。グレース平原は王都の南に位置する大平原であり、方角的には全く逆方向である。
「海路でどこか南方に上陸したのか?!」
「それはない! 船で五千もの兵を運べるはずがないだろ」
「では他国を経由してアルビナ王国の南側に回り込んだとでも言うのか?」
「我が国の南に出るには、セントース聖王国は避けて通れない。あの国が五千もの兵を黙って通過させるとは思えん」
「まさかセントース聖王国はホルス王国と手を結んだのか?!」
「そんな話は後だ! グレース平原と言うことは、王都まで早ければ一日でやって来るぞ! すぐに王都の守りを固めないと!」
「王都のほとんどの騎士団は国境に出払っているんだぞ。今王都にいるのは天馬騎士団と蒼鷹騎士団の二つだけだ。五千を相手にどう守りを固めろと」
立体地形図を見ていた参謀の一人がギルベルト王に言った。
「国王陛下、ホルス軍がグレース平原からまっすぐ王都に向かうとすれば、途中でシェルテの街を通るはずです。シェルテに援軍を出しますか?」
シェルテは城壁で囲まれた街である。街には守備隊が常駐しているが、五千の軍勢に襲われれば守りきれるものではない。城門を固く閉ざしても打ち破られるのは時間の問題だ。
ギルベルト王は顔を伏せて黙り込んでいたが、やがて震える声で言った。
「出せる援軍などない。シェルテには敵襲に備えて防備を固めるよう伝えろ」
王都を守る兵力さえ足りていない今の状況では、シェルテに回せる余力などあろうはずもない。
だがこの決断は事実上シェルテの街を見捨てるということを意味する。
王の苦しそうな表情を見て参謀たちが議論を始める。
「街の住人に避難を呼び掛けるか? 全員は無理だが女子供だけでも王都に収容したらどうだ?」
「間に合わん。避難途中にホルス軍に追い付かれたらそれこそ終わりだ。それにホルス軍の目的が王都なら、シェルテを無視して進む可能性もある。だとしたらシェルテに籠っている方が安全だ」
参謀の一人がギルベルト王の前に進み出て進言をした。
「陛下、国境に派遣した騎士団を呼び戻しましょう」
「呼び戻したとしても騎士団が王都まで戻ってくるのには何日も掛かる。とても間に合わん」
「ですが、このまま手をこまねいている訳にもいきません」
ギルベルト王が顔を上げて俺を見た。
だが彼はじっと俺を見るだけで口を開こうとしない。
「………………」
彼には『俺の手を借りずにホルス軍を追い払え』と言い渡してある。
安易に俺に助けを求めればアルビナ王国の存在意義を問われ、下手をするとアルビナ王国がエデン帝国に吸収される。
そのため自分から『助けて欲しい』とは言い出せないのだろう。
王を補佐する宰相がこの場にいれば、言葉を尽くして巧みに俺の支援を引き出そうとしていたはずだ。
だが王としての経験の浅いギルベルトには、少しばかり荷が重いようだ。
「ギルベルト。そんな顔をするな。ホルス軍が王都に迫ったら助けるって約束だったからな。ちょっと想定とは違うが手を貸そう」
「ありがとうございます。皇帝陛下」
「グレース平原に現れたというホルス軍は俺が対処する。騎士団の呼び戻しは不要だ。ギルベルトは国境の守りに専念してくれ」
ギルベルト王が頷いた。
グレース平原に現れたホルス軍の情報は伝書鳩によってもたらされたものだった。
通信筒に入れられた小さな手紙には詳細な内容までは記されていない。
「まずはそのホルス軍の詳細が知りたいな。といっても偵察機は国境から動かせないし……」
エデン帝国の保有する偵察機は、現在国境で活動中の試作偵察機一機のみである。
この試作偵察機はクラレンス商会の商隊が盗賊に襲われた際、襲撃をエデンに急報しテレーゼ救出に貢献した優秀な偵察機である。
だがこの時の運用で問題点が多く露呈したため量産は見送り、現在は全く新しいコンセプトの偵察機を設計している最中だ。
「仕方がない。グレース平原はサラマンダーに偵察させるか。……いや、俺も出よう。ホルス軍がどうやってアルビナ王国の奥深くに出現したのかが気になる」
俺は椅子から立ち上がるとギルベルト王に言った。
「ギルベルト、俺は今からグレース平原に向かう。この作戦指令室はこのまま使っていていいけど、これ以上勝手に入室者を増やすなよ」
「心得ています」
「それとライザーを貸してくれ。グレース平原に同行させたい」
ライザーはギルベルトの従兄弟で、王の叔父であるブリュン公爵の次男である。
以前、王子であったギルベルトを人質としてエデンに連れて行こうとした時、王子の世話役として無理やり人質に加わってきた忠臣者だ。
ライザーには通信用ブレスレットを渡してあり、ずっとエデンと王宮の間の連絡役をしてもらっている。そのため何かと会話を交わすことが多く、王宮の他の者達に比べて気楽に話が出来るため重宝しているのだ。
以前はけっこうツンツンした性格だったが、騎士見習いとして王宮勤めを始めてから、少し性格が丸くなったような気がする。
「ライザーですか? すぐに呼びましょう」
「いや、自分で呼び出すから大丈夫だ」
俺は腕のブレスレットを口元に寄せるとライザーを呼び出した。
「ライザー、今いいか?」
『はい、ライザーです。皇帝陛下、何か御用でしょうか?』
「ちょっと散歩に付き合え。ギルベルトにはちゃんと了承を得てる。すぐにこっちに来てくれ」
『了解いたしました。すぐに向かいます』
「それじゃあギルベルト、留守番頼むぞ。向こうで得た情報はすぐにここへ送るよ」
俺はギルベルト王に向かって軽く手を振りながら外に向かった。
外に出ると王宮の建物からこちらに走ってくるライザーの姿が見えた。
「皇帝陛下、お待たせしました。今日はどこに行かれるのですか?」
「ホルス軍がグレース平原に現れた。今から見に行くから一緒に来てくれ。ライザーはエデン帝国とアルビナ王国の橋渡し役だ。そろそろエデン帝国の力の一端を見せてやろうと思ってな」
「グレース平原? 国境とは逆方向ではないですか? なぜホルス軍がそんなところに?」
「それを確かめに行くんだよ。それじゃあ行こうか」
俺は腕を上げると空に向かって振り回す。
「へい! タクシー!」
そう言った直後、空から何かが落ちて来た。その何かは地面にぶつかる寸前で止まり、空中に浮いていた。
『いつもご利用ありがとうございます。安心、安全、丁寧がモットーの流星号タクシーでございます。……って何言わせるんだよ! マスター、俺はタクシーなんかじゃねーぜ!』
「その割にはノリノリだったじゃないか」
空から落ちて来たのは俺の相棒である人工知能搭載のエアカー、流星号だ。
俺の脇でライザーがポカンとした顔でこっちを見ている。
「ライザー、乗れよ。こいつはもう見た事あるだろ。俺の空飛ぶ乗り物だ」
「前にも飛んでるのを見た事はありますが、人と言葉を交わせるなんて知りませんでした」
「帝国には会話できる魔道具がたくさんある。今のうちに慣れておくといいぞ」
俺とライザーがシートに座ると流星号が尋ねた。
『お客さん、どちらまで?』
「何だよ。文句言った割にそれ気に入ってるんじゃないか」
『実を言うと、運転手っていう職業にちょっとだけ興味があったりする』
「じゃあ運転手さん、サラマンダーまで。なるべく急ぎで」
『ガッテンだ!』
「それタクシー運転手と違うだろ!」
流星号が俺たちを乗せて大空へと舞い上がる。
ライザーが目を丸くして遠ざかる地上の風景を見つめている。
「すげえ! ……じゃなかった、すごいですね皇帝陛下」
「ぷっ!」
「ひどいじゃないですか、陛下」
「もう人目は無いから好きに話していいぞ」
「……分かった。じゃあ遠慮なくそうさせてもらうよ」
「そうしてくれ。お前が丁寧な言葉を口にする度に笑いを堪えるのに必死なんだよ」
「いや、何か勘違いしてるようだけど、こっちが素って訳じゃないぞ。俺だって公爵家の人間だ。普段はちゃんとした話し方をしてるぞ」
「悪い悪い。ライザーは人前だと口調がまるで違うから、俺の中での違和感がすごいんだよ」
流星号がサラマンダーの待機する高度にまで到達した。
前方にサラマンダーの雄姿が見える。
「あれは何だ! あの馬鹿でかい船は!」
「今日の俺たちの足だ。これに乗ってグレース平原に向かう」
サラマンダーのハッチが開き、流星号が内部へと進入する。
俺たちは艦内の格納庫で流星号を降りると、サラマンダーの艦橋へと向かった。
艦橋に足を踏み入れたライザーは、周囲に設置された計器類や眼下に広がる地上の風景に目を見開いている。
「ライザー。これがエデン帝国の空中フリゲート艦サラマンダーだ。アルビナ王城を破壊したのはこいつだよ」
「……勝てないはずだよ。こんなの相手にして勝てるはずがない。空飛ぶ船なんて反則じゃないか。空から攻撃されたら反撃のしようが無い」
「ああ、そこは同感だな。自分でもずるいとは思うがこれが現実だよ。さて、そろそろ発進しようか。ケルビム、グレース平原に向け発進だ」
『了解しました。マスター』
サラマンダーの魔道エンジンが唸りを上げ始めた。
◇◇◇
『マスター、ホルス軍と思われる軍勢を発見しました。王都方向に進軍中です。情報通り五千近くいますね』
ケルビムはそう言うと、艦橋内のモニターにホルス軍の軍勢を映し出した。
甲冑に身を包んだ騎士の一団を先頭に、騎士や徒歩の兵士たちが続々と続いている。
五千もの大軍なので隊列はかなり長く伸びている。
ライザーが拡大されたホルス軍の映像を指差しながら言った。
「この騎士の持っている旗。間違いない、これはホルス王国の旗印だ」
「やっぱりこれがホルス軍の本隊だな。ケルビム。この軍勢がどこから来たか分かるか?」
『不明です。情報が不足しています』
「まあ、そうだろうな。しかし思っていたより進軍速度が遅いな」
「この隊列の後ろを見てくれ。やつら台車に乗せた破城槌を五台も引いてる。このせいで進軍速度が出ないんだ」
「そうみたいだな。こっちの荷馬車の集団は輜重部隊みたいだな。これを焼き払えば諦めて撤退してくれるかな?」
「それは駄目だ。どうやってここまで来たのか分からないけど、退路の無いアルビナ王国内で食料を焼き払えば、ホルス軍は散り散りになって野盗化する。そうなれば手に負えなくなる」
「それは確かにまずいな。叩くなら集まっているところを一気に潰せってことだな」
簡単に追い払えると思ったが、どうやら楽はさせてくれないようだ。
「ケルビム。ギルベルトに収集した情報を送ってやれ。向こうの参謀たちの意見も聞きたい」
『了解しました』
「陛下、どうやって五千のホルス軍を撃退するつもりなんだ?」
「サラマンダーで砲撃すればホルス軍を殲滅するのは簡単だけど、出来れば降伏させたいんだよね」
「そんな事出来るのか?」
「分からん」
俺はグレース平原の地形図に目をやり、現在のホルス軍の位置や平原の先にあるシェルテの街の位置を確かめた。
今の進軍速度ならホルス軍がシェルテの街に辿り着くまで、まだ時間の猶予はありそうだ。
「ケルビム。ホルス軍がどこから現れたか知りたい。軍勢の通った跡を辿ってくれ」
『了解しました』
五千もの軍勢が平原を進んでいるのだ。彼らの通った後には土や草が踏み固められてできた跡がくっきりと残っている。これを辿ればアルビナ王国への侵入ルートが判明するだろう。
『マスター。ホルス軍の通った痕跡がこの先の大きな森で消えています』
「どういうこと?」
『その森から出てきた痕跡はありますが、森に入った痕跡が見つかりません』
「ふーーーむ、分からんな。ホルス軍はどこからこの森にやって来たんだ?」
「陛下、森の近くに小さな街がある。森から五千もの軍勢が出て来たとなると、何だかとても嫌な予感がするんだけど……」
「そうだな。俺もだよ……。ケルビム、急いで街に向かってくれ」
『了解しました』
俺とライザーは艦橋のモニターに映し出された街の様子に言葉を失った。
街のいたる所に無残に斬り殺されたらしき住人たちの死体が転がっている。
男も女も、老人も子供も、そして赤子までもが……。




