第2話 クラレンス商会
俺の目の前には石造りの三階建ての大きな建物が建っている。
何かの店舗のような建物だ。
正面のドアの前に立ち俺に声を掛けて来たのは、まるで映画俳優のようなナイスミドルな男だ。
手にはホウキが握られており、どうやら店の前の掃除に出て来たようだ。
男の歳は俺と同年代のような感じだが、顔面偏差値に関しては俺と雲泥の差だ。
言うまでもなく俺の方が下だ。世の中は不公平に満ち溢れてる。
「えっと、その、何というか……」
急に声を掛けられたため慌ててしまい、咄嗟に言葉が出てこない。
情報収集のチャンスだが、どう切り出せばいいんだろうか?
正直に『異世界から来ました』と言うのは論外だ。
『ここは何処? 私は誰?』なら行けるか?
よし! ここは三流ドラマでよく使われる記憶喪失作戦だ。
「あの、つかぬ事をお伺いしますが、ここはどこなんでしょうか? ……実は私、気が付いたらここに立ってて、自分の事が何も思い出せないんです。自分が何処の誰で何故ここにいるのか……。お願いです。教えて下さい。ここはどこなんですか?」
認めよう。俺には役者の才能はない。
自分が口にした実にワザとらしい棒読みのセリフに、顔から火が出そうだ。
男は無言で、俺の頭のてっぺんから足のつま先まで、視線を何度か往復させて見ている。
(ああっ、やめてー。その顔はやめてー。これは『頭のおかしな奴』って思ってる顔だ。くそっ、恥ずかしすぎてもう目を合わせられない)
突き刺さる視線に耐えられず、このまま逃げてしまおうかと身構えた時、やっと男が口を開いた。
「ここはアルビナ王国のカノース領、レマーンの街です。……分かりますか?」
「いや、どれも知らない名前だ。『アルビナ王国』………聞いた事のない国だ」
彼はもう一度。俺を上から下まで眺めて、また考え込んだ。
「あなたは『放浪者』かもしれないですね」
「え? 放浪者?」
「ええ、誰でも知ってるおとぎ話です。ある日、突然人が消えてしまう。街の外で魔物や盗賊に殺されたり、何かの理由で夜逃げして街から出て行くとかはよくある話なので、人が一人や二人いなくなっても誰もさほど気にしません。ところが何年、何十年も経ってから消えたはずの人がひょっこり戻ってくることがある。聞けば遠くの国や大陸から何年も掛けて戻って来たと言う。そういった人達に話を聞くと、皆同じような体験をしているそうです。
曰く『気が付いたら見知らぬ場所にいて、自分が何処から来たのか思い出せなかった』、『“故郷に還れ”という内なる声に導かれ旅に出た』、『どこにあるか分からない故郷を探し求めて、何年、何十年と各地をさまよった』、『旅するうちに少しずつ記憶が戻ってきて、ついには自分の故郷を思い出した』
まあ、あくまでおとぎ話です。親が子供を叱る時に『悪い事してると、放浪者になっちゃうぞー』と脅す時に使う話ですね」
この世界では転移はよくある話なのか。
俺は記憶を失っていないし異世界からの転移だ。
故郷への旅立ちを促す内なる声も聞こえない。
同じ転移現象ではあるが、俺は放浪者ではないな。
「私もおとぎ話だと思っていたのですが……。どうやら放浪者は本当にいるんですね」
もう俺が放浪者であることは確定の扱いだ。
確かに俺のこっ恥ずかしい小芝居は放浪者の話に似ているようだが、普通は『変な与太話をしてる男がいる』って思うものじゃないのか?
俺の不審顔を見て疑問を悟ったのだろう。男が話を続けた。
「この国ではあなたのような黒い髪に黒い瞳の人は非常に珍しいです。それにあなたの服装。そのような変わった服、初めて見ます。生地は革でも毛でも麻でも綿でもない、私の知らない素材のようですし。とてもこの国で手に入る服とは思えません。東のユーク大陸にはあなたのような黒髪、黒瞳の民が住んでいると、噂に聞いた事があります。もしかして、あなたはユーク大陸から来たのではないですか?」
この人何者だ! 只のナイスミドルじゃないぞ!
結論こそ合ってないものの、切れのある観察力に鋭い洞察力。
この世界の人は皆、こんな理論的な考え方をするのか?
まずい! 非常にまずい!
俺の下手な小芝居などすぐに見破られそうだ。
「東の大陸から来たかどうかは分かりません。記憶が曖昧でよく思い出せないんです」
俺の言葉を聞いて、彼は頷きながら優しく俺の肩に手を添えた。
「放浪者とはそういうものらしいです。時間が経てば自然に思い出すそうです。思い出せない事に焦りを感じる必要はありません。……あなたはこれからどうされるつもりですか? お困りなら今後のご相談に乗りますよ。どうぞ、店の中にお入りください」
(ああ、この人いい人だ。くそっ、嘘付いてる罪悪感が半端ない……)
どう切り出そうかと悩んでいた事を向こうから提案してくれた。
何だかうまく話が進みすぎて正直怖い。
もしかして俺を騙して店の奥に引きずり込んで、金品を巻き上げて奴隷商人に売りつけようとか……。
いや、この人はいい人だ。俺の野生の勘がそう告げている。
めったに当たる事のない勘ではあるが……。
今は誰かの助力なしにこの状況を乗り切るのは難しい。
少しくらい怪しかろうが、援助の申し出を断るという選択肢は俺にはない。
「ありがとうございます。ご迷惑でなければお願いします。正直、どうしていいか途方に暮れていたところです」
彼はニコリと微笑み、手を差し出した。
「申し遅れました。私はレマーンでこの商会を営んでいるクラレンスといいます」
「この店のご主人でしたか。私は……、私の名は………………、俺は……、俺は……誰だ?」
俺は誰だ? 自分の名前が思い出せない。
衝撃の事実に目の前が真っ暗になり倒れそうになった。
クラレンスはそんな俺の様子を見て、慌てて店の奥の部屋に招き入れた。
そして室内のソファーに俺を座らせると、飲み物を持ってきますと言って部屋を出て行った。
「俺は誰だ? 誰なんだ? くそっ、名前が思い出せない! そうだ、社員証!」
俺は持っていた通勤カバンに手を突っ込みかき回した。
「あった! 社員証!」
カバンに入れていたプラスチックカードの社員証。名前の欄には『工藤達也』と記載されている。
これが俺の名前か? 社員証の顔写真は俺に間違いないようだ。
更にカバンの中から名刺入れを取り出す。
名刺入れの中からは工藤達也と印刷された名刺が十数枚出て来た。
どうやら俺は工藤達也で間違いないようだ。
だが名前を見てもピンと来ない。
俺は本当に工藤達也なのか? 自分の名前を覚えていないってどういう事だ?
さっき聞いた放浪者の話、都合がいいから今後は自称しようと思っていたが、装うまでもなく俺は本当に放浪者なのかも知れない。
クラレンスが応接室に戻ってきた。
彼の後ろにはティーセットを乗せたワゴンを押す若いメイドが付いて来ている。
メイドは俺とクラレンスにお茶を入れると一礼して部屋を出て行った。
淹れてもらったお茶を手に取る。砂糖の入っていない紅茶のようだ。いい香りだ。一口飲むと気分が落ち着いてきた。
「さっきは取り乱して申し訳ありませんでした。俺はタツヤと言います。ついさっきまで自分の名前を思い出せず混乱してまいました。お見苦しい所をお見せして本当に申し訳ない」
「お気持ちはお察しします。お気になさらずに。それで名前以外に何か思い出した事はありますか?」
「いえ何も。自分が何を忘れているのかさえ分かってない感じです」
「そうですか。タツヤさんは気が付いたらうちの商会の前に立っていたんですよね。お一人で?」
「ええ、クラレンスさんが外に出てくる少し前に、ここに来たみたいです」、
クラレンスは顎に手を当て、何か考え込んでいる。
「タツヤさん、お荷物を拝見してもよろしいですか? 何かご自分の事が分かる手掛かりがあるかもしれません」
どうしよう。
この世界の人に所持品を見せるのは不味い気がする。
特にスマホのような電子機器は危険だ。
他に危険なのは腕時計くらいか。
けど腕時計はもう手遅れだな。手にはめてるから既にしっかり見られてる。
「申し訳ありませんが、このカバンには我が家に伝わる門外不出の品々が入ってて、お見せ出来る物は少ないです」
クラレンスが妙な顔をしている。
記憶が無いのに門外不出とか言い切っているのが気になったようだ。
まずいな。思い付きで設定を増やしていくといずれ破綻しそうだ。
クラレンスは深く追及せずに次の質問に移った。
「そうですか。ではお金はお持ちですか? 貨幣を見ればタツヤさんのお国が分かるかもしれないですよ」
日本のお金を見せるのは危険だ。
……いや、特に問題は無いのか。
あれもこれもダメだと言ってると、いつまで経っても信頼関係を築けない。素直に見せてしまおう。
ポケットから小銭入れを取り出し、硬貨をいくつかテーブルに並べた。
「これが私の国の貨幣です」
クラレンスはテーブルに置かれた硬貨を順番に手にし、裏表をじっくり調べている。
「初めて見る硬貨ですね。刻まれた文字も知らない文字だ。ユーク大陸の文字……なのかな? 材質は……この茶色の硬貨は銅ですね。こっちは黄銅か。この二つは銀、いや銀じゃない。何だろう? よく分からない材質だ。この一番小さい硬貨は妙に軽いですね。これ金属ですよね?」
十円は銅、五円は黄銅で正解だ。百円と五十円は確か銅とニッケルの合金のはずだが、ニッケルはこの世界では使われてないのかな?
一円はその軽さに驚いている。アルミはこの世界では未知の金属なんだろう。
「すいません。どれも初めて見る硬貨です。仕事柄いろんな国の貨幣を知っていますが、少なくともこの大陸の硬貨ではない事は確かです。東のユーク大陸の硬貨は詳しくないので正直分かりません。お役に立てず申し訳ない」
想定通りの答えだ。
逆に『知ってる硬貨です』なんて返事が来たら、その方がビックリだ。
「そうですか。ありがとうございます。この大陸の物ではない事が分かっただけでも大きな手掛かりです」
「タツヤさんのお持ちのお金は全てこの硬貨ですか? アルビナ王国の硬貨はお持ちでないですか?」
「お見せしたのが全部です」
「そうですか。となるとタツヤさんは手持ちの所持金が無いという訳ですね」
何だかクラレンスの顔に嬉しそうな表情が覗いているのは気のせいだろうか?
「どうでしょう。タツヤさんのお持ちの品でお売りできるものがあれば、うちで買取させていただきたいのですが、いかがでしょうか?」
いつ元の世界に戻れるか全く分からない状況だ。
しばらく、いや、もしかしたらかなり長期に渡ってこの世界での生活を強いられる事になるはずだ。
であればお金は必須だ。
いつの時代どこの世界でも、最後に物を言うのは常にお金だ。
銭や、銭や! 所詮世の中銭なんや!!
という事で、お金は欲しいが問題は何を売るかだ。
カバンの中にはノートやボールペンなどの小物しか入ってない。
何が売れるかな? 自分の着ているスーツなら売ってもいいかな。
クラレンスもさっき俺の服を褒めてたから高値で買ってくれそうな気がする。
スーツの買取を持ち掛けようとクラレンスを見ると、彼の視線が俺の足元に向けられている。
その視線の先は……ゴミ袋だ。
キャップとラベルを取り除いたペットボトルがたくさん詰まった、資源回収用のゴミ袋だ。
ゴミ袋は半透明の緑色で、中のペットボトルが外からでもうっすら見えている。
もしかしてこれ、売れちゃう?




