第16話 広場にて
俺の体は一晩寝ただけでほぼ回復した。
血を吐くような深手を負ったはずなのに、ポーションとわずかな休養で回復してしまうとは、全く持ってファンタジーだ。
若返ったこの体は回復力も強化されているのかもしれない。
実は俺、超人的な身体能力を隠し持ってたりして……。
いや、それは無いな。そんなに強ければ角折れウサギ如きにボコられたりしない。
確かにチンピラ冒険者には勝てたけど、俺はあの時全力で戦ったのだ。
全力でやっと倒せる程度では、とても超人的な力とは言えない。
強くなったと感じるのは、単に四十九の老いた肉体から、二十一の若々しい肉体に若返ったギャップのせいかもしれない。
若かった頃は当たり前だと思って気にも留めなかったが、実は二十一の身体って結構強靭なんだろうな。
最近妙に好戦的な気分になるのも、若返りの影響かも知れない。俺の心も二十一に戻りつつあるのかも知れない。俺が二十一の頃と言えば…………………。
くそっ。まただ! 何も思い出せないぞ!
二十一と言えば大学生だ。俺は大学で何してた? 好戦的なヤンキー学生だったのか? 火炎ビン持って学生運動に明け暮れていたのか?
俺にはどんな友人がいた? 付き合ってた女性は? くそっ、大学名さえ思い出せないぞ。俺は本当に大学に行ってたのか?
二十歳前後の記憶が無い。恐ろしくて考えたくもないのだが、もしかして俺は思い出さえ残らないような、暗く寂しい青春時代を送っていたのだろうか?
どうも忘れてる事が多すぎる。記憶を手繰り寄せようとして、始めて思い出せない事に気が付くのだ。
自分が一体どれだけの事を忘れているのか、自分で分からない。
困った。俺は他にも何か大事な事を忘れてるんじゃなかろうか……。
……………………………あれ?
俺の妻と娘の名前。何だっけ?
◇◇◇
部屋を出ると、ちょうど部屋の前を通り掛かったテレーゼと出くわした。
「テレーゼさん。クラレンスさんは忙しそうですか? 少し話がしたいんだけど」
「旦那様は商用で出掛けていますけど、お急ぎですか?」
「いや、全然急いでない。じゃあ、昼食か夕食の時でいいや」
何か気になったのだろう。テレーゼが聞いてきた。
「どうかされたんですか?」
「いや、そろそろお暇しようかと思って」
「ええっ。タツヤさん。もう出て行ってしまうんですか?」
「この国での生活に必要な知識は、だいたい教えて貰ったからね。後は自分で生活しながら身に付けていくよ。テレーゼさんにもずいぶんお世話になっちゃったね」
「そんなに急がなくても……。まだ体もちゃんと治ってないじゃないですか。それにまだ街でご案内していない所がたくさんありますし……」
「名残惜しいけど、いつまでも居候続けると迷惑掛けちゃうからね」
「旦那様も、奥様も、私も! 迷惑なんて思ってません!!」
何だか知らないがテレーゼに怒られた。反射的に謝ってしまった。
「……ええと、ごめんなさい」
だが、怒りの感情に戸惑っていたのは、彼女自身だった。
「いえ、私こそ、ごめんなさい」
テレーゼは頭を下げると、廊下を走って行ってしまった。
俺はテレーゼとの会話を頭の中で反芻していた。特に怒らせるような事は言ってないはずだ。うん、変な事は言ってない。俺は悪くない。たぶん、虫の居所が悪かったのだろう。
クラレンスは昼前に商会へ帰ってきた。昼食の席でテーブルの向かいに座るクラレンス夫妻に、商会から出る事を伝える。
「クラレンスさん、ベティーさん。いろいろ面倒見ていただいてありがとうございます。実は、そろそろここをお暇しようかと思ってます。もう一晩泊めていただいたら、明日には出て行こうかと」
「タツヤさん、もう出て行かれるの? 好きなだけ逗留して貰っていいのよ」
「いえ、いつまでもご迷惑をお掛けする訳にはいきません。それにいつまでも生活の面倒を見てもらっていると、駄目人間になりそうで怖いです。そろそろ自力で生活していこうかと思います」
「分かりました。そういう事ならいつまでも引き留める訳にもいかないですね。寂しくなります」
「タツヤさん。辛い事があったらすぐに帰ってくるんですよ。危ない仕事はしちゃだめですよ。毎日ちゃんと食事しないといけませんよ」
『子供じゃないんだから』そう言い返そうとして口をつぐんだ。
ベティーの息子と娘はすいぶん前に家を出たと聞いている。ベティーは俺の姿に自分の子供達を重ねて見ているのだろう。
俺も親だからその気持ちは分かる。娘が結婚して家を出て行ったら、寂しくなるだろうな……。
「心配しなくても大丈夫ですよ。当分この街で暮らす予定です。迷惑でなければ、時々顔を出しに来ます」
「本当ですね。約束ですよ」
クラレンスは俺達のやり取りを、横で微笑みながら聞いている。
「クラレンスさん。午後もテレーゼさん借りていいですか? 明日から泊まる宿を探しに行きたいんです」
「いいですよ。何でしたら夜は外で食事して来るのもいいと思いますよ」
そういえば屋台や酒場には入った事はあったが、ちゃんとした料理店で食事をした事がない。何事も経験だ。
「そうですね。じゃあ、テレーゼさんと食事してから帰ってきます」
何だかクラレンスが嬉しそうにしている。何だろね?
◇◇◇
「テレーゼさん。この近くで評判のいい宿屋を知らない? お金に余裕があるので、宿泊費は高めでも問題ないです」
テレーゼは小首をかしげ、頬に手を当てて考え込んだ。美人がこういう仕草すると非常に絵になるな。これがうちの娘だったら……。いや、もうやめておこう。
「そうですね、この近くだと『赤いきつね亭』と『緑のたぬき亭』ですね。値段はまあ標準的な価格です。この二軒は道を挟んで向かい合わせで経営している宿屋で、よくお客さんの争奪戦をしてます。サービスは悪くないはずですね。この近辺に他にもう数軒宿がありますが、あまり評判の良くない安宿なのでタツヤさんにはお勧めできまん」
道を挟んで宿を構えるとは、どっちが後から参入したのか知らないが、なかなか豪胆だな。客の取り合いになるのは目に見えてるだろうに。
「あとは街の中央区にある『金のしゃちほこ亭』と『銀のカモメ亭』でしょうか。こちらは高級宿ですので宿泊費は高めですが、両方とも宿に風呂があるので裕福層には人気ですよ」
おお、風呂!! やはり日本人なら風呂だよね。
「では『金のしゃちほこ亭』に案内をお願いします。空きがなさそうなら『銀のカモメ亭』で。どちらかで決めます」
テレーゼと一緒に金のしゃちほこ亭まで歩く。
金のしゃちほこ亭。宿屋だけあって大きな建物だ。この街でよく見かける普通のレンガでできた建物だ。だが……。
「騙された!!」
一目見てそう思った。
名前からして名古屋城風の建物で屋根には『金のしゃちほこ』が誇らしげに飾ってあると思っていたのだ。
おい経営者! 何で金のしゃちほこ亭なんて名前付けたんだよ!?
身勝手な怒りを抑えながら、テレーゼと一緒に宿屋に入った。中に入ると一階部分は酒場になっており、奥にカウンターが見える。女将さんらしき女性がカウンターの向こう側で出迎えた。
「いやっしゃい。食事かい? それとも泊まり?」
「ああ、明日から五泊ほど一人部屋を取りたいんだけど空いてる?」
「朝夕の食事付きで一泊銀貨二枚。食事無しなら銀貨一枚と小銀貨八枚。風呂は料金に含んでるから、一の鐘から三の鐘の間ならいつでも自由に入れるよ」
一の鐘から三の鐘は日本時間で午前六時から午前十時である。どうやらこの世界では、風呂は朝入るのが一般的らしい。本当は寝る前に入りたいのだが、朝しか入れないとあらば仕方がない。
今のやり取りで何か問題はないか、確認の意味でテレーゼを見る。彼女は俺の意を汲んでくれたようで黙ったまま頷いた。
「では、とりあえず五泊分。食事付きで」
俺は金貨一枚を女将さんに渡した。
「じゃあ、この宿帳に記入しておくれ」
この世界の文字は練習中で、自分の名前以外は、お披露目できる代物ではない。
そっとテレーゼを見る。彼女は頷くと俺の代わりに宿帳に記入し始めた。この人ホントに気が利くな。
「じゃあ明日、部屋を用意して待ってるよ」
宿を出てテレーゼと街を歩く。最近はよくテレーゼと街歩きをしていて、興味を引かれる店を見つけると一緒に中に入り、いろいろ説明して貰うのが日課になっている。おかげで市民の生活水準や習慣などが、かなり分かってきた。
「今日の夕食は外で食べてくるって、クラレンスさんには言ってある。今までのお礼にご馳走するから、テレーゼのさんの行きたいお店があればそこに行こう」
「どこでもいいんですか?」
「今日はいっぱいお金持ってきてるから大丈夫」
テレーゼが悪戯っ子のような笑顔を俺に向けた。ドキッとするような可愛い笑顔だ。すごく可愛いんだけど、その笑顔の意味は何なの? 何だかイヤな予感がするぞ。
テレーゼは俺の手を引き、ずんずんと進んでいく。俺の現在の所持金は金貨一枚だ。これで足りなくなるようなお店は止めて欲しいな。
「あれ、ここは……」
テレーゼに連れられて来たのは、商会近くの広場だった。前にここの屋台でパンを買って二人で食べたよな。
「ここで何か買って食べましょうか」
「ええっ、ここ屋台ばっかりだよ。ここでいいの?」
「ええ、ここがいいんです」
高級料理店に行くとばかり思っていたので拍子抜けだ。テレーゼは俺が貧乏人だと思って気を遣ってくれているのだろうか?
「この前、タツヤさんと一緒に屋台でパンを買って、二人で食べましたよね。私、あんな風に外で石段に座って食事したの初めてだったんです。あの時、すごく楽しかったんですよ。だからまた機会があればやってみたいなって思って」
テレーゼは真面目な娘だ。いつも見ても何らかの仕事をしていて、休んでいる所をあまり見た事がない。そんな仕事一筋の彼女だから、広場で並んで食事した程度の事で感激してしまったのだろう。だけど、年頃の娘がそれでは寂しいよ。
よし決めた。今日はテレーゼにもっと楽しい思いをさせてやる。
「畏まりました、お嬢様。本日はお嬢様のご期待にお応えするべく、全力でおもてなしさせていただきます。まずはどの屋台からお召し上がりますか? 全部の屋台を順に制覇なさいますか?」
「ふふふ。それ何ですか?」
「いや、いつもお世話になってばかりだから、最後くらい俺が君をお世話しようと思って」
「じゃあ、あの青い看板の屋台の、ガルガ牛の煮込みシチューが食べたいです」
「畏まりました、お嬢様。直ちに店を買い取って屋台を引いて参りますので、暫しお待ちを」
「店は買わなくていいです。一緒に買いに行きましょう」
「仰せのままに。ではお嬢様、お手をそうぞ」
俺はテレーゼと「お嬢様と執事」を演じながら、何件かの屋台のハシゴをして回った。屋台で料理を買い、前と同じ石段に座り、あれこれ他愛ない話をしながら屋台料理を味わった。
「お嬢様。お腹も膨れましたし、そろそろお屋敷に戻りましょうか?」
「楽しい時間って、あっという間に終わってしまうんですね……」
「俺は商会から出るけど、たまには顔を出しにくるつもりだ。また食事に誘うよ」
「ええ、楽しみにしてます……」
商会に戻ろうと歩き出したが、広場の隅に気になる商店を見つけて立ち止まった。
「テレーゼ。すぐ戻るからちょっとだけ待ってて」
商店に飛び込み、商品棚に並んでいる商品を見定める。
「うーーん。そうだな。この赤いの、いや、こっち青いのがいいな。これいくら?」
「はいよ。そいつは銀貨二枚だよ」
「急いで包んで。外に人を待たしてるんだ」
「あの娘さんかい。いやー、兄ちゃんも隅に置けないね。……これで良し。きれいに包んでおいたよ」
「ありがとう」
買った品物を受け取り、急いでテレーゼのもとに戻る。
「テレーゼ。お待たせ」
「はい。待たされました」
「ごめん、許して。はい、これお嬢様にプレゼント」
「私に?」
「ああ。今まで世話になった礼だよ。開けてみて。気に入って貰えると嬉しいんだけど……」
「これは、髪留め?」
「女の子の喜びそうな物はよく分からないんだけど、テレーゼは素敵な長い髪をしてるから、こういう小物がいいかなって思ってね」
ごめん。白々しい嘘を付きました。確かに俺はおじさんなので、若い女の子の喜ぶ物など知らないが、髪留めは最近うちの娘に強請られて、もとい、強請られて買ったばかりだ。同じ年代だからテレーゼも気に入ってくれると思う。
「ありがとうございます。タツヤさん、付けて貰えますか」
テレーゼは髪を縛っていたリボンを外し後ろを向いた。
「お嬢様の仰せのままに。あれ? ちょっと待て。これどう付けるんだ? おっと、こう髪を束ねて、これでどうだ、よし出来たぞ。……ごめん、ちょっと変かもしれない」
「ふふふ。いいんですよ。ありがとうございました。大切にしますね」
テレーゼは嬉しそうに微笑んでいたが、その表情はどこか寂しそうでもあった。
第一章はこれにて完結。第二章はお父さんの苦難のお話です。
ロマン兵器の登場はもう少しお待ちください。




