第26話 逃走の終わり
窓からは明るい日差しが射しこみ、窓の外では小鳥がチュンチュンさえずっている。
……ような気がした。
そんな訳は無い。ここは地下施設の一室だ。窓も無ければ小鳥のさえずりも聞こえはしない。幻覚に決まっている。
隣を見れば、毛布にくるまった女性がいる。こっちは幻覚じゃない。
先日も似たような状況に遭遇した覚えがあるのだが、今回は少し違う。俺も彼女も服を着ていない。
(やってしまった……)
この世界が未来の日本だと発覚した。妻も娘もはるか昔に死んでいると判明した。
悲しくて、苦しくて、寂しくて、何かに救いを求めた。そしてこうなった。
(どうすればいい?)
人生経験はそれなりに積んできたが、こんな状況に陥った事など、いまだかつて一度もない。どう対処すればいいのか分からない。
テレーゼの寝顔を見つめていたら、彼女が目を覚ました。
目を開けた彼女は、胸に毛布を引き寄せ、恥ずかしそうに朝の挨拶を口にした。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
「あの……、恥ずかしいので、少し向こうを向いてて貰えますか」
テレーゼに背を向けてベッドに座ると、背後から衣擦れの音が聞こえてきた。
どうする? 決して無理やりではなかった。だからと言って言い訳にはならない。
どうすればいい? 一夜の過ちとして忘れてもらうか?
「もうこっちを向いていいですよ」
服を着終わったテレーゼは、ベッドの毛布をきれいにたたみ始めた。
が、急にシーツをベッドから引きはがし、くるくると丸めると慌ててどこかに持っていってしまった。
丸められたシーツの奥に、何か赤いものが見えたような……。
(終わった……)
どう責任を取る? 俺が独身であれば結婚を申し込む所だが、あいにく俺は既婚者だ。
この未来世界においては、妻はとっくの昔に死んでいるかもしれない。
でもそんな事は関係ない。俺の心の中では妻はまだ生きているのだ。
部屋に戻って来たテレーゼは、悲痛な顔をしている俺を見て言った。
「昨日の事は私も望んでした事です。気に病む事はないですよ。忘れてください」
「忘れるなんて出来る訳ないだろ! 俺は……、すまん。……少し時間をくれないか。自分勝手なのは承知してるが、気持ちを整理する時間が欲しい」
「タツヤさんのいいように。でも、本当に気にする必要はないですよ」
彼女は、俺が昨日の夜に泣いていた事については、何も触れようとはしなかった。
(最低だな。俺は……)
二人で硬パンの朝食を取った。水はとうとう無くなってしまった。
テレーゼと今後どう向き合っていくかは、悪いが一旦保留だ。
今は一刻も早く外に出て水を補給しないと危険な状況だ。
食事を終えると、外への出口を探して、二人で施設内をあれこれ見て回った。開かない扉や、崩壊して入れない部屋などもあり、出口の捜索にはずいぶん時間が掛かったが、とうとう倉庫のような部屋の奥で気密扉を発見した。
「タツヤさん。あれ、扉じゃないですか?」
「そうだ、気密扉だ! たぶん外に通じてる扉だ!」
駆け寄ってハンドルを回し扉を開く。
扉の奥はロッカー部屋で、突き当りの壁にはもう一つ同じ気密扉が見える。
「あれだ。間違いない。あの扉が外への扉だ!」
ロッカー部屋に入り、二つ目の気密扉のハンドルを回し扉を開ける。
扉の隙間から湿った空気が流れ込んで来た。
「やったぞ! 外だ!!」
だが、まだ喜ぶのは早かった。扉の外は瓦礫と土砂の壁で囲まれた深い縦穴の底だった。縦穴の上を見上げると小さな穴から青い空が見えている。
瓦礫の壁に触ってみた。力を掛けてもしっかりしていて崩れたりする様子はない。登って地上まで出れそうだ。
「テレーゼ、ここから外に出れそうだ。だけどこの瓦礫を登らないといけない。かなり高さがあるから、少し準備してから出よう」
一旦施設中に戻り、出口の捜索中に見つけた丈夫そうなザックに、ロープと手袋、そしてタオル類を詰め込んだ。
瓦礫の上の様子が分からないので、念のためシャベルかその代用品が無いかと、工作機械が多数設置されていた部屋を探し回ったが、そんな都合のいい道具はどこにも見つからなかった。
諦めて部屋を出ようとした時、部屋のテーブルに置かれたガラスケースが目に入った。
ケースの中には、小さな石が大切そうに収納されており、ケースの周囲には、計測装置らしきが機器がズラリと並んでいる。何かの調査をしていたのだろうか?
(何だろう? 何だか気になる……)
俺はケースの蓋を外し、その石を手に取った。うずらの卵に似た小さな石で、特にきれいな石という訳でもなく、どこにでも落ちていそうなありふれた石に見える。
テーブルの上には、長い紐のついた袋が置いてあった。この石の収納袋のようだ。
少し迷ったが、石を収納袋に入れ首から掛けた。なぜそうしたのか、自分でもよく分からない。
俺の行動を見ていたテレーゼが俺に聞いた。
「その石、何ですか?」
「うーん。よく分からない。ただ、とても大事な物のように思えて、つい貰っちゃった」
「大事な物だったりしたら、後で誰かに怒られませんか?」
「ここは、捨てられた施設みたいだから大丈夫だろ。準備は出来たから、そろそろここを出ようか」
外に出る気密扉まで、急いで戻った。
「俺が先に壁を登って上からロープを垂らすから、そのロープを体に巻き付けて登ってきてくれ」
幸い、瓦礫の壁には手掛かりや足掛かりに出来る凹凸が多数あり、何とか上まで登る事が出来た。
縦穴を登り切った俺が目にしたのは、森の風景だった。250年後の日本の情景を予想していたが、地上に未来世界を感じさせる人工物は何も見当たらない。
この森、見覚えのある森だ。起伏の激しい地面に倒木やぬかるみ。騎士団から逃げ回った森のような気がする。
「なんで……。どういう事だ? ここは未来の日本じゃ無かったのか? 俺はまだ異世界にいるのか?」
次々に疑問が湧き上がるが、頭が混乱してうまく考えられない。
「タツヤさん。大丈夫ですか? 登れましたか?」
テレーゼが心配そうに下から声を掛けてきた。俺の姿が見えなくなってしまい、不安に襲われたのだろう。
「ああ、大丈夫だ。上に出られたよ。ロープを降ろすから先端の輪の部分に体を通して」
上からロープを垂らし、テレーゼが体を固定したのを確認し、ゆっくり引き上げる。
体重は軽そうに見えたけど、ロープで引っ張るとけっこう重い。
「はあ、はあ、はあ、よし、そこだ、手を伸ばせ。あと一息だ」
「よいしょ。やっと外に出られました」
地下施設の中でストレスが溜まっていたのだろう。地上に出られてテレーゼが嬉しそうだ。
「ここはどこだろうな」
「私達が落ちた穴から、そんなに遠くじゃないはずですよ。ステラさん達を探してみてはどうですか?」
魔力波を放ってみると、いくつかの魔物の反応と共に、三つの魔術師の反応があった。この反応はベアトリス、ステラ、騎士団の魔術師の三人だろう。廃村とおぼしき場所に固まっている。
「今いる場所はだいたい分かったよ。ステラ達はまだ廃村にいるみたいだ」
彼女達がいるとなれば、やはりここは未来の日本ではない。元の異世界だ。
だとすれば、俺の妻と娘はまだ死んだ訳じゃないのか? 俺は一人で変な勘違いをしてたのか?
それにこの半壊した地下施設は何なんだ? なぜ異世界にこんな未来の工場がある?
ファンタジーな世界と未来科学の世界。全く相容れない存在じゃないか。
謎は深まるばかりだ。もう俺の理解を超えている。
考えていても始まらない。今は水の補給が最優先だ。このまま水が手に入らないと、じきに動けなくなる。
「まずは水を探そう。もし水が見つからないか、途中で騎士団に見つかったら、その時は諦めて投降しよう。これ以上の逃走は無理だ」
「嫌です。捕まって連れて行かれて戻って来れなかった人がたくさんいるんですよね。捕まったら終わりです。最後まであきらめずに逃げましょう」
「ねえ、テレーゼ。追われているのは俺だけだ。君が一緒に逃げる必要は無いんだ。君だけでも投降を…」
「嫌です。一緒に逃げます。捕まりそうになったら私が何とかしますから、最後まで諦めずに逃げましょう」
聞く耳持たずというやつだな。だけど、これ以上の逃走は彼女を危険に晒す。
俺達が捕まった場合に備えて、今のうちに伝えておかないと……。
「テレーゼ。もし、俺達が捕まったとしても、あの地下施設の事は秘密にしてくれ。あの施設は危険だ。もし誰かに話せば、今度は君も追われる事になる。そんな気がする」
「あそこは、何だったんですか? まだ私には、何がなんだか分かってないんです」
「あの施設は俺の生まれた国に関係した施設だと思う。それ以上の事は俺にも分からない。分かってるのは、あの施設は危険な存在という事だけだ」
「……分かりました。誰にも言いません」
森の中を水を求めて、周囲の警戒をしながら歩き回った。
動けなくなる前に投降できるよう、廃村からあまり離れ過ぎないように水を探し回ったが、小川はもちろん、水溜まりさえ見つからない。
「テレーゼ! 隠れて!」
森の奥に何か人影が見えた。
とっさに木の陰に隠れたが、どうやら先に発見されていたようだ。
「おーい! タツヤ! 俺だ、ヴァレリーだ!」
遠くでヴァレリーが手を振っている。王都まで往復して戻ってくるには早すぎる。よく見れば、彼の後ろに二人の男が付いている。
「タツヤ。すまん。俺も捕まった。今の俺はお前の説得役で投降を勧めに来た。こいつらはお前達に危害を加えるつもりはない。俺が保証する。出て来てくれないか?」
テレーゼが俺の手を引っ張り逃げようとする。俺は逆にその手を掴み押し留めた。
「ここまでだ。投降しよう。捕まったからと言って何も殺される訳じゃないだろ」
「駄目です。逃げましょう」
「すぐに追いつかれるよ。テレーゼ、頼む。もう終わりにしよう」
俺は彼女の手を握り、ヴァレリー達の前に姿をさらした。
「投降する。抵抗の意思はない」
ヴァレリーと二人の男が、俺達の前にやってきた。
男たちの一人が俺の前に立ち、口を開いた。
「レマーンの冒険者タツヤに間違いないな?」
俺は無言で頷いた。
「俺達は飛燕騎士団の者だ。君には王城から召喚状が出ている。王都まで同行願いたい」
「やっぱり俺が目的なのか。召喚って、何の用なんだ?」
「理由は知らされていない。俺達の役割は君を王城まで連れて行く事だ」
「拒否は出来るのか?」
「召喚の拒否はできない。自主的に同行してもらえると、面倒が無くて助かるんだが」
「俺の護衛達と、付き人のこの娘はどうなる?」
「何もしない。ここに放置する訳にもいかないから、一緒に王都まで戻る事になるが、そこで放免だ」
「分かったよ。同行しよう」
ヴァレリーを見ると、すまさそうな顔で謝罪の言葉を口にした。
「役立たずの護衛ですまん。お前たち二人では逃げ切るのは無理だと思って、こいつらの協力要請に応じた。先に捕まったフリッツ達も手荒な事はされてないし、お前たちも丁重に扱うよう約束させた」
「気にしなくていいよ。俺達も飲み水が尽きたから、これ以上の逃走は無理だと思ってた」
こうして俺の逃亡生活は終わりを告げた。
俺達は二人の騎士に連れられ、廃村まで戻る事になった。




