第29話 大脱走
空には星空が広がっている。俺は空腹で動く事も出来ず、ただベッドに横たわって崩れた天井の穴から空を見上げていた。
(奴ら、俺を飢え死にさせるつもりなのか? もう手足に力が入らない……)
扉が開きモーリスが入って来た。手には食事のトレイを持っている。
「お待ちどおさま。食事の時間だ」
ベッドから起き上がれない俺を見て、モーリスが背中を支えて起こした。
俺の膝の上にトレイを乗せると、スープの器を持ち上げ俺の口に当てた。
「飲めるかい? 思ったより食事の量が少なかったみたいだね。しかし、君も頑固だね。意地を張らなければ、こんなに苦しまなくて済むというのに」
俺は返事をしなかった。いや、スープを飲むのに夢中になって返事が出来なかったのだ。
「困ったな。ラザール隊長が帰って来たら、また尋問を始めるみたいだけど今の状態では難しいかな?」
飢えた体には、粗末なスープでも極上の味に感じられる。少しだけ気力が出て来た。
「ラザール? 奴はここに居なかったのか?」
「やっと返事してくれたな。ラザール隊長は別件でここを離れてたんだよ。それでその間に、君の翻意を促そうと食事に制限を掛けたんだけど、ちょっとやり過ぎたみたいだね」
スープを飲み干しやっと人心地が付いた。トレイの上のパンを掴み貪り食べる。
「こんなやり方で仲間に引き入れられると思ってるのか? 承諾だけしておいて、後で裏切るとは思わないのか?」
「そこは抜かりはないよ。まだ君には言えないけど、仲間に加える場合は、決して裏切れないようにする手段がある」
「奴隷契約でもするつもりか?」
「当たらずとも遠からず、とだけ言っておこうか」
モーリスは俺の食事が済むと、トレイを持って出て行った。
わずかな食事だったが空腹感がかなり解消された。空腹に苦しんでいる間は、とても眠れたものではなかったが、空腹が解消されたとたんに睡魔が襲ってきた。俺は瞬く間に眠りに落ちた。
(眠い。すごく眠い……。あれ? ここはどこだ? 見覚えがあるぞ。そうだ、ここは俺の書斎だ)
小さな部屋に机が一つ置かれており、その上にはパソコンのモニターが設置されている。机の背後の壁には書棚が並べられ、本がぎっしり詰まっている。確かに俺の書斎だ。
気が付けば机の前の椅子に女の子が座っておりこちらを見ている。
(あれ? 俺の娘じゃないか)
娘は手に何かを持っており、それを指差して怒っている。だが、全く声が聞こえず、何を怒っているのか分からない。
あの手に持ってるのは何だろう? どこかで見たな。そうだ地下施設で見つけた小石を入れた袋だ。
俺が首をかしげていると娘はモニターに向かいキーボードで何かを打ち込み始めた。
モニターに文字が表示される。
『今すぐ逃げて』
瞬時に目が覚めた。娘が俺に危機を伝えてくれた。夢だと疑う気持ちなど全く無かった。
何が起きている? 何から逃げればいい?
ベッドから起き上がり部屋の小窓から外をのぞく。
砦の中庭に騎馬が何騎か入ってきたのが目に入った。先頭にいるのはラザールだ。
奴が帰って来た。今から俺の尋問を始めるつもりか? それが危険なのか?
それとも俺を仲間に引き込むのを諦めて始末しに来たのか?
どちらにしてもこのタイミングで戻って来たのだ。奴が危険の根源で間違いない。
しかしどうやって逃げる? 俺は丸腰で武器など何も持ってない。
自慢の魔力操作は、魔物か魔術師相手でしか威力を発揮しない。
(魔力操作で壁を破壊出来ないか?)
考えてる暇は無い。俺は壁に手を当てて魔力を注ぎ込んだ。
だが壁の素材はただの石だ。いくら魔力を注いでも何の反応も示さない。
(駄目か。だったら金属扉ならどうだ?)
扉に駆け寄り金属扉の錠前に手を当てる。魔力を注ぎ込むがこれも反応はない。
(くそっ。じゃあ床ならどうだ?)
床に手と膝をつき魔力を注ぎ込んだ。だが壁と同様で反応はない。
(あと試してないのはどこだ?)
首を下に向けていた俺の胸元から何かが転げ落ちてきた。
地下施設で手に入れた小石の袋だ。袋の中から淡い光が漏れている。
(娘が俺に伝えようとしてたのはこれか?)
袋から小石を取り出し手のひらに乗せると、光はだんだん弱くなりやがて消えた。
(消えた……。そうか、魔力だ!)
さっきまで壁や扉に大量の魔力を注ぎまくっていたのだ。俺から漏れた魔力が小石に影響を与えていたのだろう。
小石に少しだけ魔力を注ぐと、小石はまた淡い光を放ち始めた。
部屋の外で何か物音がしている。誰かが塔の階段を上ってくる足音だ。もう時間が無い。
俺は小石を握りしめてどんどん魔力を注いでいった。
カチリと音がして扉の錠が開けられた。すぐにラザールが扉が開けて入って来た。後ろにはモーリスが付き従っている。
「待たせたな。今まで構ってやれずに悪かった。さあ、これから楽しい尋問の時間だ。とっとと起きろ」
ラザールはベッドに歩み寄り毛布を引きはがした。だが毛布の下は空っぽだった。
驚いて室内を見渡す。いくら部屋が広いと言っても人が一人隠れられる場所など何処にもない。
上を見上げれば半分ほど崩壊した天井から夜空が見える。
ラザールは舌打ちをすると扉の外に向かって大声で怒鳴った。
「囚人が逃げたぞ! 砦内をくまなく捜索しろ! いったい牢番は何をしていた!」
部屋を見回していたモーリスがラザードに尋ねた。
「隊長、もし砦内で見つからなかったらどうしますか? また捜索隊を組織しますか?」
「この砦の人間を使って周囲を捜索させろ。見つけ次第殺せ」
「隊長! 超希少な『魔力操作』のスキル持ちですよ。スキルの詳細も、魔力が無いのに魔石を復元させた方法も分かってません。殺すのは惜しいですよ」
ラザードはイライラした様子で、無人のベッドを蹴飛ばした。
「確かに惜しいが、これ以上奴に構っている時間はない」
「何かあったんですか?」
「ホルス王国に放っていた密偵が次々に連絡を絶ってる。あの国で何かが起きてる。俺達の隊もホルス国境へ調査に向かう必要がある。人手も時間も足りん。だからこそ、あの男の件は今日中に片を付けてやろうと急いで戻って来たんだ。なのにこの様とは」
ラザードはモーリスを睨みつけた。
「だいたいお前が梟の事を漏らさなければ、逃げ出しても放置で良かったんだ。お前のおかげで放置も出来なくなった。何としても見つけ出して殺せ」
「申し訳ありません。すぐに手配します」
ラザールとモーリスは塔を出て行った。
(ぶはははは。ラザールめ、怒れ怒れ悔しがれ。散々俺のこと殴りやがって。おまけに俺を殺すだと。そうは問屋が卸すものか。この間抜け野郎め)
実はラザールが天井を見上げていたその時、俺はその天井の上で息を潜めて笑っていたのだ。
俺は握りしめていた手を広げ、その手の中の小さな石を見つめた。
『浮遊石』
たぶんこの石はファンタジーでお馴染みの浮遊石と呼ばれる石だ。
俺がこの小石に魔力を注ぎ込んだ時、石は淡い光を放ち出した。
そして俺の体がだんだん軽くなり、ついには足が地を離れ宙に浮いたのだ。
あまりの出来事に慌てふためき、いったん魔力を止めようしたが扉の外の足音はもうすぐそこに迫っている。
俺は宙に浮かんだまま手足をバタバタと動かし崩れた天井の端に手を掴むとと、何とか天井の上に転がり込むのに成功した。
俺が天井の上に身を隠すと同時に扉が開いた。正に間一髪だった。
ラザールは怒り心頭で塔から出て行ったが、誰かが確認のために戻ってくるかもしれない。その前にこの砦から逃げるとしよう。
だが逃亡の前に確認すべき事がある。
浮遊石を使えば塔から飛び降りるのは簡単そうだが、それではあっという間に囲まれて終わりだ。
この浮遊石、水平移動は可能なのか? 空中に浮いたまま水平移動できれば、逃走など御茶の子さいさいだ!
こういう疑問は、すぐに実験で検証だ。
俺は浮遊石に魔力を注いで、少しだけ体を空中に浮かべた。
(前に進むには、どうすればいいかな?)
そう思ったとたんに俺の体は前に進み出した。そのまま塔の外壁を超えて外に出てしまいそうになる。
(ストップ! 後ろに下がれ!)
俺の体が後ろに下がった。
(右回転!)
俺の体がその場でくるくると右回転し始めた。
浮遊石での移動は実に簡単だった。ただ念じればいいのだ。これも魔力操作のスキルの力なのか? まあ、ファンタジーの世界だからな……。
どうも最近、面倒な事は『ファンタジー』の一言で済ます癖が付いてしまった。良くない傾向だ。
さてと、脱走の準備は整った。ではここらでおさらばといくか。
俺は浮遊石に魔力を込め上空高く飛び上がった。
眼下に砦の全景が見える。俺を探すためだろうか騎士たちが右往左往している。
「はっはっは。さらばだ、諸君! また会おう!」
嘘だよ。何となく頭に浮かんだ、退場時に叫ぶカッコ良さげなセリフを言ってみただけだ。お前らとまた会うつもりなど毛頭無いわ!
「ぶはははははは」
俺は改めて高らかな笑い声をあげると、夜の森へと消えて行くのであった。




