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第6話 パトリック

 翌朝、まだ空が薄明るい早い時間に目が覚めた。

 目が覚めたらそこは自宅のベッドの上、という夢オチを期待したのだが、現実はそんなに甘くなかった。


 ベッドから体を起こし窓の外を見る。

 かなり早い時間で空はまだ薄暗いが、通りにはちらほらと荷物を抱えた人達が行き交っている。


 部屋の外からも何やら物音が響いている。住み込みの使用人たちも起き出して、店の準備やら朝食の準備やらに取り掛かっているようだ。


 庶民の活動時間は陽が昇ってから陽が沈むまでが基本だ。

 夜はロウソクやオイルランプを使うがどちらもタダではない。

 そのため街の人々は時間を無駄にしないよう、まだ暗いうちから一斉に動き出すらしい。


(ああ、家に連絡できないまま外泊しちゃったよ)


(俺がこのまま行方不明になったら娘は泣くかな? ……泣いてくれないと俺が泣いちゃうな……。鬼嫁は…………泣く訳ないか)


(そう言えば昨日、会社を無断欠勤しちゃったな。今日も明日も明後日も出勤出来そうもない……。ずっと無断欠勤続けるとクビになっちゃうな。どうしよう……)


(俺が失踪して会社クビになったら、家のローンが払えず嫁と娘が路頭に迷うな……。そうなると……二人で無理心中……。ああ、娘よ! 不甲斐ない父を許しておくれ………)


 思いはとめどなく物騒な方向に向かっていく。


 ダメだ、ダメだ。もっと前向きに考えなきゃ。

 悩んでもどうにも成らない事は一旦忘れて今後の方針を考えよう。


 今後の最大の目標は、元の世界に帰還する方法を探すこと。

 だが、今のところ探す当てなど何もない。


 ならば帰還の目途が立つまでこの世界で生き延びる必要がある。

 当面の生活費があるからと言って、毎日無為に過ごしていても帰還の手掛かりは得られないだろう。

 この世界に生活基盤を作り、焦らず帰還の手掛かりを探すべきだ。街に出て何か仕事を見つけよう。


 だが問題は俺に何が出来るかだ。


 俺の職業はコンピュータシステムの設計と開発を担うシステムエンジニアだ。生産管理だろうが経理会計だろうが金融システムだろうが、俺の手に掛かればチョチョイのチョイ!


 ……駄目だ。コンピュータなど存在しない世界で、システムエンジニアに何が出来ようか。


 いや! まだだ! まだ諦めるな!


 IT技能は役に立たなくとも、俺には現代科学の知識がある!

 この世界には存在しないテレビや冷蔵庫やエアコンなどの家電製品を作って売り飛ばせば……。


 ……駄目だ。一般人の知識レベルでそんな家電製品をゼロから作り出せる訳がない。


 家電製品は無理だとしても、もっと構造が簡単な物ならどうだろう?

 白熱電球みたいな単純な物なら俺にも作れそうな気がする……。


 ……駄目だ。この世界、どう見ても電気なんて無い!


 うーむ。思い付くものは全部駄目だな。そうなると俺に一体何が出来る?


 農業、林業、漁業などの一次産業は全滅だ。知識も経験もない。

 大工や鍛冶屋などの二次産業も同様だ。

 IT産業の申し子であるこの俺には、この世界で出来る事など何もない!


 悲しくなってきたな……。俺ってこの世界では何も出来ない役立たずだ。


 でもまあ生活費はたんまりある。仕事に関してはそこまで焦る必要はないか。

 今はこの世界の知識を深めることに力を注ごう。この世界の知識が深まれば、どんな仕事に就けるか、自ずと答えは出るはずだ。


 それでも出来ることが無かったらどうしよう?

 まあその時はクラレンスに相談だな。



 ◇◇◇



 俺の部屋にやってきたのは、年の頃四十半ばの痩せた男だった。

 彼は他の街へ頻繁に行商に出掛けているそうで、アルビナ王国内の地理や情勢に詳しいとのことだ。


「パトリックです。午前中、あなたにこの国のことを教えるよう言いつかってます」

「タツヤです。よろしく」

「では早速ですが、何からお教えしましょうか?」

「聞いてるかも知れないけど、俺は放浪者で記憶をかなり失ってます。何も知らない子供を相手にするつもりで、この国と周辺の国の一般常識的な話を聞かせて欲しい」

「そうですか。では、まずはこの国の事をお話しましょう」


 パトリックは持ち込んだ大きな地図を机の上に広げた。地図には菱形っぽい形の図に、地名がたくさん書き込まれている。


「これが私たちが今いるミルドランド大陸です。アルビナ王国はここです」


 パトリックが大陸の西海岸の一地点を指差す。


「ミルドランド大陸には四十あまりの大小の国々が存在します。現在でも群雄割拠の状態で、各地で戦争が絶えません。アルビナ王国はミルドランドでは中堅クラスの国で軍事力も比較的整ってますので、三十年ほど前の戦争を最後に安定した状態を維持しています」


 パトリックは一旦話すのを止め、俺を見た。


「但し、平和という意味ではありません。現に今も隣国のホルス王国とはギナンの街の領有を巡って険悪な関係が続いています」

「この大陸で実際に戦争している国はあるの?」

「ええ、大陸の北部にエルドラ帝国という軍事大国があって、周辺国と常に紛争が絶えません。今も、どこかの地方で戦争状態のはずです。エルドラ帝国は多民族国家で、昔から周囲の部族を征服して領土に組み込んでいて、大陸中から危険視されている国です」

「この世界も物騒だな。エルドラ帝国とやらには近づかないようにするよ」

「紛争地帯の商売はリスクは大きいですが、見返りもまた大きいので一攫千金を狙う商人が集まります。うちの商会は安全第一なので近付きませんが」

「クラレンスさんらしい方針だな」

「まあ、昔はうちの商会ももう少し、何と言うか、頑張ってましたけどね……」


 どうやら昔はクラレンスも安全を二の次にして稼ぎまくったようだ。

 どんなことやってたんだろう。気になるな。やっぱ闇商人だったのかな?


 話題を変えるかのようにパトリックは、別の地図を机に広げた。地図には二つの大きな島と、中小の島々が描かれている。


「こっちは縮尺を変えた大陸間の地図です。これがミルドランド大陸で東にあるのがユーク大陸です」


 ミルドランドの東に、ミルドランドより一回り小さな大陸がある。

 二つの大陸の間の海はいくぶん広いものの、中小の島々が多数存在する海域があり、島を伝って進めば大陸間の移動は、比較的楽に出来そうだ。


「その昔、ミルドランドとユークは船による交易が盛んだったのですが、百年ほど前に海の魔物が大発生して、島伝いの安全な海路が壊滅してしまいました。それ以来正規の交流は途絶えています。まあ何とかして海を渡るのに成功する者もいて、たまにユーク産の品が回ってくる事がありますね」

「大陸はこの二つだけ? 海の間の島々に国は無いの?」

「国と言えるほど大きな島はありませんし、魔物が多いので人はほとんど住んでないはずです」


 ユークとは自由に行き来出来ないという事なら、当面はミルドランド大陸の情報を優先して集めればいいか。


「それとですね……」


 パトリックが地図上のミルドランド大陸を指差し、そこから西方向に指を動かした。指は地図の端まで進み、そのまま地図の外に突き抜けた。


「ミルドランドの西側、広大な海の向こうには、魔族が住む魔大陸があると言われています。ですが伝えられる話はどれも噂レベルで、本当に魔大陸があるのかどうか真偽は不明です」


 そうですか。魔族ですか。そうなるとやっぱりいるのかな? 魔王さん。


「海の向こうはまだ未踏の地が多いですから、今後新たな発見があるかもしれませんが、今分かっているのはこんな所ですかね」

「そういえば、この街で獣人を見かけたんだけど、ミルドランドにはどんな種族の人達が住んでるの?」

「この大陸では半分以上を人間が占めています。人間の次に多いのが獣人ですね。次いでエルフ、ドワーフ。数は少ないですがホビット、ティターンなどもいます」


 この辺りは異世界物の定番の種族だな。ファンタジーの知識があるので理解し易い。


「一般的に大陸南部の国では人間以外の種族が多く、北部ではほとんどが人間ですね。北部の国の中には人間至上主義を掲げる国もあって、他種族を迫害しています。アルビナ王国はその中間ですね。人間が多いですが、種族間の差別は表向きありません」

「表向き?」

「まあ、人間が他種族を一段下に見る傾向がある、というのは否定しません」

「この大陸には魔族はいないの?」

「魔族というのは空想上の種族ですよ。魔大陸と同様、おとぎ話にでてくる種族ですね」


 さいですか。魔王さんいないのか……。


 魔物と冒険者についても教えてもらった。

 既にテレーゼからその存在は聞いていたが、より詳しい情報を聞きたかったのだ。


 魔物とは体内に魔石と呼ばれる魔素の結晶体を持つ動物の総称で、一部の例外を除きその性質は凶暴で人を襲う。

 その為、可能であれば見つけ次第駆除することが奨励されている。


 そしてその魔物を討伐するための専門家が冒険者だ。

 大陸各地に設置された冒険者ギルドが魔物討伐を冒険者に依頼し、依頼達成に対し報酬が支払われる。


 ちなみに魔物と獣は体内の魔石の有無でのみ区別される。

 体内に魔石がないものはただの獣であり、体内に魔石があればそれは魔物である。


 魔法についても、詳細に話を聞いた。


 この世界には確かに魔法が存在する。だが誰でも魔法が使える訳ではない。魔法は生まれ持った適性がないと使えない。

 この世界で魔法が使える者は十人に一人の割合でいるのだが、その大部分は生活魔法と呼ばれる低レベルの魔法しか使えない。実際の戦闘で戦えるような高レベルの魔法を使える者はほんの一握りだ。


 ちなみに教会に行ってお布施を出すと、魔法適性をステータス鑑定で調べてくれるそうだ。


(ほほう、魔法適性ですか。むっちゃ興味を惹かれますな。これはぜひ調べてもらわないと)


 俺は転移者だ。転移者は異世界に飛ばされる時に神様からチート能力を授けられるというのが定説だ。

 ならば賢者のごとく最強の魔法能力が授けられていても不思議ではない。


 パトリックと魔法談義をしていると、コンコンとドアがノックされた。


「どうぞ」


 声を掛けるとドアが開きテレーゼが部屋に入ってきた。


「タツヤさん。昼食のお時間です」


 熱中していて気が付かなかったが、もうお昼の時間だ。


「今日はここまでにしておきましょうか。明日の午前中もまた来ますから、聞きたい事があれば、その時に」

「ありがとうパトリック。すごく参考になったよ。まだまだ聞きたい事がたくさんあるんで、明日もよろしく」


 パトリックが教材をまとめて部屋を出て行く。


「タツヤさん。はかどってますか?」

「ああ、彼はすごいね。思ってた以上に詳しい話が聞けたよ」

「よかったです。パトリックさんはこの商会の最古参で、知識と経験は豊富ですから教師役には適任なんですよ」

「そうか、そんなすごい人に貴重な時間使わせて申し訳なかったな。そういえば昼からはテレーゼさんが付いてくれるんだっけ?」

「ええ。そうですよ」

「できれば街に出たいんで、また一緒に出掛けてもらいたいんだけど、大丈夫かな?」

「それはかまいませんが、どちらにいらっしゃるのですか?」

「ちょっと教会まで」

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