第25話 森の地下
扉の向こうは真っ暗だ。そっと顔を入れて気配を探るが、何も感じない。
そろりと足を踏み入れた。その瞬間、部屋の中に明かりが点いた。思わず扉から飛び退いた。
「誰だ! 誰かいるのか!?」
返事は無い。警戒しながら扉をくぐる。そこは人の誰もいない、からっぽの細長い部屋だった。天井が全体に光を発している。明かりが点いたのは、俺の存在をセンサーが感知したのだろうか。
部屋の正面の壁には、今通ったのと同じ気密扉がある。一見、何も無いただの壁に思われた両側の壁面には、縦長のパネルが多数埋め込まれている。
壁のパネルの一つをそっと押してみると、カチリという音がしてパネルが開いた。どうやら壁の両側のパネルはロッカーだったようだ。中には白い服に手袋や長靴、そして顔を覆う大きなマスクが入っていた。
(ロッカーに、これは防護服?)
ファンタジーな異世界には不釣り合いな服だ。
「テレーゼ、こっち来ていいよ」
テレーゼが恐る恐る、小部屋の中に入って来た。天井の発光パネルを見て驚いている。
「明るい……。ここどこなんですか?」
「まだ分からない。もう一つ扉がある、こいつも開けてみよう」
奥の扉のハンドルを回す。最初の扉と同様、固いハンドルを回すとカチリと音がした。扉をそっと押し開ける。
扉の向こうは長い通路だった。先が見えない程長い通路で、その両側には扉がいくつも並んでいる。通路の扉は気密扉ではなく普通の扉のようだ。壁や天井や床は、全て白く塗装されており清潔感がする。
この施設、何となくオフィスか工場のような気がするが、施設の雰囲気に違和感を感じる。何と言うか、SF映画に出てくるような、未来感溢れるデザインなのだ。
通路に足を踏み入れ、周囲を窺うが人の気配は一切ない。
手近な扉を開けてみると、そこは広い部屋だった。室内には机と椅子がいくつも並べられ、それぞれの机の上には書類や、見慣れない機器類が乱雑に置かれている。
そっと机の上の機器に触れてみた。ずいぶんホコリが積もっている。
テレーゼが俺に腕にしがみ付きながら不安を口にした。
「タツヤさん。ここは何だか怖いです。早く出ましょう」
異世界の住人の彼女にとって、この場所は恐怖を感じるほど異質な光景なのだろう。
「大丈夫だ。心配いらない。ここはたぶん俺の住んでた国の施設だと思う」
机の上に無造作に置かれていた書類を一枚手にした。その書類に書かれていた文字は日本語だった。何か技術的な書類のようで、内容はさっぱり理解できなかったが、確かに日本語だ。
「やっぱりここは日本だ! 俺は帰って来たんだ!」
玄関を出ただけで異世界に迷い込んだ俺だ。穴に落ちて帰って来たとしても、何の不思議もない。
部屋から飛び出し、通路の奥に向かって大声で叫んだ。
「おーい。誰かいないか! いたら返事をしてくれ! 誰かいないか!」
俺の呼び掛けに応える者は誰もいなかった。
◇◇◇
俺達はこの地下施設から外に出る出口を探して施設内を調べ回った。調べたと言っても、通路の扉を開け、その先の部屋を見て回った程度ではあったが。
その結果分かった事がある。どうやらここは天井が崩落したせいで放棄された、何かの地下生産工場のようだ。
工場区画は崩落でほとんどが土砂や瓦礫に埋もれてしまっているが、工場に付随する事務区画の半分ほどは、崩落を免れ無事のようだ。
無事な区画からは、大量の図面が置かれた設計室らしき部屋や、製造機械やクレーンが設置された工作室らしき部屋なども見つかった。この施設では生産だけではなく、設計や開発も行っていたようだ。
この工場が放棄されてから、ずいぶん長い年月が経っているのだろう。床などにずいぶんとホコリが積もっていた。
分かった事は多かったが、肝心の出口は未だに見つかっていない。
俺達が落ちて来た穴は、土砂に埋まって塞がっている。だが、これだけ大きな工場施設なら、まだ崩落せずに生き残っている出入り口が、どこかに必ずあるはずだ。
「ちょっと休もうか」
空いている部屋に入り、テレーゼを呼び寄せる。
俺の隣に腰を下ろした彼女が、うつむいて弱々しく言った。
「タツヤさん……。ここは嫌です。もう……、もう外に出たいです」
その震える声を聞いて、はっとしてテレーゼを見た。
(くそっ! 俺はなんて駄目人間なんだ!)
テレーゼはずっと、不安な思いに耐えていたのだ。
廃村では騎士団に追われ、森に入ってひたすら逃げ回り、陥没した穴には飲み込まれ、助かったと思えば、窓一つ無い不気味な施設に、得体の知れない部屋の数々。
出口は全く見つからず、ただひたすら恐怖に耐えて、俺に後ろを付いて来たのだ。
俺は日本に戻れた事に浮かれてしまい、テレーゼの不安な気持ちに全く気付いていなかった。俺は本当に駄目な人間だ……。
俺はテレーゼの肩をしっかりと抱き寄せた。
「今日はここまでにしよう。食事してひと眠りしよう。そうすれば気分も落ち着くよ」
「はい……」
俺達は、崩落を免れた医務室に場所を移した。医務室にはいくつかベッドがあって、ひと眠りするのに格好の部屋なのだ。
背負い袋から硬パンと水袋を取り出し食事にする。俺は水袋を見た。
「まずいな」
「何がです?」
しまった。思わず声に出してしまった。
パンはまだいくつかあるが、水の残りが少ないのだ。この工場内では水は手に入らなかった。早く外に出て水を補給しないと干からびて死んでしまう。
だが、これ以上テレーゼを不安にさせる訳にはいかない。
「どうしてこのパンはこんなに不味いんだろうと思ってね」
「日持ちを第一に作った保存食ですから仕方がないですよ」
「いや、もっと工夫すれば、おいしくなるはずだよ。これ食べると、いつもレンガを齧ってる気分になって気が滅入るんだよ」
よし。何とか誤魔化したぞ。
「それじゃあ腹も膨れたし、そろそろ寝ようか。テレーゼはそのベッドを使ってくれ。俺はこっちで寝るよ」
「……タツヤさん。あの……。一緒に寝ませんか?」
時と場所が違っていれば衝撃的なセリフだが、俺も流石にこの場面で変な誤解はしない。
「いいよ。じゃあ、ベッドをそっちにくっ付けるから、一緒に寝ようか」
俺は自分のベッドをテレーゼのベッドの横に並べ、靴を脱いでベッドに横になる。
テレーゼもベッド横になって毛布をかぶった。
「じゃあ、寝ようか。寝るまで子守歌を歌ってやろうか?」
「歌はいらないです。一緒にいて下さい」
「分かったよ。じゃあ寝ようか。おやすみ、テレーゼ」
疲れていたのだろう。すぐにテレーゼの寝息が聞こえてきた。
俺はそっとベッドから抜け出した。
実の所、テレーゼを寝かしつけたはいいが、俺自身は日本に戻った興奮で眠れそうになかったのだ。
本当は出口を探して一人で調査に向かいたい所だが、俺のいない間にテレーゼが目を覚ますと、ますます怖い思いをさせる事になる。それはまずい。
とはいえ、ただボーっとしているのも退屈だ。
少し考えて、施設職員の休憩室らしき部屋で見かけた雑誌を持ってくる事にした。大急ぎで休憩室まで走り、七、八冊の雑誌を掴んで、医務室に取って返した。
テレーゼはまだ寝ている。大丈夫だ。
雑誌を一冊手に取った。若い女性が表紙を飾っている雑誌だ。女性は恐ろしく奇抜な銀色のファッションに身を包んでいる。正気の沙汰とは思えない服装だ。
これは何だ。今の若者には、こんなファッションが人気なのだろうか?
ページを適当にめくって開いてみると、何かの技術開発をテーマにした記事が載っていた。開発過程が年表形式で示されている。だが、年表の年が何だか変だ。2250年から始まり、2272年で終わってる。
誤植だろうと思い、記事本文に目を通したのだが、俺には書いてある内容があまり理解できなかった。意味の通じない表現がたくさんあったからだ。
まるで出来の悪い翻訳アプリが、他言語から日本語に翻訳したような感じの文章だ。一応読めるはするし、何となく趣旨は分かるのだが、文章が日本語としておかしい。
雑誌を閉じ表紙をみた。雑誌の表紙には2272年7月と書かれていた。
「これも誤植か?」
持ってきた他の雑誌を手に取って表紙を見る。どれも2272年7月だ。
「何だこれ?」
雑誌を放り出し、医務室の中の机や戸棚を引っ掻き回した。
机の引き出しからはカレンダーが出て来た。やはり2272年だ。
戸棚にあった医薬品らしき瓶やらパッケージを、手当たり次第に手に取った。製造年だか使用期限だかの年が記載されている。2272、もしくはその数年先の数字だ。
「何だこれ? 何なんだよ。俺は帰って来たんじゃなかったか? 異世界から戻れたと思ったら、今度は未来の日本かよ!」
この施設に足を踏み入れた時から違和感を感じていたのだ。
施設の中、全てが先進的で未来的なデザインで、見かけた機器類は俺の知らない物ばかりだった。もし今が2272年なら、俺の時代から250年以上先だ。未来的なのは当たり前だ。
日本と異世界では、時間の流れる速さが違っていたのか? 異世界には一月もいなかったのに、戻ってみれば250年も過ぎていた。これじゃあまるで浦島太郎だ。それだけの年月が過ぎていれば、日本語だって変化するだろう。
(外に出ないと……。ここが本当に未来の日本か確かめないと……)
だが俺の心は、既にここが未来の日本だと確信していた。
異世界に迷い込んだ時と同じで、物証が次々と出てきているのだ。
異世界という異常な状況を受け入れた俺にとっては、未来の日本を否定する理由などどこにも無い。
ここは未来の日本だ。
だとしたら俺はどこに帰ればいいんだ? 俺の家はもうこの時代には無いはずだ。
俺の妻と娘は…………。
(妻はとっくに死んでるだろうな。俺を残して先に死んじゃったのか……)
(娘ももういないのか。折角戻ってこれたのに、もう二度と会えないなんて……)
(やっと戻って来たのに家族のいない世界なんて……。そんな寂しい世界なんて……)
俺は知らぬ間に床に座り込み、嗚咽をもらしていた。
「タツヤさん」
顔を上げるとテレーゼが立っていた。
彼女は俺の前に膝を付くと、俺の頭を胸に抱き寄せた。
俺は彼女の体を抱きしめて、ただ涙を流して泣いていた。




